016 ゴールデンウィーク②

 映画の女優は濃密なキスをしていた。

 しかし、俺と文香のキスは可愛らしいものだ。

 唇を重ねて、舌先を少し交わらせたらそこでおしまい。


「文香……」


「祐治……」


 俺達は互いに顔が赤くなっていた。

 熱々に火照っているのが自分でもよく分かる。


『これが私の人生! 私の恋愛なのよー!』


 どこぞの荒野で女優が叫んでいる。

 もはやどんな話だったか忘れた。


「映画はもう消していいよな」


 文香が「そうだね」と笑う。


 リモコンを操作して映画を終了させた。


「キス、しちゃったね」


 文香が真顔でこちらを見る。


「ああ、しちゃったな」


 俺も文香を見た。


「もう1回……してもらってもいい?」


 俺が思っていたことを、文香が言った。


「もちろん」


 そして俺達は、再び唇を重ねる。

 今度は映画の女優に負けない濃厚なものだった。


 ◇


 映画の後は、二人で別荘を堪能した。

 水着を着てプールを泳ぎ、その隣にあるジェットバスで休む。


「贅沢すぎるよ、ここは」


「私の祖父に感謝だね」


 のぼせるまでジェットバスに浸かったら、しばしの休憩だ。

 冷房をガンガンに効かせた居間でくつろいで、キンキンに冷えたソーダを飲む。

 100インチくらいありそうな大型テレビでしょうもないニュースを観た。


「そういや、晩ご飯はどうする?」


 文香に尋ねる。

 彼女はガラステーブルの向こうにあるソファでくつろいでいた。

 こんな時でも背筋を正し、もたれることなく座っている。


「庭でBBQとかどうかな? 食材と道具は用意してあるよ」


「BBQか、いいじゃないか」


「決まりね」


「ニュースなんか観ていても面白くないし今から準備を始めるか」


「うん」


 テレビを消して立ち上がり、BBQの支度に取りかかる。

 俺は調理器具を設置し、文香は食材を庭へ運んだ。


「そうだろうなとは思っていたが……これは……」


「どうかしたの?」


「肉のグレードが高過ぎだ!」


 文香が用意した肉は、明らかに高級肉だった。

 A5とかA4と言われるような代物だ。

 テレビと〈燦爛〉でしか見たことのない上品さ。


「私より祖父が張り切っちゃってね」


「そのようだな……」


 こうしてBBQが始まった。

 網を突き抜ける豪快な炎で至宝の霜降り肉を焼く。

 香りだけで人を殺せそうな肉汁がポタポタ垂れて感動した。


「俺、実は初めてなんだよ、BBQ」


「私はこれが三回目かな」


 アウトドア用の折りたたみ椅子に座り、紙皿で肉を食べる。

 考えなしの強火でガリガリに焼いたとは思えない美味さだ。


「三回って少ないな。家族でやらないの? こんなにいい別荘があって、立派なBBQセットもあるのに」


「なかなか揃うことがないんだよね。両親だけじゃなく、祖父母も現役バリバリで働いているから」


「祖父母って母方と父方の両方?」


「ううん、母方のほうだけ。父方の祖父母は私が生まれるより前に他界しちゃってるから」


「ごめん、悪いことを聞いたな」


「大丈夫だよ。そんなわけだから、なかなかBBQの機会がなくてね。祐治はどうしてBBQをしないの? 親御さん忙しいの?」


「いいや、ウチは普通の家庭だよ。ただ、ウチじゃ庭でBBQとかできないからな。やったら近所迷惑になる。かといって、わざわざ家族でBBQをしに行こうともならない」


「楽しいけど機会がないよね、BBQって」


「だな」


 しばらくの間、俺達は会話を楽しんだ。

 端から見ると盛り上がりに欠けるやり取りである。

 しかし、俺達は確かに楽しんでいた。心の底から。


 ◇


 BBQが終わり、後片付けも終わった。

 その頃には夜になっていて、風呂に入った。


 普通の家だと、風呂は順番制だ。

 しかし、ここでは同時に入ることができる。

 客室ごとに風呂が備わっているからだ。

 さらに大浴場まである。


 今回は大浴場を使った。

 大浴場は脱衣所だけが男女で分かれている。

 つまり混浴だ。


「大きな風呂って気持ちいいなぁ! たまらん!」


「そうだね。……で、どうして私から距離をとるの?」


 銭湯にありがちな岩で造った大きな浴槽に浸かる俺達。

 文香の言う通り、俺は彼女から離れていた。


「それは、その、色々だ」


 実際のところ、理由は一つしかない。

 興奮してしまっているからだ。

 近づくと色々とまずい。色々と……。


「むしろ文香は恥ずかしいと思わないのか? 混浴なのに」


「裸だったら恥ずかしいけど、タオルを巻いているからね」


 俺は下半身を、文香は胸から太ももにかけてをタオルで隠していた。

 その状態で湯船に浸かるのはマナー違反だが、俺達だけしか利用しないので問題ない。


「祐治は恥ずかしい?」


「恥ずかしいっていうか……いや、恥ずかしいよ。恥ずかしい」


 実際は恥ずかしさなど大してない。

 タオルを巻いているから。

 男なら分かることだが、問題はそこではないのだ。

 興奮していることを証明する身体的特徴がよろしくない。

 タオルが意味を成していなかった。


「なんだかよく分からないけど、私は先に上がるね」


「あ、ああ、そうしてくれ」


 文香が去ってからしばらくして、俺の体が落ち着き始めた。


「今更遅いんだよ、バカ野郎」


 タオルに向かって文句を言ってから大浴場を後にした。


 ◇


 いよいよ残すは就寝のみ。

 元々は別々の部屋で寝ることになっていた。

 だが、土壇場になって文香が変更を申し出た。


「恋人なんだし、一緒のベッドで寝ない?」


「一緒のベッドで!?」


「駄目? 嫌なら別にいいけど」


「嫌なことないよ! もちろんOK!」


 文香と一緒のベッド……。

 付き合うようになってから869回も妄想したことだ。

 付き合う前からだと6925回になる。


 1ヶ月前は絶対にありえないと思っていた妄想。

 それが今、現実になる。


 俺達は同じ部屋の同じベッドに入った――。

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