第2話 初恋イコール失恋

 その夜、北斗は眠れなかった。

 実験、で、丈とキスしてしまった。

 あの甘い、やわらかい感触が忘れられず、それは、体の中心にひそむ悪魔を誘い出した。

 股間に手を伸ばし、まさぐる。

 キスは、甘美な恋の始まりなどではない。少なくとも男にとって、それは、欲望への発火点。




 翌日の、月曜。

 北斗が教室に入ると、丈は、もう来ていた。

 こちらを見て、意味ありげに笑ったが、北斗は、無視した。

 北斗は、決めたのだ、絶対に、これ以上、近づかないと。気が弱く、優柔不断な北斗にしては、珍しく強い決意だった。


 いけないことをしている実感があった。

 厳格なあの父に,知られることじゃまおじゃずだが、あれ以上の関係になってはならない。


 やがて、丈は、あきらめたのか、見放したのか。北斗を無視するようになり、何後もなく、年が明けた。

 二年、三年と、丈よは別クラスで、北斗は、心底、ほっとした。


 相変わらず、父は、S高へ行け、とうるさい。北斗は必死で勉強し、塾へも通わせてもらい、それなりに成績もアップした。

 三者面談は、母の代わりに、休暇を取って父が出た。母は内気で、教師が、S高は無理でしょう、と言ったら、そうですか、と引き下がってしまうだろう。

 何がなんでも北斗はS高に、と、父は鼻息荒く学校に乗り込んだ。

「S高は、県下有数の難関校です。合格できても、レベルが高くて、ついていくのに苦労しますよ。無理せず、同じ県立ならN高にしてはどうですか。あそこの卒業生も、けっこういい大学に受かっています」


 北斗の担任は、なんとか説得しようとしたが、父は、

「息子も、懸命に努力しています。なんとかS高を受けさせてもらえませんか」

 と食い下がり、北斗が口をはさむ余地はなかった。

「わかりました。そうまで仰るなら、S高にしましょう。これから追い込みを頑張れば、可能性があるかもしれません」


 教師は根負けし、仮に不合格でもクレームはなしでお願いします、と、妙ば約束を父にさせたのだった。

                                                                                                          

 その後、北斗の成績は、どうにか合格ラインに達するかも、という程度に、上がっていた。



 三月。

 合格発表のボードの前で、

「やればできるじゃないか!」

 父は、北斗の肩をゆさぶり、満面の笑みでたたえてくれた。

 奇跡かと思った。まさかの合格だ。

 これで父の逆鱗に触れずに済むと思うと、北斗は、へなへなと、その場に崩れ落ちそうになった。


 丈も、当然のように合格していた。塾で顔を合わすかとビビッていたが、塾にも通わなかったそうだ。さすがだ、と北斗は思った。


 四月。

 入学式が近づくと、北斗はまた丈を思って緊張した。同じクラスになったら、どうしよう。

 S高は八クラスある。同じクラスになりませんように、との願いは通じて、ほっとした。

 そして、北斗は、入学式初日に、女神と出会うことになる。


 黒絹のような髪が、形良い顔を縁取り、知的な美貌は、まさに女神。ブレザーに身を包んだ女神、だった。

 北斗は、生まれて初めて、恋心を抱いた。

 初恋、だったのだ。


 芹川杏里せりかわあんり

 去年までニューヨ-クに住んでいた、帰国子女。父親がメガバンク勤務で、五年の海外勤務を終え、帰国した。

 英語の授業が始まると、杏里のネイテォブとしか思えない、完璧な発音に、皆は驚愕した。

 英語の教師は、私の発音より正確ですから、と、杏里に教科書を読ませる。


 杏里がESS(英語研究会)に入ると聞いて、北斗も迷わず、入部した。帰宅部にするつもりだったが、英語の勉強になり、杏里のそばにいられる、一石二鳥だ。


「宮嶋くん、だったよね。よろしくね」

「こちらこそ」

 目立たない自分の名を覚えていてくれた。それだけでうれしいのに、 杏里から直接、声をかけっれ、天にも昇る気持ちだった。が、すぐに希望は打ち砕かれた。


 丈が、ESSに入ってきたのだ。

 どう考えても、杏里目当てだった。

 ふたりは、たちまち親しくなり、昼は学食で一緒にランチし、学年内の公認カップルになった。


 そうだよな、当然、こうなるよな。


 どれほど、北斗が杏里に思いを寄せようと、丈が相手では勝ち目はゼロ。

 初恋イコール失恋、だ。


 背伸びしてS高に入った代償は大きかった。授業のレベルが高すぎて、ついていけない。周囲の生徒は優秀な子ばかりで、父に脅されて志願し、たぶんビリの方で合格した北斗には、きつい毎日だった。


 それでも、北斗は幸せだった。杏里と会えるから。

 S高に入っていなかったら、こんなに杏里の近くにいることは不可能だったのだから。


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