014 ミサトの裏の顔

「雛森さん、こいつら何を言って――」


「近づかないで! このケダモノ!」


 ミサトは壁際まで後退し、全力で距離をとる。

 拒絶された星野はしばらく呆然とし、それから言う。


「これだけ尽くしてきた俺よりこんな意味不明なガキ共を信じるのか?」


「あの頭の掻きようを見れば信じざるを得ないわ」


「頭を掻いたからってなんだって言うんだ。頭が痒いことなんて誰にでもあるだろ」


 星野は目に見えて苛立っている。

 危険だ。


「星野さん、貴方の頭が痒くなったのは、そこにいる念力君の力なのよ。貴方が来る前に私も体験させてもらったから分かる。嘘をついた瞬間、頭の中に虫が這っているような強烈な痒みに襲われたでしょ」


「そんな超能力みたいな力を使える人間がいるわけねぇだろ! からかうのもいい加減にしろ! 今まで、今まで尽くしてきたんだぞ、俺は!」


 星野がテーブルを叩いて立ち上がる。

 それから文香を睨みつけて言った。


「仮に俺が犯人だとして、どうやって犯行に及んだんだよ! えぇ? 嫌がらせはいつも平日、それも俺やミサトの仕事中に行われていたんだぞ!」


 雛森さんからミサトに呼び方が変わっている。


「貴方は営業ですから、その気になれば仕事中でも問題ありませんよね」


「言われてみれば、星野さんが外に出ている時に限って嫌がらせが……」


 ミサトの追撃に「ぐっ」と怯む星野。


「なんだったらもう1回確かめる? 嘘をついたら頭が痒くなるようにできるが」


「ふっざ、ふざけるんじゃねぇ!」


 星野は怒鳴り、テーブルを蹴り飛ばした。


 ミサトは両腕で頭を覆い「ひっ」とその場に縮こまる。


「貴方は平日の営業中にここへ立ち寄り、雛森さんの郵便受けにコンドームを入れた。いかにも平岡さんが振られた腹いせでしているかのように見せて。さらに、雛森さんの相談役となることで、彼女の心を掌握しようとした。あまりにも非道な犯行です。恥を知りなさい」


 文香が立ち上がって睨む。

 俺もそれに続いた。


「星野さん、貴方にはお世話になった。だから警察には通報しない。会社にも言わないでおく。だけど、もう二度と、私には関わらないで!」


「ミサト……!」


 星野が後ずさる。

 顔がぐにゃっと歪んでいく。

 かと思いきや、彼は大きな声で笑い出した。


「ここまで苦労したのに全てパーかよ、ついてねぇな」


「もしかして認めているのか?」


「そうだ。俺がやったんだよ、何もかも。だが証拠なんてねぇからな。お前らが通報しようがしまいが逮捕なんてできねぇんだよ」


 開き直る星野。

 そして彼はミサトに向かって言った。


「俺の言葉を受けて無職のゴミを捨てたのに、なんで俺と付き合わねぇんだよ。あんなゴミがよくて俺がいけない理由が分かんねぇよ。せめて一発ヤっておくかと思ったが、こうなったらそれも無理だな。チッ、とんだ時間の無駄遣いになったぜ」


 捨て台詞と共に去っていく星野。

 逆上して暴走することはないようだ。

 ――と、思ったその時だった。


「お前がミサトに嫌がらせをしていた犯人だったのかぁあああ!」


 突然、平岡が乱入してきた。

 扉を蹴破り、律儀に靴を脱ぎ揃えてから星野を殴り飛ばす。


「ツトム君!」


「ミサト、よりを戻そう。俺はもう無職じゃない。ちゃんと就職したんだ。本当はもっと早く言いたかったんだが、迷惑を掛けると思って距離をとっていた。だが、昨日、そこにいる二人に話を聞いて分かったんだ。俺の相手はミサト、お前しかいないんだって」


