第44話:トーラクへの帰還

 ーー1943年2月27日ーー



====ガーナカタル島・ルング基地海軍病院====



「はーい、島津さーん包帯を替える時間ですよー……ってあれ?」


 レンガ造りの軍病院の大部屋で若い看護婦(女性看護師の昔の呼称)が医療具を持ち溌溂とした声で病室に入って来るが目的の人物が居なかったのかキョトンとしながら部屋を見回す。


 長方形に広い病室には10床のベッドが並べられており、ベッドは全て埋まっている様に見えたが右奥から3つ目のベッドだけは寝ている人間がいなかった。


「ああ、島津上等飛曹ならさっき出て行ったぞ、何でも木刀を振りたいんだと」

「ええっ!? また・・ですかぁ? もう! 怪我人だって自覚は無いんですかあの人は、あんな大怪我・・・なのにぃ! 直ぐ連れ戻さなくちゃまたアタシが先生に怒られちゃうーーキャっ!」


 若い看護婦はプリプリしながら踵を返し逃げた患者島津を追いかけようとするが、その時部屋に入ろうとした人物にぶつかりよろめく。


「おっと、すみません、大丈夫ですか!」

「え、ええ、大丈……!」


 看護婦はぶつかった相手の顔を見ると言葉に詰まった、その顔つきは明らかに日輪離れしており髪の色も自分達とは異なる色であったからだ。


「……」

「あ……っ! 失礼しました、私は大丈夫です!」


 その看護婦の反応を見て少し悲し気な表情になる少年、立花蒼士の顔を見た看護婦はバツが悪そうに少し俯き謝罪する。


「……そうですか、良かったです……あの、この部屋に島津義光上等飛曹が居ると聞いて来たのですが……」


 立花はあえて看護婦の反応には触れず部屋を見回しながら聞く。


「あ、はい! あ、居ますが居ません!」

「……え?」

「あ、いえ! 居るんですけど居ないんです!」

「……えーっと?」

「あ、あの……違うんです……えっと……その、そう! 脱走しました!」

「えっ!?」


 先程の自分の礼を失した行いにテンパってしまった看護婦はとんでもない発言をする。


 ……間違いでは無いのだが軍隊に在っては言葉の表現ニュアンスが最悪で有った……。


「こらこら看護婦さん、ちょっと裏庭に素振りに行っただけだからっ! その言い方じゃ島津上等飛曹が軍法会議にかけれちまうぞ!」


 そう声をかけて来たのは両足をギプスで固定され吊るされている壮年の軍人で有った、無論本気で言ってる訳では無いのはお道化た口調から伺える為、看護婦もテレて苦笑している。


「あ、ああ、成程……」


 漸く状況が飲み込めた立花もぺこぺこと頭を下げる看護婦に苦笑する。


 ・

 ・


 小高い丘に建っている海軍病院の裏庭はガーナカタルの雄大な山脈と自然を一望出来る場所で有り、入院患者の憩いの場としても使われている場所である。


 その裏庭の片隅に一心不乱に木刀をで素振りをしている島津は看護婦に見つかるとバツが悪そうに木刀を肩に置き苦笑する、その島津の左腕は二の腕の肘から先が無かった……。


「居たぁっ! もう、島津さん、そんな状態で運動するなんて傷口が開いたらどうするんですかっ!!」

「あちゃぁ、もうバレたかぁ……! ……! よう、蒼士、久しぶりだな、元気だったか?」


 ぷりぷりと怒りながら近寄ってくる看護婦に島津は悪戯がバレた子供の様に少し慌てるが、立花の姿を見つけると落ち着いた笑顔で見据える、だが対する立花の表情は暗い……。


「義兄ぃ、その腕……」

「ああ、まぁな、だが見ての通り刀も振れるし箸も使えて文字も書ける、何の問題も無いさ! まぁ流石に戦闘機の操縦は無理だがな!」


 努めて明るく振る舞う島津は迷い無くそう言い切るが立花の表情は暗いままで言葉を発する事も無く押し黙っている。


「……あー、えっと、それじゃあ私は行きますので島津さん、お話が終わったら包帯の交換しますから後で北棟の処置室に来て下さい、言っときますけどそれ以上の運動は禁止ですからねっ? これは没収します!」

「おっと! 分かった分かった、すまんね看護婦さん、後で必ず行くよ」


 看護婦はぷりぷりと怒りながら島津の手から木刀を奪い取るとその場を立ち去る、後に残された蒼士の表情は暗く俯いたままで有った。


「おいおい如何した蒼士?」

「……めん……」

「ん?」

「ごめん義兄ぃ、僕のせいで……っ!!」


 俯き拳を振るわせ押しつぶした声で辛そうに言葉を絞り出す立花。


「……そうだな、確かにこれ・・は隊長や俺の制止も聞かずに突っ込んだお前の行動が原因なのは事実だな……」

「ーーっ!」

 その島津の言葉を受け立花は身体をびくつかせ俯いたまま青くなる。


「だが俺は別にお前を恨んではいない、そしてお前の行動は無謀だったが結果的にその行動がヤマト隊の皆を守ったとも思っている、後ろで見てただけでも分かった、あの灰色XF4Uの操縦士は間違いなくコメリアの撃墜王エースだったと断言出来る、それをお前が引き付けたから被害が出なかったんだ」

