第10話 生きている、生きていく

 正月休みも、残り二日。早いものだ、と北斗は思った。

 母と由衣は、買い物に行くというので、駅前のファミレスで別れた。北斗たちは、先に実家に戻るところだ。

 信号が青になったとたん、声をかけられた。


「北斗」

 聞き覚えのある声。振り向くと、丈がいた。母親だろうか、初老の女性と一緒だ。

「ひさしぶりだな」

「おう」

 杏里をちらっと見たが、平然としている、ように見える。

 女は強いな。なんでもないふりを、しているのかもしれないが。

 丈は、これ、おふくろ、と告げ、北斗は、どうも、と会釈した。丈は、母に、北斗を、高校時代の友人、と告げた。


 丈の母は、北斗の横にいた一穂かずほに目を留め、

「おいくつですか」

「ミヤジマカズホです、ロクサイです」

 元気に答える一穂に、目を細めた。

「春から小学校なんですよ」

「そうですか」

 父と見知らぬ女性のやり取りに、次は自分と思ったのか。次男の歩夢あゆむは、杏里の後ろに隠れてしまう。北斗に似て、内気なのだ。

「奥様、そろそろですね」

 杏里のお腹は、大きくせり出していた。予定日が近づいている。杏里は微笑んで、

「来月なんですよ」

「そうですか、お気をつけて」


「じゃあな」

 母を促し、丈は向こうへ。信号が変わり、一家は横断歩道を渡ったが、北斗が振り向くと、丈の母が、丈に何か話しかけていた。

 あれ、と北斗は今頃気づいた。

 杏里と丈の母が初対面だったらしいことだ。

 婚約までして、紹介しなかったんだな。丈らしいというか、なんというか。



 翌日の午後、北斗は丈に呼び出された。

 指定のカフェに出向くと、丈は奥の席に陣取っていた。

 北斗が席に着くなり、

「杏里と結婚したって、ほんとだったんだな。まさかと思ったけど、さ。すっかりハッピーファミリー、もうすぐ三人目か」

「うん。今度は女だって」

「へえ」


 何の用だろう。さっさと本題に入ってほしい。

 北斗は、じりじりした。

「昨日、帰宅したらさ。おふくろが、昔のアルバムを引っ張り出してきて。一穂くんだっけ、おまえの上の子が、俺の子供の頃によく似てるって」

 アルバムを開いて、母は言った。

「ほら、おまえと同じ顔」


「そっくり、とかじゃなくて。『同じ顔』だってよ」

 それで、あんなに一穂を見ていたのか。

 男はけっこう子供時代と大人になってからでは顔が変わる。、丈の母は、一穂に、丈の子供時代を見たのだ。


 俺の子じゃないのか、と言う気だろうか、丈は。

 握った両手に、北斗は力をこめた。

 もしそう言われても、俺は否定する。一穂は、俺と杏里の子だ。


 安産だったが、一穂は夜泣きがひどく、三時間ごとの授乳も杏里の負担となった。北斗は、夜泣きが始まると、一穂を抱いて外を回ってきた、車の中で夜明かししたこともある。母乳からミルクに切り替えてからは、杏里は、かなり安眠できるようになった。

 おむつを替えるとき、顔におしっこをひっかけられたこともある。熱を出せば夜中でも抱いて、病院に走った。

 だから、一穂は俺の子だ。

 誰が何と言っても、俺の子だ。



 丈は、何も言わなかった。窓の方をぼんやり見て、

「俺の方は、なかなかうまくいかなくてな」

 ようやく、そんなことを口にした。

「三回、流産した。胎児が、うまく成長できないらしくて。まだチャンスはあるって医者は言うんだけど、もう、これ以上は」

「うん」

 丈の妻は十歳年上だと聞いた。いま四十二、三だろうか。


「それで、かみさんは、ちょっと不安定になって、いま、実家で療養中」

「そう」

「べつに、絶対に子供がいなくちゃ、とは思わない。彼女がいてくれれば、それでいいんだ」

 ロスで、丈は遊びまくったという。女も男も見境なく。

 男も、と聞いて、北斗の脳裏に、忌まわしい日々がよぎる。もう済んだことだか。

「ぜーんぶ、彼女にバレた。離婚を覚悟したけど、許してくれた。あなたのデタラメなところも含めて、全部いとしい、なんて言ってくれてさ。いや、できたヒトだよ、かなわないよ」

