第22話 甘すぎるデートに暴かれて(1)

 デートの約束の日、私は落ち着かず何度も鏡を覗き込んでいた。



「平民ってどんな髪型と化粧をするのかしら」

「大丈夫、ナディア、可愛イヨ」

「本当? 服はこの服で大丈夫かな?」



 服装は緑の屋敷に出仕たばかりのときに来ていた掃除用のワンピースを指定され、その中でも生地の傷んでいないものを選んだけれども、メイドより質素な服で恥ずかしくないかしらと心配にもなる。


 正直、初めての街へのお出かけが楽しみで浮かれてしまっている。


 お父様たちが街へお忍びで出かけるとき、ジゼルがはしゃいでいる姿を見ているだけだった。

 ずっと羨ましいと思っていたところに行けると思うと、どうしてもじっとしていられない。

 するとコンコンと扉がノックされる。開ければ妖精がお迎えに来てくれていた。



「パールちゃん、今日もお留守番? 一緒に行こう?」



 パールちゃんも屋敷の外に出たことがないはずだ。そう思って誘ってみるが、彼女は首を横に振った。



「行カナイ。クロヴィス様ト、デートノ邪魔デキナイ」

「そうだったわ……デートだったわ」



 このままではクロヴィス殿下のことを好きになってしまう――と考えないようにしていたけれど、外出の目的がデートだということを思い出し顔に熱が集まってしまった。



「ナディア、クロヴィス待ッテル」

「う、うん」



 妖精に催促され、顔を手で仰ぎながら裏門の馬車のところまでかけていった。

 平民の街に行くのでいつもより質素な馬車で、馭者席に座るアスラン卿も私服姿だ。

 いつものようの穏やかな表情で挨拶を交わせば、気持ちも落ち着いてくる。


 けれど、馬車の中で待っていた彼の姿を見たら、顔を冷やそうとした努力は簡単に水の泡と化した。



「おはよう。やはり何を着ても可愛いじゃないか」

「は、はひ!?」



 開口一番にクロヴィス殿下に甘く褒められ、思わず声が裏返ってしまった。

 覚悟しておけよとは言われたけれど、数日何もなかったので油断していたわ。狂犬と呼ばれているのが信じられないくらい、噂と人が違う。



 いつもと同じように隣に座るが、質素な馬車だから少し狭いせいで足同士が触れてしまっている。

 黙っていたら意識しすぎて、これまでの時間稼ぎが無駄になってしまいそうだ。



「クロヴィス殿下はそのままのお姿で街に出られるのですか?」



 彼の服装は私に負けないくらい質素でシンプル。

 けれども淡い金色の髪と偽の傷を施していない整った素顔を見れば、どんな服装をしていても高貴な人にしか見えない。



「これを被るつもりだ」



 そう言って正面の席に置いてあった鞄から藍色の毛先に癖の付いたカツラを取り出し、頭に被ってサッと整えた。髪色と髪型が違うだけで全く印象が変わってしまった。



「髪色も違うし、傷もない。顔も笑っていたら、誰も俺が狂犬王子だなんて思いもしないさ」

「ずっと笑っているおつもりですか? 大変ではありませんか?」



 ずっと演技で表情を作ることが負担になりそうで、心配したのだけれど……



「今日はデートなんだ。勝手に笑顔になるというものだ」



 上機嫌で返されてしまい、私の胸はまたもきつく締め付けられる。

 これ以上言葉を交わせば、黙っているよりも心臓に悪そうだ。街に着くまで、私は窓から景色を眺めて、足から伝わる温もりから意識を逸らそうと努めた。



 屋敷から街までは王宮へ行くよりも近く、馬車という密室から早く解放されて胸を撫でおろした。

 まだ手なら大丈夫……そう思ってクロヴィス殿下の手を借りて馬車を降りれば、騒がしい人波の景色に息を飲んだ。


 通りには屋根だけのテントが色とりどりで並び、目の届かない先まで人がいる。今日は快晴で、太陽の明るさのせいもあって熱気が強く伝わってくる。



「これが街ですか?」

「ここは露店街だ。怪しいものや紛い物も多いが商品の種類が豊富で安い。新鮮な食材も流通していて、市場の機能もはたしているところだ。ここはお忍び初心者には難易度が高いから、今日はこっちの商店街の方へ行くぞ」



 クロヴィス様が私の肩をそっと抱くようにして、人の群れから守るように通りを横断していく。

 ひとつ奥の通りに入ると大小様々な石造りの建物が並んでいる場所に出た。露天街ほどではなくても人は多く、けれども先ほどよりも落ち着いた雰囲気だった。



「ナディア、見たいものや欲しいものは考えてきたか?」



 貴族だと隠すためだけれど、敬称がないだけで耳がくすぐったい。



「はい。お菓子作りの道具を売っているお店はあるでしょうか? アスラン夫人とクッキーの型の種類を増やしたいと話していたんです。なので見てみたいなと思いまして」

「分かった。こっちだ」



 クロヴィス殿下の手が肩から離れると私の指に絡められ、歩き出す。



「あ、あの」

「恋人同士に見せていた方が人に絡まれなくいし、何かあったときに守りやすい」

「……わかりました」



 安全のためなら仕方ないと、恥ずかしいけれど従うことにした。

 案内されたキッチン雑貨店は調理器具から食器まで取り扱う大きなお店だった。目的のクッキー型もたくさん種類があって目移りしてしまう。



「可愛い……」



 特に動物の型がたくさんあって迷ってしまう。アイシングでデコレーションをしたい、とアスラン夫人にお願いすれば教えてくれるだろうか。

 たくさん並べたらお皿の上で可愛らしい動物園も作れそう。

 それを食べるのは妖精だけでなく、クロヴィス殿下やアスラン卿、他の護衛騎士たちもいる。失礼だけれど、凛々しい殿方が可愛らしいクッキーを摘まむ姿は微笑まし時間になるだろう。



「ふふ」

「何を想像しているんだ?」

「これでクッキーを作って皆様とお茶会が出来たら素敵だなと」

「なら全部買おう」

「え?」



 私が驚いている間にクロヴィス殿下は店員に声をかけ、全種ひとつずつ注文してしまった。

しかも費用はクロヴィス殿下持ちだ。



「私が払います」

「館の厨房で使い、俺の口に入るのなら俺が払って当然だ。他に使いそうなものがあれば気にせず買え。高級な宝石じゃないんだ。この店ごと買ってもなんら懐は痛まない」

「さすがですね」

「その代わり、きちんと作って食べさせてくれよ?」



 純粋にお菓子を楽しみにする無邪気な笑顔は、王子ではなく普通の青年のようだ。

 本当にはじめからこの調子で私は大丈夫かしら……顔が熱いのは、良すぎる天気のせいだと思いたい。

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