「でもっ! 僕が隊長や義兄ぃの言う事を聞かずに突っ込んだから……っ! そのせいで義兄ぃの腕が……っ!!」

「確かに隊長の命令を無視したのは拙かったな、だがその罰はもう受けたのだろう?」

「……3日の懲罰房入り何て罰を受けた事にはならないよ!! 義兄ぃの腕は取り返しがつかない! 僕は取り返しがつかない失敗をしてしまったんだっ!!」


 立花は俯いたまま大粒の涙をぼろぼろと地面に落とし押し潰した声で叫び身体を震わせ嗚咽を漏らす。


 島津はそんな立花に歩み寄りそっと頭に手を置いた。


「やれやれ、ちっとは成長したと思っていたがまだまだ子供だな、そんなお前を置いて内地に戻るのは後ろ髪惹かれるぞ……」

「……ぅ、ふぐぅ……」

「日輪男児がめそめそ泣くな! 良いか蒼士、確かにお前は失敗をした、だがその結果俺が片腕を失った事は俺にとって重要な事じゃない、一番重要なのはその無謀な行動でお前自身が死ぬ可能性が高かった事だ、俺は千代(蒼士の姉)と政子さん(蒼士の母)にお前を守ると誓った、その誓いを守る為なら腕の一本や二本くれてやる!」

「……義兄ぃ……」


 島津は優し気な微笑を崩し真剣な表情で立花を見据え言い放つ、その言葉に涙で目を真っ赤にしている立花も顔を上げ、漸く島津と目を合わせる。


「傷痍軍人となった俺は内地に戻らないといけない、これからは近くでお前を守る事が出来なくなるんだ、だから、俺の腕の事を悔いているなら、復讐心に呑まれた無謀な行動は絶対にしないと約束してくれ、そうしてくれるなら、俺も腕を失った甲斐が有ると言うものだ!」


 そう言うと島津は右手を腰に当て歯を見せ笑う。


「……分かったよ義兄ぃ、僕はもう復讐心に呑まれた無謀な行動はしない、常に冷静に状況を把握して生き残り敵を落とし続ける、そして武家立花の人間として誰も僕や姉さんを間諜スパイ何て言えないくらいの武功を立てて見せるよ!」


 島津の力強い笑顔と言葉に、立花は漸く上を向き口角を上げると晴れやかな表情で言った、そこには迷いも焦燥感も無く力強い決意が浮かんでいる。


「ああ、男の約束だぞ! 俺は内地で千代と政子さんを守る、お前は安心して武功を立てて戻って来い!」


 その言葉に立花は強く頷き笑い合う、そして雄大な自然の景色の下、暫しの別れを惜しみ昔話に花を咲かせるのであった。


 ・

 ・


ーーーールング海軍病院・北棟処置室ーーーー


「……うぅ……病室に戻って他の人のお世話を先にって思ったらその人も脱走してたし……島津さんも全然来ないし……何で皆私の言う事聞いてくれないのぉ……? また先生に怒られちゃうぅ……グスン」


 病院嫌い束縛嫌いの海軍兵士相手に若き看護婦白衣の天使の受難は続く……。

 

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 ・

 ・


 ルング北の沖合い10kmに停泊する第十三艦隊各艦、年間を通して気温の高いガーナカタルの気候に艦上で作業する乗員達は手拭いで汗をぬぐいながらもテキパキと業務を熟している。


 第十三艦隊には連合艦隊司令部よりトーラクへの移動が下令されており、乗員達はその出向準備に追われているのである。


 然し作業をする乗員達の表情が明るく少し浮き足立っているのはトーラクでの休暇を楽しみにしているからで有ろう。


 ルングには未だ娯楽施設と呼べる物が無い為、皆娯楽に飢えているのだ。


 とは言え第十三艦隊は乗員の休暇の為だけにトーラクに移動する訳では無かった。


 先の戦闘で損傷した出雲の修理と最新鋭空母と合流し損耗した瑞雲と伊400型潜水艦に搭載する『晴嵐』を受領すると言う目的も有るのだ。


「艦隊1時方向距離45000に艦影を確認、第七艦隊と思われます、間も無く視認出来ます!」


 大和主艦橋の通信員の田村が電探レーダーの表示パネルを見ながら溌溂と報告する。


 それを受けて航海長の西部と正宗が艦橋前部に移動し双眼鏡を覗く。


「……あの艦影は紀伊型だよね?」

「そうですね、恐らく紀伊型だと思います」


 横に並び双眼鏡を覗く西部と正宗は互いに断言を避けた意見を述べる、流石にこの距離で断じる事は難しいようだ。


 暫く後、双眼鏡無しでも艦容を確認出来る距離にまで近付いた両艦隊の甲板要員達は互いの艦から手を振り合った。


 戦艦大和と武蔵そして紀伊と尾張、日輪帝国が誇る最新鋭戦艦4隻が此処に揃い踏みしたのである、乗員達の士気テンションが異様に盛り上がったのは当然の事であった。


 とは言え、この光景は束の間の事であった、第七艦隊は第十三艦隊の代わりとしてルング防衛に配備される、なので準備が終わり次第トーラクへ向けて出港する第十三艦隊とはこの場でお別れなのである。


