第3話 震えた手紙

帰路の車中はどんよりとした重たい空気が張り詰めていた。誰も一言も発しなかった。咽び泣くあたしと母さんの嗚咽が車中を支配し父さんは前方を睨み付けるようにハンドルを握っていた。あたし達は家に帰り着き誰も今の現状を呑み込めず茫然自失していた。誰も声を発する事もなく20分くらい経過しようとしていた。呼び鈴が鳴り父さんが出ると鑑識の人が来ていた。父さんがスティーヴィーが使用していた櫛を鑑識の人に渡すとラテックスの手袋を取り出しジッパー付きのビニール袋に毛髪を数本入れて帰って行った。母さんが言った。「ミランダ、濡れて身体が冷えてるんじゃないの。早くお風呂に入っておいで」あたしは言われた通りにお風呂に入ってリヴィングに戻った。父さんと母さんは蛻の殻のようになっていた。漠然とした感じで虚空の一点を見ていた。「父さん、母さん、上がったよ。今日は疲れたでしょ。父さんも母さんもお風呂に入って早く休んで。あたし、もう自分の部屋に行くね。父さんと母さんがそんなに悲しんでたらスティーヴィーも天国で悲しくなっちゃうよ。元気出してってのは今すぐには無理かもしんないけどみんなで頑張って生きていこうね。おやすみなさい」「そうだな、ミランダ。父さんも母さんもスティーヴィーの分まで頑張らなくっちゃな。ありがとう、ミランダ」「そうだね、ミランダ。母さんが泣いてたらあの子も気兼ねなく天国に行けないよね。寒いから風邪引くんじゃないよ。暖かくして休みなさいね」「おやすみなさい、父さん、母さん」「おやすみ、ミランダ」そうは言ってたももの父さんも母さんも、そしてあたしもスティーヴィーを失った喪失感は頭の中から簡単に追い払えるものではなかった。その晩は眠れなかった。微睡に落ちそうになっても現実が睡魔を浚っていく。それが受け入れたくない現実であるにも関わらず。神の存在なんて何処に在るって言うの?スティーヴィーが何をしたっていうの?朝、眼を真っ赤に腫らしながら会社に連絡をして事情を説明した。父さんも仕事を休み分署からの連絡を待った。憂鬱と悲壮感、そして虚無感があたし達家族の心を埋め尽くす。そこには一筋の希望という光は射し込んではこなかった。その日は今の所これといった進展はないので捜査に進展があれば連絡しますといった内容の電話があった。2日後、分署から連絡があり葬儀屋を手配して遺体を引き取るようにとの連絡があった。キャビン巡査は損傷も激しく司法解剖の処置の痕跡も生々しいので遺体は目にしない方がいいと念を押した。スティーヴィーの遺体は火葬場で焼却し遺骨を海に散骨した。散骨後に形式的に執り行った葬儀にはスティーヴィーの友人やラナ、カーラ先輩やその他あたし達家族の親族、知人、多くの人が参列してくれた。「ミランダ、スティーヴィーの事は残念だわ。でも、あんたが悲しんでいるとスティーヴィーも天国で悲しんでいるわよ。早く立ち直って元気なあんたを見せてちょうだい」ラナが励ましてくれた。「ミランダ、この度は大変だったわね。弟さんの事は何て言っていいのか…お悔やみ申し上げるわ。早く元気になってね」カーラ先輩も励ましてくれた。参列者の中にスティーヴィーの彼女ロイスも来てくれていた。「あの日、あたしとのデートの約束なんてしてなかったら…本当にごめんなさい。彼が大学を卒業したら結婚しようって言ってくれてたんです。あたしも彼の事を愛していました。この人があたしの将来の伴侶になるんだと信じていました。彼の事を今でも愛しています」ロイスは泣きながらスティーヴィーへの思いを語ってくれた。「ううん、あなたが悪い訳じゃないわよ。あれは避けようのない事故だったのよ。自分を責めないで、いいわね。スティーヴィーを愛してくれてありがとう、ロイス」あたしはロイスの苦悩を少しでも取り除けたらと思って言った。「はい…」ロイスは途切れそうな声で言って頷いた。皆の気持ちは嬉しかったが心の闇は払拭出来なかった。あの晩のどんよりと垂れ込めた雲が私の心を覆っていた。あたしは父さんや母さんを心配させまいとさり気なく明るく振る舞うように努めた。父さんや母さんもスティーヴィーが健在だった時のあの楽しかった日常とまでは言えないにしろ少しずつ日々を取り戻そうと懸命に、そして気丈に振る舞っていた。時があたし達家族を癒してくれる。そう思い始めてスティーヴィーの死から1年が経とうとしていた時だった。仕事を終えて帰宅するなり母さんが言った。「ミランダ、あなたに手紙が来てるわよ。あなたの部屋のテーブルの上に置いてる。それにしてもおかしいのよ。宛名はタイプライターでタイピングしてて送り主の名が記載されていないのよ。普通は自分の名ぐらい名乗るのが通例で常識でしょ。母さんだったらそんな事しないわ」母さんは声を荒げて怒り心頭といった感じで言った。「解ったわ、母さん。ちょっと見てみるね。もしかしたら友達のあたしを揶揄ったどっきりな手紙だったりするかも知れないしさ」あたしは明るく笑って母さんを煙に巻いた。何故、そんな風に言ったのか自分でも解らない。もしかしたら、その時に嫌な考えが頭を過ってそう言わせたのかも知れない。部屋に入りテーブルに置いてある封書を確認した。中身の便箋を切らないようにテーブルの天板で封書をトントンして鋏で開封した。便箋を開きあたしは最初の一文を読んで背筋に悪寒が走り愕然とした。便箋を持つ手がアルコール依存症の人のように小刻みに震えた。



