冒険

 ほどなくして着信音が鳴った。母からで、じいちゃんの補聴器を知らないかと、かなり焦った声だ。


「間違って持ってきちゃったから、速攻で返しに行く」


 電話を切ると、全速力で家へ駆けた。


 じいちゃんは部屋にいた。部屋はじいちゃんの趣味のものであふれていて、もはや倉庫のようだ。ものつくりが好きなじいちゃんは一日中こもって作業している。


「じいちゃん」


 何度目かの呼びかけにようやく気がついたじいちゃんは、私の手のひらに乗っている補聴器を見るやにっこりと笑った。


「よかった、よかった」


 そう言って耳に装着したじいちゃんに、私はふとした疑問を投げかけた。


「それって、生き物の声も聞こえるの?」


「生き物の声?」


 不思議そうにしているじいちゃんを混乱させないよう、私は「何でもない」と言って、周りを見た。

 床に物が散乱している。きっと、あちこちの戸棚を引っかき回して必死に探したのだろう。私が間違えたのが悪いから、と次のバスの時間ぎりぎりまで片付けを手伝うことにした。


 近くにあった紙の束を持ち上げると、そこから紙がはらはらと落ちた。拾い上げ、私は目を丸くする。


「これ……」


「ああ、ばあさんのタンスにあったんだろう」


 じいちゃんが懐かしそうにその紙を見ている。ひどく劣化した紙には、先ほどスマホの画面で見た、キャプテン・ネモがオルガンを弾くあの絵が描かれていた。


「ばあちゃんの?」


「嫁入り道具の桐のタンスと一緒に持ってきたんだ。確か、ここら辺に……あ、あった」


 桐のタンスから引っ張り出したのは、年季の入った数十枚の紙の束。中を見ると魚のような不気味な生物のイラストや見慣れない機械の設計図のようなものが、外国語の走り書きと共に描かれている。


「実はな、これはばあさんから聞いたんだが、ばあさんのご先祖様の中に、ノーチラス号の乗組員がいたっていうんだ」


「ノーチラス号?」


「これはな、その乗組員が書き残したものらしい。この設計図をもとにわしはいろいろ作っていてね。この補聴器もそのひとつだ。名づけて補聴器型翻訳機」


 驚く私を尻目に、じいちゃんは目を細めている。


「そうか、生き物の声が聞こえたかい。これは成功だな」


「この絵、これと同じなんだけど」


 検索したスマホの画面をじいちゃんに見せると、「ネモ船長か」とあっさりと言ってのける。


「知り合い?」


「お前読んだことないのか? ジュール・ベルヌの小説」


「ジュール……?」


 キャプテン・ネモページをよく見てみると、確かにキャプテン・ネモはジュール・ベルヌの小説の登場人物であることが書かれていた。それに、ノーチラス号の船長であることも。


「でも、これは架空の人でしょ? この設計図も、架空なんじゃ……」


 すると、じいちゃんはチャーミングなウインクを飛ばした。


「小説は作り話かもしれないし、作り話じゃないかもしれない。小説は作り話だと思うのは、みんながそうだと信じているからだ。小説の中には、真実を隠そうとしてわざと作り話として世に出している場合もある」


 それに、と言うと、もう一度桐タンスに手をかけた。ちょうど目の高さにある引き出しに手をかけ、中から革表紙の小さな手帳を取り出してくる。


「これはばあさんのご先祖様が書き残した、ノーチラス号の航海日誌だ」


「じゃあ、つまり?」


「キャプテン・ネモは、実在する」


 航海日誌をじいちゃんから半ば強引に奪いとり、中を見る。やはり文字は外国語で読めない。家から出てきた資料の数々が真実を語っているのだと仮定するなら、聞くことはひとつだ。


「キャプテン・ネモは、今どこに?」


 すると、じいちゃんは唖然としてしまった。


「なんだ、そんなことも知らんのか。キャプテン・ネモは——」


 気がつくと、じいちゃんから補聴器を奪い、手には航海日誌と絵と資料を抱えて家を飛び出していた。

 今なら追いつくはずだ。学校なんて行っている場合じゃない。バス停の方へ一気に加速する。


 ユーフに伝えなければならない。


「キャプテン・ネモは、実在する」


 どうして、今しがた会ったばかりの得体の知れない生物のために走っているのか、と聞かれたらこう答える。


 私も、実在するって信じたい。ちゃんとこの目で見てみたい。

 手にしている航海日誌も絵も資料も、確実な証拠とは言えない。何が真実かを知る術が今のところないなら、あとは、自分の目で見て確かめるしかない。


 今確かなことは、私の中に乗組員の血が混じっているということ。なにせ、ノーチラス号にキャプテン・ネモ、その言葉を聞くだけでこんなにも胸が躍っているんだから。

 ノーチラス号の乗組員がばあちゃんの先祖ということは、キャプテン・ネモもうこの世にはいないだろう。現に、じいちゃんも言っていた。


「キャプテン・ネモは、ノーチラス号と共に海に沈んでいる」


 でも、と私は付け加える。


 小説は作り話かもしれないし、作り話じゃないかもしれない。それを確かめるには、ノーチラス号を探すしかないでしょ。


 だって、もしかしたらまだ、キャプテン・ネモがノーチラス号に乗って世界中を旅しているかもしれないじゃない。


(了)

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