第37話 エピローグ

「ナディア、コッチ実ガナッタヨ」

「あら、一週間見ない間にこんなに。パールちゃん、教えてくれてありがとう」


 クロヴィス殿下と婚約してから二か月、私は堂々とマスカール家の温室で薬草の手入れをしていた。お父様たちの存在に怯えることなく、気兼ねなく出入りしている。



 実はもう本邸にお父様たち家族は住んでおらず、管理の権限が私に譲られたからだ。


 私が社交界デビューをした後日、お父様たちはいつも通り他家のパーティーへ参加しようとしたところ、門前払いされてしまった。


 伯爵家の参加を今更拒めない爵位の低い家のパーティーに参加したものの、参加者からは冷たい視線や蔑みの陰口をもらうという屈辱を受けた。

 もちろんお義母様やジゼルがお茶会を主催しても、まともな催し物にはならなかったのは当然で。


 夜会デビュタントの効果は歴然だった。

 婚約を認めれば無罪放免と思っていた彼らは、さぞかし驚いただろう。気付いたときには既に社交界から完全に孤立しており、お父様たちは屋敷に引篭ることを選択した。

 けれども災難はそれで終わらなかった。


 イタズラ禁止令を受けていた妖精たちだったが、クロヴィス殿下から自由にしていいと許可が出たことでやりたい放題。マスカール伯爵家の屋敷の中で怪奇現象が多発し、それはお父様たち親子の周りだけで起きる。


 クロヴィス殿下の不況を買い、呪われた――と恐れたお父様たちは早々に領地に引っ越していったのだ。


 だから私は安心して少なくても週に一度は王宮から温室に通っている。薬草の手入れはもちろん、一番の目的はパールちゃんに会うため。

 パールちゃんは温室がそのまま残ることをとても喜んでくれて、本当に良かった。

 ちなみに私が来れない日は、紹介してもらった庭師の方が水やりなどをしてくれている。



「おい、薬草はこれだけ摘めばいいのか?」

「ありがとうございます。それにしても、クロヴィス様は休んでいらしたらいいのに」

「気晴らしにちょうど良いんだ」



 私は薬草が入ったバスケットを受け取り、クロヴィス様を見上げた。

 関係者以外は近づかないよう厳命してあるので、彼は仮面はつけず素顔を晒している。



「でもお疲れになったのではありませんか? お茶にいたしましょう。温室と庭のどちらがいいでしょうか?」

「もちろん温室が良い」

「ではそのようにしますね」



 今ではクロヴィス様も隔週で温室に足を運ばれ、手伝いをしてくれたり、ベンチで仮眠をとりながら私が終わるのを待ってくれている。


 守護者の仕事の傍ら、伯爵家の経営状況の確認をするために屋敷の執務室を訪れたりして、彼は多忙だ。

 実際には領地経営に関しては、お父様に領主代行としてしばらくは働かせるつもりらしい。クロヴィス様の目が光っているので、小心者のお父様が不正をすることはないはず。



 けれど、それでは私はただクロヴィス様に守ってもらってばかりで、結局は彼の負担だけが増すだけ。

 私は母が亡くなってから止まっていた淑女教育の再開と共に、経営の勉強も始めた。法律についても学ばなければいけなく、正直頭がパンクしそう。

 その分やりがいを感じているし、彼の支えになれると思ったら頑張れる。


 あと私は、国王陛下から軟膏と美容クリームの研究をするよう命じられた。妖精に関わるものを後世に伝えるために必要で、特に軟膏は医療にも使えると注目してもらっている。

 研究は薬師の愛し子がいるので、その方の助手として関わっていく予定だ。今日の薬草の収穫や手入れはその一環でもあって、支援金も頂いてしまった。



「ナディア様、お屋敷にお手紙が届いておりました」



 研究棟に入ると、新しくつけられた侍女ミレーヌが手紙を渡してくる。

 彼女はなんとアスラン卿の妹で、紹介されたときは一族の貢献度の高さにただ驚いた。



「ありがとうございます。すみません、これからお茶をするからポットを温めておいてくれませんか?」

「かしこまりました。お任せください」



 笑顔が素敵なミレーヌに準備を託し、私は封筒の裏を確認する。差出人はお父様の父――先代の伯爵で私のお祖父様からだった。

 当主の座を渡すとき女癖の悪いお父様を既に見放しており、その過程で私も放置していたのだけれど、今回火の粉を被るのを恐れ味方に付いてくれた人。

 こうやって監視役として、定期的に報告書を送ってくれている。



 経営について学び始めてから知ったことだけれど、マスカール伯爵家の領地は王都から離れており、緑豊かで農業が盛んな土地。お陰で伯爵家の資金は潤い、他家と比べても裕福だ。

 クロヴィス様が婿入りすることで、国は重要な食料拠点のひとつを掌握したとも言える。その有益性は、とても大きいらしい。



 そんな領地は平和ではあるけれど、王都と比べれば華やかさに欠ける場所。


 人気の仕立て屋は呼べないし、楽しい夜会もお茶会もない、最新のものを取り寄せるのにも一苦労。娯楽施設もないに等しい。

 使用人はすべてお祖父様の息のかかった者ばかりだから、今でのように好き勝手もできない。

 