 丈は、楽しそうに笑った。


 あれは、一穂が二歳になった頃だ。

 杏里が、北斗にこう尋ねた。

「ねえ。私は、いつまで試されるの?」

「試す」

 意味がわからなかった。

「私は、北斗に嫌われてるのかな」

「まさか」

 大好きだよ、と北斗は言った。その程度のことは、平気で言えるようになっていた。

「だったら、私を本当の妻にしてください」

 真剣な顔で言う。

「約束通り、北斗は私を見守ってくれた。一穂の子育ても、仕事もあるのに、眠いのに、一生懸命、やってくれた。北斗と結婚して正解だった」

 こんな言葉を、杏里からもらえるなんて。

 感激で、胸がいっぱいになる。

「北斗、大好き」

 両手が、北斗の頬に触れ、唇が重ねられた。

 杏里のキス。杏里からのキス。

 とろけそうに甘く、あたたかい感触。

 とても現実とは思えなかった。ほとんど反射的に涙があふれた。


 驚き顔の杏里に、

「怖いんだ。俺、したこと、ないんだ」

「そうだったの」

 ふるえる北斗を、杏里は抱きしめ、

「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」

 と、背中をさすってくれた。

 何の心配もいらなかった。その夜、北斗はやさしく導かれて、杏里と結ばれ、ふたりは本物の夫婦になった。


 生きている、と実感できる日々の始まり。入籍したときからもそうだが、杏里と実質ともに夫婦になり、生きる喜びを、北斗は生まれてはじめて味わうことができた。

 翌年、歩夢が生まれ、四人家族に。そして来月は五人に。

 夢のように幸せな数年を、北斗は思い返す。


 いまさら、丈に幸せを壊されて、たまるか。

 丈が何を言おうと、負けない。戦う、と身構える北斗。


「幸せなんだな、よかった」

 対照的な結婚生活。丈も、思うところがあったのか、あの頃のように皮肉なことは言わなかった。



 もう一杯コーヒーを飲んでいく、という丈を残して、北斗はカフェを出た。


 新春の午後の日差しが、やわらかく北斗を包む。


 俺は生きている、杏里と子供たちと一緒に。そし

 てこれかも生きていく、愛する家族とともに。


 幸せをかみしめながら、北斗は家路を急いだ。


 <了>



【あとがき】

 とんでもない話に、おつきあいいただき、ありがとうございました。

 生きることは恥をかくこと、書くこともしかり、ですね。よせばいいのに、どうしても書きたくて強行です。

 なんで、北斗をこんなに虐めるのか、最後に、こんな都合の良すぎる幸せが待ってるよ、だから許して、の心境でした。


 5,6,7話が、いきなりゲイポルノみたいで、ハア、だったことと存じます。これも極端から極端に走りたがる私の悪いくせ、なのかな。


 書きたくて書いただけ、PVは気にせぬ、と思いながら、最初はトホホな数字で、正直、へこみました。が、なぜか最近、PV急増で、これはこれで恐ろしい。私の恥が、多くの人にバレてしまう。

 読んでほしいのか、そうでないのかはっきりしろ、なんですが。やはり、うれしいのでございます。


 実は続編も考えております、北斗をまだ、いじめ足りなくて。

 タイトルは「秘密が多すぎる」、この後ろにだらだら説明ぽいものが付きます、長いタイトルになるかと。

 どこかで見かけましたら、またおつきあいいただければ幸いです。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




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キスの実験台。それだけのはずだった チェシャ猫亭 @bianco3

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