 第七艦隊は第十三艦隊の横に並んで行きやがて停止する、そして超弩級戦艦2隻、重巡5隻、軽巡2隻に駆逐艦14隻と正規空母2隻、軽空母2隻を擁する大艦隊が一斉に投錨する。


 因みに第七艦隊に配備されている正規空母は翔鶴型を拡大発展させた雲龍型の三番艦昇龍しょうりゅうと四番艦の伏龍ふくりゅうであり全長360 mメートル、艦体幅61 mメートル(艦橋、側舷エレベータを含む全幅は71 mメートル)、最大速力55ノット、防御は側舷に最大厚110㎜、飛行甲板に220㎜の複合装甲を施し最大搭載機数は70機(露店駐機20機を含む)で電磁射出装置リニア・カタパルト2基を搭載し中央昇降機エレベータ2基と側舷昇降機エレベータ1基を装備する最新鋭航空母艦である。


 閑話休題……。


「各部署からの報告纏まりました、各部署共に欠員無し、健康状態異常無し、艦内設備も異常無し、以上報告終わります!」


 通信員の如月が各部からの報告を纏め熟れた口調で東郷に伝える、其処には最初のおどおどした雰囲気は全く無くなっており、その報告を聞いた東郷は静かに頷き艦長席に備わっている通信機マイクを手に取った。


「旗艦大和艦長より艦隊各艦に達する、是より我が第十三艦隊はトーラク東海域に向けて出港する、同海域にて本艦隊は輸送空母と合流し損耗した航空機と搭乗員の補充作業を行う、その後出雲の修理と物資補給の為トーラク泊地にて停泊する予定である、その道中敵の攻撃を受ける可能性は十分に有る、休暇をふい・・にされたく無ければ油断と慢心する事無く成すべき事を成せ、諸君等の働きに期待する、以上だ」


 マイクを通し東郷の威厳有る声が第十三艦隊の艦艇に響き渡る、その言葉に気を引き締める者も居るが浮き足立つ者も少なくは無い、東郷はそれを見越して全艦放送をかけたのであるがトーラクでの半舷休暇を期待している者達には逆効果だったかも知れない、だが然しそれが許される程の戦果を第十三艦隊が挙げているのも事実であった。


「司令、全艦出港準備整いました、指示を願います。 ……恵比寿司令?」


 反応の無い恵比寿に東郷が振り向くと椅子に座りながらスヤスヤと寝息を立てていた……。


「……司令、出港準備完了です、起きて下さい!」


 少しイラっとしたのか東郷が声を張って恵比寿に呼び掛ける。


「ーーうぁああ!? ナニナニナニ!? 敵襲っ!?」

「違います……出港準備が整いました、指示を出して下さい」


 危うく椅子から転げ落ちそうになりながらキョロキョロと狼狽える恵比寿を尻目に東郷が呆れ気味に言う。


「え!? ああ……なぁんだ、別に東郷君が指示を出してくれても良いのにぃ、同じ少将なんだしさぁ?」

「……恵比寿司令、まさか戦時特例で中将位を賜ったのお忘れなのですか??」

「……あーそうだったねぇ、紙切れ一枚での辞令だったから忘れてたよぉ……あはははは……は……」


 頭に手を当て笑って誤魔化そうとする恵比寿で有ったが東郷と十柄の冷ややかな視線にバツが悪そうに目線を逸らす。


「……司令、ご指示を……」

「え、えとぉ……何だっけ……? あ、そうそう、全艦出撃ぃ!!」 

「いえ出撃では有りません出港です」


 十柄が真顔でつっこむ、その表情には「ボケてんのかこのジジイ?」と言う心内が明確に浮かんでいる。


「じょ、冗談だよ冗談、やだなぁ最近の若い人は冗談が通じないからぁー……あーじゃあ、全艦トーラクへ向けてしゅっぱーつしんこー!!」

「……了解です、錨上げえ!!」

「錨上げよーそろ!」

「……両舷微速!」

「両舷びそーく!!」

「……」


 恵比寿は徐に椅子から立ち上がり人差し指をズビシッと正面に向け叫ぶが、皆の反応が余りにも淡白で淡々と進行していった為そのポーズのまま暫く固まっていた。


 ……とまれ、大和以下第十三艦隊の艦艇は一路トーラクへ向けて出港するのであった。

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