「ツトム君……! 私も、ツトム君以外に考えられない……!」


 平岡とミサトが抱き合う。

 俺と文香は二人の復縁を拍手で祝う。

 一方、真犯人のカスは――。


「てめぇのせいで、俺はァ!」


 ――逆上してしまった。

 星野はキッチンの包丁を手に取る。


「許さねぇ。お前ら皆殺しだ!」


「そんなことをすれば逮捕されるわよ」


 文香が冷静に言う。


「知るか! お前らを殺した後、俺も死ぬ!」


 星野の目は血走っていた。

 怒りで我を失っている。

 本気で皆殺しと自決を図りそうだ。


「まずはお前からだ」


 星野が選んだのは文香だった。


「命乞いでもしてみろ。そうだな、足を舐めろ。そうすれば助けてやる」


 星野がヒヒヒと笑う。


「そんなこと――」


「しないと殺すぞ! あぁ!? わかってんのかぁ!」


 怒鳴る星野。

 文香が「ひっ」と体を震えさせた。

 それを見た瞬間、俺の怒りが限界を超えた。


「お前、謝れ。文香に謝れ」


「なんだぁ? お前から殺してやろうか?」


「俺の文香に謝れと言っている」


 超能力、発動。

 かつて横断歩道で老婆を助けた時の能力。

 あれを逆に作用させた〈足腰弱化〉をお見舞いした。


「ぐっ、腰、腰をいわしたぁ! 腰がぁ!」


 星野、腰を押さえながら崩落する。

 手に持っていた包丁が床に転がった。


「今よ、平岡さん!」


「うおおおおおおおおおおおおおお!」


 文香の合図で平岡は突っ込み、星野の顔面を蹴飛ばした。


「ゴヴォッ」


 星野は一撃で気を失った。


 ◇


 その後、俺達は警察を呼んだ。

 星野は逮捕され、連行されていった。

 警察が去ったので、次に去るのは俺達だ。


「問題が解決したので、私達はこれで失礼します」


「本当にありがとうございました。お二人に依頼していなければ、私は星野の思うがままになっていました。感謝してもしきれません」


「俺からも感謝する。本当にありがとう」


 そう言った平岡の顔には、酷い引っ掻き傷があった。

 昨日はなかったものだ。


「平岡さん、顔の傷は?」


 尋ねたのは俺だ。


「昨日、君たちが去った後、志保とちょっとね」


「力の解除を忘れていてごめんなさい」


「いや、助かったよ。こうしてミサトとよりを戻すことができた。それに、志保には別れを切り出すつもりだったんだ。ミサトに対する未練があるまま付き合い続けるのは、彼女に対して失礼だったから」


「そうですか」


「あの、今回の謝礼ですが、いくらほどお支払いすればよろしいでしょうか?」


 鈴木と同じことを言い出すミサト。


「金銭は受け取っておりませんので、結構です」


「しかし、何も無しというのは……」


 このやり取りを静観していると長引くのは必至だ。

 そこで俺は、ミサトに耳打ちした。

 金でなくて物ならあっさり受け取りますよ、と。


「そういうことでしたら、こちらを受け取っていただけませんか?」


 ミサトが取り出したのはライトノベルだった。

 異世界ほにゃららというタイトルの、ありがちな異世界ものだ。

 本屋が抜くはずの「売上スリップ」と呼ばれる伝票がそのままである。


「この本は?」と文香。


「私の書いている本です。ツトム君以外に話したのはお二人が初めてです。ライトノベルを読むかは分かりませんが、せめてものお礼ということで……。いや、お礼になっていませんよね、すみません」


「そんなことありません。読書は好きです。喜んで頂戴します」


 文香が受け取る。

 俺も同じ本をもらった。


「それでは、私達はこれで失礼します」


 俺達はミサトの家を後にした。

 依頼達成だ。


 ◇


 事務所に戻ってきた。

 文香はリクライニングチェアに座り、俺は執務机の横に立つ。


「今日の依頼は危なかったなぁ」


 文香が「だね」と頷く。


「祐治がいなかったら解決できていなかったと思う。解決できたとしても、逆上した星野さんに殺されていた気がする」


「超能力も捨てたものじゃないな」


 文香は「そうだね」と俺を見る。


「祐治、今日もかっこよかったよ。ありがとうね」


「役に立ててよかった」


 でへでへと照れる俺。


「それにしても雛森さんがラノベ作家だったなんて驚きだね」


「たしかに」


 文香がミサトの本を読み始める。

 数秒間隔でページをめくっていく。


「読むのが速いな。本当に読んでいるのか?」


「読んでいるよ。たくさん読む内に速くなったの」


 ライトノベルには挿絵がある。

 しかし、文香は挿絵に興味を示さない。

 なんだ絵か、と呟いて一瞬で飛ばした。


(俺なら挿絵で10秒は止まるけどな)


 などと思っている間に、文香は読み終えた。


「どうだった?」


「面白かったよ。参考になった」


「参考に?」


「うん。とても参考になった」


「マジか」


 ラノベの感想で「参考になる」は珍しい。

 普通は「面白い」か「つまらない」だろう。


「興味が湧いてきたな」


 俺も読んでみることにした。

 といっても、最初から読むわけではない。

 適当なページをパラパラめくるだけだ。

 活字は苦手なのでね。


「これは……」


 すぐにピンときた。

 どのページも過激な性描写で満ちているのだ。

 官能小説の一歩手前、というか片足を突っ込んでいた。


「文香、これが参考になったのか!?」


「うん、知識が深まった。いざという時に役立つね」


「マジか……」


 その日、家に帰った俺は、ミサトの本を読みまくった。

 これを書いたのがあのミサトなのかと思うと感動もひとしおだ。

 読み終わった時、なぜか部屋のティッシュが底を突いていた。

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