第36話 シンデレラの望み(4)
「旦那様っ、何か方法はありませんの!? 旦那様が当主ではなくなったら……わたくしたちは一体……」
署名しようとする手を掴み、お義母様がお父様に縋る。クロヴィス殿下が当主になればただでは済まないと思えるほど、立場が悪いことは自覚しているらしい。
「マスカール夫人、勘違いするな。伯爵を止めたとしてもお前たち三人とも投獄して、こちらで空席を作るのは造作もないことなんだ」
クロヴィス殿下は傷のついた手のひらを見せた。
「自分たちに選択肢があると思うなよ? あえて同意を得て、回りくどいことをしているのはナディアの恩情があるからだ。それがなければ、とっくに俺はお前らを光のないところへぶち込んでいるところだ」
「ナディアが恩情……?」
お父様たち三人の視線が私に向けられた。
私は短く息を吐いて、見据えた。
「投獄してしまったら、三人とも離れ離れになってしまうでしょう? きちんとした家族を引き裂くなんて酷いこと、私にはできませんわ」
「ナディア……!」
「そう、気まぐれで熱いお茶をかけて火傷させたり、叩いたり……自分の欲望のために睡眠薬を使ってまで邪魔したり、ましてやそれを見て見ぬふりして平然と笑って家族ごっこができるような、人として酷いことなんて」
そう、あなたたちのようにね――と冷たい視線を嘆かれれば、三人とも喉を詰まらせた。
復讐をしたくないと言ったら噓になる。けれど彼らと同類になるのは、忌々しい。私は別の方法で悔いてもらうことを選択した。
「私はクロヴィス殿下の誘いを受け、まずは王宮、結婚後は緑の館で暮らします。あなたたちは、これまで通り仲良くやっていてかまいません。ただ私に金輪際関わらないでください。近づかないで、話しかけないで、可能なら姿を見せないで……それだけで良いのです」
「ナディアが緑の館に移るということは、屋敷内で顔を合わすことはない……私たちは本邸に住んだままで良いということか?」
「えぇ、お父様の言う通りです。どうぞお好きに」
特段のお咎めがないことを知った三人は、あからさまに安堵の表情を浮かべた。
そしてお父様は素直に婚約の同意書にサインしたのを見届け、私もようやく安堵した。
資産の利用や使用人の雇用・解雇など、これから何かをするときは毎回次期当主のクロヴィス殿下に確認しなければならない。
これで屋敷を離れても勝手に温室と研究棟が壊されることはなくなった。温室の管理は王宮から庭師を紹介してもらい、代行管理してもらう予定。
そう……クロヴィス殿下は温室を守るためだけに、婿入りを決めてくれたのだ。
「確かに、これで俺とナディアは正真正銘の婚約者だ。挙式は半年後、それ以降伯爵家の権限は全てナディアと俺に譲渡される。それまでに精算できることは済ませておけ。マスカール伯爵、良いな?」
「はい」
「下手なことをすれば、次こそこれを使うかもな」
クロヴィス殿下は立ち上がり、テーブルに乗せられたこれまでの証拠の紙を回収した。
「怯えながら暮らしてくれよ?」
「――っ」
その言葉に震えあがった三人は、王家が手配した馬車で屋敷へと送り届けられた。
私はひとり立ち上がり、改めて協力してくれた方たちに頭を下げた。
「国王陛下、王妃殿下ならびにクロヴィス殿下におきまして、この度はマスカール伯爵家がご迷惑をおかけしただけでなく、私の我がままにつき合わせてしまい、大変申し訳ございません。それ以上に協力してくださったことに、深く感謝申し上げます。私にできることがございましたら、何なりとお申し付けください」
そう言うと真っ先に声をあげたのは王妃殿下だった。亜麻色の髪に、エメラルドの瞳を持ち、クロヴィス殿下と似た容姿をお持ちの綺麗なお方だ。
