第9話:湯洛の守護神
1942年8月10日、夏の日差しが厳しい真昼のトーラク諸島は戦艦紀伊艦内の連合艦隊司令部にて、連合艦隊司令長官山本五十八は第八艦隊からの報告書に目を通していた。
「ふむ……此方の損失はほぼ皆無でこの戦果か、特に敵新型戦艦を駆逐艦一隻で大破に追い込んだと言うのは素晴らしいね、……これが
「夜戦の戦果ですから多少の誤差は有るでしょうが、ラウバル基地からの偵察機の報告ともほぼ一致します、損傷し退避する敵新型戦艦の姿も報告に上がっているので間違いはないかと」
第八艦隊からの報告書を胡乱げな表情でパサリと机に置く山本で有ったが、横にいた伊藤からの捕捉を聞いて再び報告書を手に取り読み始める。
「……ガ島(ガーナカタルの略称)に上陸した陸軍は押されているそうだね、出動に反対した手前言えた義理では無いけどね、出来れば巡洋艦や戦艦よりも輸送船を沈めて欲しかったものだよ、これ、全部陸軍からの苦情と支援要請の束なんだよね……」
そう言って第八艦隊からの報告書から目を逸らし、溜息を付いた山本が視線を移した机の端には書類の山が積み重なっていた。
「心中お察し致します長官、然し其れは其れとして第八艦隊が武勲を上げたのは事実です、ミッドランから落ちた士気を高める為にも、三川提督と神重大佐、そして駆逐艦雪風の艦長には勲章を授与されるのが宜しいかと……」
書類の山を前に眉を顰める山本に伊藤は穏やかな言葉使いでそう進言する、連合艦隊司令長官の副官と言うよりは執事と言った方が適正にも思えるその伊藤の佇まいに山本は眉を緩ませ苦笑する。
「ふむ、確かに、武勲を上げた者を称賛する事は重要だね、それじゃあ伊藤君、授与式の準備をお願いできるかな?」
そう言って山本は人の良さそうな笑みを浮かべるが目は笑っていない、其れに対して伊藤は含みのある笑みを浮かべると「了解致しました」と敬礼をして静かに退室していく。
「……ふぅ、さて、早期講和の見通しが立たなくなった今、どう終わらせたものかねぇ……」
目を伏せ机の上に両肘を付き、組んだ両手に額を乗せてぼそりと呟く山本、その表情には明らかな疲れの色が滲み出ていた……。
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紀伊艦内の私室で授与式の為の書類を纏めアタッシュケースに入れた伊藤は私室を出た所で護衛の兵士二人と合流し、すれ違う搭乗員達から敬礼を受けながら通路を進む。
そして護衛の兵士が頑強な鉄扉を開けた先には燦々と輝く南の島の太陽の光が降り注ぐ、トーラクの『夏島』から2キロ程離れた位置に停泊する戦艦紀伊の甲板上では白い天幕の下で涼んでている搭乗員達が伊藤の姿を見た途端立ち上がり敬礼する。
そんな搭乗員達に穏やかな表情で返礼する伊藤はやはり軍人然とはしておらず、何処か気品を感じさせる。
周囲には紀伊の他にも同型艦の尾張や
日輪軍の一大海軍拠点であるトーラク諸島は大小様々な島で形成されており、周囲を環礁で囲まれた穏やかな内海が泊地に適している。
特に大きな四島『春島』『夏島』『秋島』『冬島』は『四季島群』と呼ばれ、西に点在する『曜島群』と合せて群島を形成している。
夏島には日輪人が多く移住し日輪料亭等も存在する5000人規模の街『ロノアス市』と『
トーラクは戦前から日輪の委任統治領であり有数の観光地でも有った。
透き通る青い海、シルクの様な白い砂浜、宝石と見紛う色とりどりのサンゴ礁、燦々と輝く太陽が落ちれば心を癒す夕日が現れ、それが沈む頃には夜空に輝く満天の星空が広がるのだ。
海外旅行があまり盛んで無かったこの時代においても、日輪人が一生に一度は訪れてみたいと願う観光地の一つであった。
然し今は、青く透き通った海には無骨な軍艦が浮かび、燦々と照りつける太陽の下を無粋な騒音を立てて軍用機が飛び交う、その光景を眺めながら伊藤は僅かに溜息を洩らし舷梯を降りていくのであった……。
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紀伊と尾張が停泊する夏島から少し離れた春島に近い位置に停泊している巡洋艦と駆逐艦と思しき艦が在る。
流れる様な流線型の艦体に
出雲は大和を細くした(正確には大和が出雲を太くした)艦容で在り、島風は兵装と上部建造物の配置は陽炎型と同じだが、艦体形状が全く違う、言うなれば『出雲を駆逐艦にした様な』と表現するのが一番楽な形容方法であろう……。
出雲の艦橋内は大和と同じレイアウトで作られているが当然ながら広さは一回り小さい、しかし戦闘時の意思疎通には適した広さであり、その観点から考えると大和の艦橋は広すぎるかも知れなかった。