「親愛なる姉貴へ


どうかこの手紙を読んで驚かないで欲しい。俺は今、アイダホの山林にある山荘でひっそりと暮らしている。此処は人里から少し離れていて静かな所だ。3マイル離れた所に人が住んでいる町みたいなのがあるが人口200人くらいの小さな町だ。この山荘はロイスのおふくろさんのじいさんの所有でじいさんが亡くなった後にロイスが相続した山荘だ。長い間、人が住んでなかったが頑丈な作りで傷みもほとんど無かった。中古のピックアップを買って10日に1回のペースで町に食料や必需品を買いに行っている。アングラサイトで偽造身分証明証も手に入れた。俺の偽りの名は今はまだ明かせない。金はロイスが出してくれている。俺は親父やおふくろ、姉貴に言い訳のしようの無い大それた事を仕出かしちまった。ロイスの親父を殺しちまった。俺とロイスの共犯で。それは、ロイスを守る為だった。ロイスの親父は酒に溺れロイスへのDVは日に日に酷くなるばかりだった。ロイスの身体には青痣が絶えなかった。ロイスの親父は世間に自分の暴力が発覚しないように顔は殴らなかった。俺はロイスを本気で愛していた。何としてもロイスをこのクソ親父から守りたかった。俺は面と向かってロイスの親父に忠告した。今度、ロイスに手を出したらただじゃ済まさないと。それでも奴は酒に酔いロイスを殴った。此奴が死ねば財産はロイスの物になるしロイスを苦しめる者はこの世から抹殺されロイスは自分の人生を取り戻せると俺はロイスを説き伏せた。ロイスはそんなの上手くいきっこないって言ったけど俺はロイスの親族の事もロイスから詳しく聞いていたからこの殺人計画を思い立った。あの日の朝、ロイスは親父に致死量の農薬を飲ませて殺害した。ロイスの親父は毎夜の深酒でロイスから手渡されたその飲み物を酒と思い躊躇なく呷った。そして、夕方、俺はロイスの家に行き助手席にあの親父の遺体を乗せて後部座席にロイスを乗せてまた道を戻った。ロイスの家は人里離れた山の上にあるから防犯カメラや人から目撃されるリスクも皆無に近かった。事故現場の崖までUターンして車を方向転換させてロイスの家に向かっているように見せ掛けた。ロイスの親父を運転席に移しハンドルで口元を何度も叩き付けて歯をへし折った。ハンドルでそれおやるには限界があったので後はタオルを口元に押し当ててハンマーで歯をへし折った。俺は崖下にロープを伝って下りてロイスに車を道から崖下に落とさせた。一応、ガソリンは満タンにしていた。そして、俺もペットボトルにガソリンを抜き取りポケットに忍ばせていた。車はがけ下に勢いよく落ちたが燃料には引火しなかった。俺は車内に忍ばせていたガソリンを撒いた。タンクからガソリンが漏れたように偽装して煙草に火を点けて投げ入れた。俺は煙草を吸うから煙草の火が漏れたがそりんに引火したように偽装した。そして、俺はバックパックに詰めていた服に着替えてウィックや眼鏡で変装し街外れまで徒歩で移動し夜行バスに乗って姿を晦ました。身元を照合するのに歯型は取られるから歯を砕く必要があった。姉貴は、それでも事の成り行きを呑み込めない点が幾つかあるだろう。司法解剖で体内から農薬が検出されなかった点とかDNA鑑定で俺の毛髪と遺体のDNA型が一致した点とか。あの日の晩の監察医はイアン ホッジスって人だった。実はホッジスって人はロイスのおふくろさんの異父兄妹に当たる人でロイスの叔父だ。祖父の名が違うしほとんど疎遠になっていたのでこの人がロイスの叔父ってのを知ってる人はいなかった。ロイスに手紙で連絡を取ってもらい俺とロイス、それにホッジスの三人で街外れの工場跡地で密会した。俺の計画に最初は難を示していたホッジスもロイスの身体の痣や辛い心境を察して片棒を担いでくれる事を承諾してくれた。この計画にはホッジスは欠かせない存在だった。だから司法解剖で偽りの検死報告書を書いてくれたって訳だ。櫛の毛髪も俺が使っていた同じ物をロイスに買わせてロイスの親父に使わせていた物を当日の朝にロイスの親父の指紋を拭き取ってすり替えた。俺とロイスの親父はダークブラウンの毛色で長さも似てたしロイスの親父は白髪も無かった。よく後ろ姿をロイスが着ている衣服が同じだったらロイスの親父と見紛うくらい似ているって言っていた。それくらい体格も酷似していた。ロイスは親父に愛されなかった分、後ろ姿が似ていた俺に惹きつけられたのかも知れない。俺が死んだって事になっている4日後にロイスが親父の失踪届を出している。皆が知っての通りロイスの親父はある中だったから警察は失踪と事故に巻き込まれた可能性の両面で今も捜索中だ。ロイスの親父はろくでもない人間だったので遺言も残してないし遺産管理人なんかも立ててないので財産はロイスが相続するように弁護士を立てて手続きをするつもりだが死亡宣告が法律上認められるまで後7年くらいは掛かるから事を性急に進めて財産目当てでロイスが親父を殺害したと疑われないように慎重に事を進めるつもりだ。熱りが冷めたらロイスと他の地で一緒になるつもりだけれども今は年に2、3回くらいしか会えないのが寂しい。姉貴の車をお釈迦にしちまって済まないと思っている。ランチも奢るって嘘ついて済まない。姉貴から貰ったブレスレットも遺体を俺だと皆に思わせる為に必要な偽装工作だった。あのブレスレットは気に入っていたんだけどな。親父とおふくろにはこの手紙の内容は黙っておいて欲しい。これは姉貴の胸の中だけに仕舞っておいて欲しい。時が経てば全て上手くいく。その時には俺から会いに行くよ。みんなが元気で過ごしている事を毎日願っている。親父やおふくろにもしもの時があれば危険を顧みずに駆け付けるつもりだ。それじゃ、姉貴、またいつの日か。こんな愚弟で済まないと思っている。愛してるよ。 スティーヴィー」