「そんなにかしこまらないでくださいな。クロヴィスがあなたを求めた結果に過ぎませんのよ。むしろ、わたくしたちがナディア様に感謝しているの」
「私にですか?」
「クロヴィスの前に現れてくれて、本当にありがとう。大切な息子に愛する人ができて、王妃として母として嬉しく思っているの。どうか、家族としてこれから宜しくお願いしますね」
「王妃殿下……ありがとうございます!」
柔らかい笑みを浮かべる王妃殿下の肩を抱きながら、国王陛下も私に言葉をくださる。
「余らは妖精の存在を認識することが難しく、正直クロヴィスに寄り添えないことが多かった。そんな中、同じ愛し子であるナディア嬢が現れたことは運命だと思っている。どうか、不器用な息子に寄り添ってくれないだろうか?」
「もちろんでございます。私ができることがあるのなら、全てをクロヴィス殿下に捧げると誓います」
「これはクロヴィスに負けず劣らず情熱的な回答だ、くくく」
国王陛下が肩を揺らして、笑いをかみ殺す。
クロヴィス殿下らいつも甘く直球な言葉をもらっていて、感覚が麻痺しているみたいだ。恥ずかしい。
それから部屋を移し、王太子殿下と妃殿下、末姫である王女殿下とも挨拶をかわした。皆とても優しく、私を歓迎してくれた。
隣ではクロヴィス殿下がずっと微笑まれていて、幸せだと伝わってきた。私の気持ちもふわふわと温かくなり、これが夢心地というものなのでしょうね。
その晩から私は王宮の一室を借りることになった。案内された部屋は王宮に残してあったクロヴィス殿下の私室だった。
落ち着いた色で統一された調度品と、シンプルな装飾。けれども窓際には妖精が好む植物の鉢植えが並び、実に彼らしい部屋だ。
もう二年ほど使ってないらしいが、家族思いの国王陛下がいつでも使えるようにしてあったとのことだ。
「こんな立派なお部屋を使って宜しいのでしょうか?」
私は部屋を眺め、感嘆のため息を漏らした。
「俺の爵位は下がるが、ナディアが王子妃になることは変わらない。警備上、王族のエリアにいてくれた方が安心だ。それに……自分のテリトリーにナディアがいるのは気分が良い」
クロヴィス殿下は後ろから包み込むように抱きしめ、クスリと笑った。
次は何を言われるのだろうか、何をされてしまうのだろうか――と身構えたものの、あっさりと腕から解放された。
思わず確認するように、彼を見上げてしまった。
「明日からまた甘やかしてやるから、そんなに物欲しそうに見るな」
「あ、いや……その」
カッと発火したように顔が熱くなる。期待していたわけじゃないけれど、少し物足りないと思ったのも本音で、見透かされたのが恥ずかしい。
「ふっ、本当はまだ一緒にいたいが、もう休んだ方が良い。ナディア、今日は頑張ったな。明日から君の世界は明るく変わる――おやすみ、良い夢を」
「はい、おやすみなさいませ。クロヴィス様も良い夢を」
そう返し、私は背伸びをしてクロヴィス殿下の頬にキスをした。
恥ずかしいけれど、彼が愛を真っすぐ伝えてくれることが嬉しくて、少しでも返したかったから。幼稚なキスだから、どれだけ返せているか分からないけれど――そう思いながら、顔を離した。
すると目の前には瞠目し、頬に朱をさしたクロヴィス殿下の顔があった。
「クロヴィス殿下?」
「俺の部屋で、ふたりきりで、しかも夜で……っ」
口元を手で覆い、眉間にグッと皺を寄せブツブツと言いながら、彼は「さっさと寝ろよ!」と言って足早に部屋から出て行ってしまった。
「照れたのよね?」
これは私の勝ちではないだろうか。攻めることは得意でも、攻められることは苦手と見た。
部屋でひとり、天に向かって初勝利の拳を掲げた。
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