 そんな環境にお義母様は不満を溜めているようだけれど、私に文句はひとつも寄こさない。牢よりマシだと考え、苛立ちながらも我慢しているらしい。



 けれども、ジゼルは違ったようだ。

 生まれたときからずっと甘やかされ、つねに流行を追い、優雅な生活をしていたジゼルは早々に耐えられなくなったらしい。


 私に対して「王都に戻らせてくれるのなら、社交界のことを教えてあげるわ」という上から目線の手紙を送ろうとして、お祖父様が止めたという内容も書かれていた。


 使用人のような扱いもしていないし、平民よりも贅沢な生活を保障しているし、お父様たちと離れたくないと一緒に領地に引っ越すことを決めたのは彼女だというのに――



「お仕置きをしておく……って、お祖父様は何をするつもりかしら」



 少し気になったものの、もう関係ないと手紙を鞄にしまってお菓子を皿に並べることにした。



「お待たせしました」



 少し遅れて温室に戻ると、すでにクロヴィス様はベンチで寛いでいた。

 温室内は温度と湿度が高いため暑いのだろう、ジャケットは脱いでシャツの首元のボタンは外されていた。首筋やチラリと見える鎖骨がなんとも色っぽく、何度も同じ状況を経験しているのに未だ直視できない。



「良い香りだな」

「王妃殿下に良い茶葉を分けてもらったのです」

「なるほど、どおりで」



 彼が好きな紅茶を濃い目で淹れる。私には苦いのでミルクと砂糖を入れる。お菓子の皿もテーブルに置けばお茶の準備は完了だ。

 するとクロヴィス様は「待ってました」とばかりに、エメラルドの瞳を輝かせてご自分の膝を軽く叩いた。



「――っ」



 膝に乗れ、という合図。

 婚約者になってから彼は益々遠慮がなくなっている。温室は人払いされ、ふたりきりということもあって、止めてくれる人は誰もいない。パールちゃんや妖精たちの姿も見当たらない。


 私はたっぷり深呼吸してから、戦いに挑む気持ちで「えいっ」っと横向きでクロヴィス殿下の膝に乗っかった。

 すぐに腰に手が回され、しっかりと固定される。 落ちないようにするためか、逃がさないという意味なのかは分からない。

 ただ彼の高めの体温が伝わってくるので、嫌でも触れているとこを意識してしまう。



「くく、相変わらず顔が赤い。今や社交界では狂犬の調教師なんて言われているのに、実際は初心うぶな乙女だな」

「クロヴィス様のせいですわ」

「あと四か月で挙式だ。その後のことを考えると、これくらいの触れ合いには慣れて欲しいところなんだが?」



 そう言いながら流れるようにこめかみにキスをするものだから、私の顔は更に熱くなるばかりだ。

 最短で婚姻を結ぶ計画を立ててくださったけれど、それだけ私を求めてくれているのは嬉しいけれど、顔が赤くなるのはどうにもならない。


 一方でクロヴィス様は器用に私を支えつつ、空いた手でティーカップを傾け優雅に紅茶を飲んでいる。

 彼も異性の交流や経験は私と同じく浅いと聞いていたのに、この差は何なのかしら――何だか悔しくて面白くない。反抗心の芽が心の中ですくすくと育つ。

 彼のティーカップがソーサーに置かれたタイミングで、膝から降りて隣に座り直した。



「ナディア?」

「次はクロヴィス様の番ですわ。頭をこちらに!」



 そう言って私は自分の膝をポンポンと叩いた。

 必殺・膝枕攻撃だ。王妃殿下が「殿方って意外と子ども扱いに弱いのよ♡ 実は陛下もね――」と言っていたので、今こそ試すときだろう。


 クロヴィス殿下は私に膝を見つめて固まってしまわれた。そうして数秒後コロンと仰向けになるように横たわり、淡い金髪が膝の上で広がった。

 ずっしりと頭の重みを足が受け止める。彼の端正な顔が良く見える。照れているのか視線は合わないし、ほんのり耳が赤いように見える。


 恥ずかしがっている……やり返したわ!


 心の中で二度目の勝利の拳をあげようとしたとき、底光りしたエメラルドの瞳が私の瞳を捉えた。

 久々に睨みつけるような視線を受けて、思わず姿勢を正す。



「俺が理性を持つ人間だということに感謝するんだな。挑発したこと覚えていろよ?」

「え?」

「四か月後……どうしようか?」



 厳しい顔つきから一転、彼は私の髪をひと房掴むと毛先に口付けしながら、妖艶で不敵な笑みを向けた。


 悪戯心を見抜かれた上に、私は踏んではいけない仕掛けを思い切り踏み抜いてしまったらしい。逃げようにも、膝の上には彼の頭が乗っているので立ち上がれない。完全に墓穴を掘ってしまった。

 恥ずかしい。



「まぁ……誰の入れ知恵か分からないが、感謝するか。コロコロ変わるナディアの可愛らしい表情を眺めたまま、頭で君の温もりと柔らかさを感じながら寝るというのは実に良い時間だ」



 とても破廉恥に聞こえて、堪らず両手で顔を覆う。



「クロヴィス様は意地悪ですわ」

「ふ、言っただろう? どれだけ俺が君を愛しているか思い知らせてやるって」



 こうして今日も私は、返しきれないほどの彼の愛に困惑するのだった。

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身代わりの生贄だったはずの私、狂犬王子の愛に困惑中 長月おと @nagatsukioto

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