あたしの心臓は早鐘を打った。あのスティーヴィーがこんな所業を仕出かすなんて。もっと他の選択肢があった筈。ロイスの父さんがどんなに無慈悲で残忍な人だったとしても。それが法律では認められない正義の執行であったとしても。でも、あたしは心の片隅で安堵を覚えた。スティーヴィーが生きている。アイダホの何処かで。今はスティーヴィー シンプソンと言う名を名乗っていなくてもスティーヴィーはあたしの弟。それが地球上の中で最も愚かな愚弟であっても。あたしは手紙を封筒に仕舞いクローゼットの中に隠した。あたしもスティーヴィーやロイスの共犯とこれでなってしまった。この秘密は墓場まで持って行くつもりだ。あたしは何だか飲みたい気分になった。あたしはラナに電話した。「ラナ、元気?」「ええ、元気よ。ミランダ、どうした?」「今、何処にいるの?」「今日は1時間残業でまだ仕事場にいるわよ」「今日、不謹慎な事柄なのかも知んないけど個人的に嬉しい事があったんだ。それで、飲みたい気分になっちゃってね。今日はあたしが奢るから今からレッド ハウスで飲まない?」「うん、別に飲むのは構わないけど。その不謹慎な嬉しい出来事ってのは教えてくれる訳?」「それは、ヒ ミ ツ」「ふーん、そうなんだ」ラナが笑いながら言った。「今からそっち向かうからレッド ハウスで待ってて」「うん、解った。それじゃーね」あたしは階段を下りてキッチンの母さんに言った。「ちょっと、今からバーでラナと飲むから母さんバーまで送ってくれない」「急な話しだね。手紙は何だったの?」「友達からの嬉しいどっきりよ」「へえ、そうなのかい。それで何だか嬉しそうなんだね。明日も仕事なんだから飲み過ぎないようにね」「うん、でも今日は嬉しい気分だから羽目外しちゃうかも」母さんに送ってもらってレッド ハウスに向かった。バーカウンターにラナがいた。「おっ、来た来た」ラナが言った。「いらっしゃい、ミランダ。久しぶりだね」リバースがシェイカーを振りながら笑顔で出迎えてくれた。あたしはバーカウンターに掛けて言った。「今日は飲んじゃうわよー」これはスティーヴィーとロイスの将来を祝っての祝杯。そして、いつの日かスティーヴィーと再会出来るひを夢見ての乾杯。あたしは頭を空っぽにして愛すべき仲間と無性に酔いたい気分だった…

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コールド レイニー ナイト Jack Torrance @John-D

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