第21話 本音と葛藤(3)
◆クロヴィス視点
街に出かけると約束をしたその日の夕方、ナディア嬢を緑の館から見送ったあと俺は王宮へ向かった。
偽のやけどの痕ではなく、今回は鏡から見て顔右半分が隠れる仮面をつける。
正門ではなく王族の私的な出入り口に馬車を止め、ブランデーの瓶を片手に降りた。護衛ひとりを連れて廊下を闊歩すれば、俺を見るなり貴族や使用人は目を合わせないよう深々と頭を下げ、ある者は陰に隠れた。
これが社交界での普通の反応だ。
夜会で貴族に対して不正を追及し、逆切れして暴れたので顔面に酒瓶を殴りつけたことがあった。
その事件は一番有名で、俺が剣を持つよりも周囲は怯えた顔をしてくる。
更にわざとらしく周囲を睨み回すように眺め、歩調を遅くする。「俺は見ているぞ」という警告をすることで、肝の小さい者の横領といった誘惑に傾きそうな気持ちを削ぐことができる。
しかし小物かつ王宮に出仕している者にしか通用しない。
王宮の外の貴族を牽制あるいは制圧するには情報が必要になり、内密にとなると時間がどうしてもかかる。
それはナディア嬢の生家マスカール伯爵家も含まれている。
「エルランジェ第二王子クロヴィスです。陛下にお目通り願います」
重厚な扉が開かれると、国王であり父上が私室で寛ぐ姿が視界に入った。
長く淡い金髪を肩口で束ね、俺よりも深い緑色の瞳、俺とは違い男らしい精鍛な顔つきで、肩幅のある体躯のいい男がこちらを見て微笑んだ。
扉が閉じるのを確認してから、仮面を外して俺も相好を崩した。
「父上、どうやら仕事が落ち着いたようですね」
ブランデーの瓶を見せると、父上はニヤリと笑ってみせた。
「やぁ、クロヴィス。もう埃は全て集めたつもりだよ」
見た目とは違い口調は柔らかく、包容力がある人柄のお陰で側近からの人望は熱狂的なほど高い。
その父上が執事に目配せをすると、俺の手元に分厚い資料の束が渡された。
勝手にソファに腰を掛け、一枚ずつ確認し、俺は口元に弧を描く。妖精で情報は集められても物的証拠は集められないため、父上に助力を仰いでいた。
「ありがとうございます。いつでも彼女を伯爵家から手に入れることができます」
伯爵家はナディア嬢に対して、傷付けることに躊躇がない。縁談をこちらから申し出ることで、何かしら彼女を利用する可能性もある。
そうすれば彼女は縁談に後ろめたさを感じてしまうだろう。それを阻止したい。
俺は欲張りだから純粋な気持ちだけが欲しい。
「すっかり夢中だね。いつ決行するつもりだい? 賢者が認めた時点で求婚はしたんだろう?」
「……残念ながら、保留中です。俺に対して全く下心なく出仕していたようで、酷く困惑させてしまいました。伯爵家に動きがない間は、ナディア嬢の意志が固まるまでもう少し待つつもりです」
「なるほど。純粋ゆえか、過去のトラウマゆえか……今後の伯爵家をどうするかは彼女次第なところはあるからね。まぁ、好きにしなさい。王家としてはどっちに転んでも利益があるように道は整え終わっているのだから」
父として寛大さもありつつ、感情に流されず国の損得を見極められる姿はやはり一国の主という風格がある。
裏切りに過敏になっていた俺ははじめ、不正を犯す貴族みなに噛みつこうとした。それを父上に止められ、喧嘩もした。
だが大局的な見地を見定めなければならないと教え込まれ、今はその意味がよくわかる。
今回の件も表面上の解決はすぐにできた。
けれども俺とナディア嬢の気持ちを汲んで待ってくれている。
父上には尊敬の念が絶えない。グラスにブランデーを注ぎ、手渡した。
「いつもありがとうございます。どうぞ」
「良い香りだな。しかし時間はかけすぎない方が良い。情報は鮮度が命だからね」
「承知しております。なので明後日、デートに誘いました。緑の館を留守にします」
守護者が緑の館を長時間開けるときは報告義務があるため、簡潔に伝える。
うっとりと金色の水面を揺らしながらグラスを見ていた父上の目が、真剣な眼差しに変わった。
「良いかい? ファーストデートの出来は結婚後も伴侶の記憶として残る重要な戦略的行事だよ。準備は抜かりないね?」
どうやら母上とのデートで何かあったらしい。
しかし息子として両親の初デートについて聞くのは複雑な気分だ。流そう。
「大丈夫です。安全で女性が好みそうなお店は既にいくつかピックアップしてありますし、護衛の配置も妖精の協力も打ち合わせ済みです。王宮からしていただくことはありません」
ナディア嬢を妻にと望んでから約一か月、いつでもデートに誘えるようにシミュレーションしていたことは秘密だ。
外堀は埋め終わった。伯爵家が動いたときは、ナディア嬢が許せば容赦なく噛みつく材料も整った。
あとは彼女の心を手に入れるだけ。
「ふふ、気持ちが通じ合うと良いね」
「はい。では失礼します」
「おや、もう帰ってしまうのかい? 晩酌でもと思ったんだけれど」
「明後日のために仕事を終わらせておきたいので」
「それは仕方ないね。朗報を待っているよ」
上機嫌な父上に一礼して、王宮をあとにする。
緑の館に戻ると、ナディア嬢を送り届けてきたニベルが執務室で待っていた。
今日は護衛の宿直の当番ではなく、直帰するはずだったのだが。
「何かあったか?」
「妹が夜会で、マスカール家に関する情報を手に入れてきました。早めにお耳に入れようかと」
彼は一度帰宅して、わざわざ緑の館に戻ってきてくれたらしい。
話を聞けば、伯爵家のこれまでの行動で不可解だった部分のピーズがピタリと填まった。
「本当に愚かだな」
呆れたと同時に、これまでよくナディア嬢が無事でいてくれたと神に感謝した。
妖精を交えて一緒に会話ができる気楽さは貴重で、控えめに微笑む彼女の
不遇の境遇で、彼女はこれまで楽しいと思える時間は少なかっただろう。
明後日のデートでは思い切り楽しませたい。
そう願った俺は引き出しからデートの計画書を取り出し、最終確認をすることにした。
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