「艦長、湯洛鎮守府より我が『第十三艦隊』にラウバル輸送船団護衛任務が発令されました!」
「ふむ、了解した、恵比寿司令は
通信員から報告を受けた二十代半ばの青年は出雲の艦長、『
「しかし、また輸送船
そう自嘲気味に苦笑しながら愚痴るのは副官の『
「そう言うな、空調規制の無い快適な生活をしている
佐藤がすまし顔で微笑むと菅田は「確かに……」と肩を竦め苦笑する。
「失礼致します、艦長、司令をお呼びしたのですが……『あー、うん、責任は持つから佐藤君に全部任せるって伝えといて、じゃ宜しく~』と扉越しに言われまして……」
恵比寿司令を呼びに行った兵士は少し狼狽えながらも敬礼し恵比寿の言葉と思しき内容をそのまま報告する。
「あんの
「まぁ何時もの事だ……それに、確かに私が指揮を執っても問題ないしな……」
部下の報告を受け菅田は眉間にしわを寄せ拳を握りしめ、佐藤は困ったように微笑し、その佐藤の言葉を受けると菅田も苦笑する。
「艦長より達する、是より本艦はラウバル輸送船団の護衛任務に入る、総員配置に付け! 機関動力接続、錨上げっ!」
佐藤が指示を出すと出雲艦内でブザーが鳴り響き、錨が金属音を立てて巻き上げられ艦橋内のクルーは素早く動く、通信員達は艦内放送で総員配置を告げ、機関室等の各部署へも連絡を入れる、電探員や聴音手は素早く装置を起動させる。
「機関接続完了、総員配置良し! 各部確認異常無し!」
「よし、出発だ、
「
佐藤の指示によって出雲が動き出すと島風も其れに追従して移動を開始する。
第十三艦隊(と言っても出雲と島風の2隻だけだが)が北回りで『四季島群』と『曜島群』の中間辺りに移動すると2隻の給力艦と6隻の
出雲と島風が停船し錨を下ろした事を確認すると2隻の給力艦が側面推進機を駆使して其々出雲と島風に近づき横付けする。
すると2艦はすぐさまクレーンアームで太いホース(20㎝砲位の太さ)を出雲と島風の後甲板に持っていくと、出雲と島風の乗組員達が誘導し素早く給油口の様な設備にホースを接続した。
更に給力艦の反対側には
「本艦、島風共に給力
「ふむ、機関接続、出力口に動力伝達!」
「了解です、艦橋から機関室へ、機関接続、出力口に動力伝達!」
佐藤の指示を通信員が素早く機関室へ伝えると、出雲と島風の機関員達が慌ただしく動き始める、蒼燐核動力炉に
「はぁ……巡洋艦と駆逐艦が
菅田が艦橋窓から見える
蒼燐核動力炉『
そもそも、ここ一年半のトーラクへの粒子供給は給力艦を通して出雲が行っているので、この光景は当然の帰結であると言える。
因みに八刀神景光には出雲と島風が
それは辺境の基地を与る者としては当然で、出雲と島風の存在は超小型とは言え蒼燐核動力炉が海に浮かんでいるのと同義だからである。
即ちそれは出雲と島風どちらか一隻でも有れば燃料の心配をする必要が無い事を意味し、もし出雲と島風が蒼燐核動力炉非保有国の手に渡れば、その国の経済は根底から覆る代物なのである。
つまり、それを軍艦に積んでしまった景光の行動は政治や戦略を知る者からすれば常軌を逸した正気を疑う行為に他ならず、山本が景光を危険視するのは常識的な軍の指揮官として至極真っ当な思考であると言える。
閑話休題。
3時間程で供給作業は終わり出雲と島風は給力艦のホースから解放される、その後艦隊は2つに分かれる、南に向かって進路を取る艦と、その場に留まる艦である。
まず
「『
名取からの通信を受け通信兵が笑顔を引き攣らせながら恐る恐る佐藤と菅田の表情を伺うと案の定、菅田は怒りに打ち震えている。
「……ふむ、ならこちらも返信をせねば不敬に当たるな、『ご厚意に甘え、湯洛にて英気を養う、貴艦が入渠すれども我らが基地を護る故、心置きなく任務に邁進されたし』、と伝えてくれ」
そう言って満面の笑みで微笑む佐藤に通信兵からは既に笑顔が消え引きつった表情だけが残されていた……。
その通信直後、名取の艦尾砲が僅かに妙な動作で動き、艦が蛇行したが名取艦内で何が起きていたかは航海日誌が無造作に破かれていた為不明である……。
「行っちゃいましたね……」
「ああ……」
後に残されたのは出雲と島風に給力艦二隻だったが、これは何時もの事であった、第十三艦隊には拠点防衛と称した温存策が取られ、護衛任務とは名ばかりの今回の様な燃料供給に従事しているのである……。
その為、二年前の竣工以降、血気盛んな者は次々と出雲から転属願いを出した為、ひめゆり出陣以降は次々と女性兵が配属され、出雲では一割、島風に至っては5割が女性兵となっていた。
そんな第十三艦隊が日の目を見るのはもう少し先の話である……。
~~《
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