第23話 甘すぎるデートに暴かれて(2)
クッキーの型はあとから使いの者が取りに来ることを伝え、キッチン雑貨店をあとにする。
クロヴィス殿下は街に詳しいようで、迷うことなく私が気になる物が置いてある店へと案内してくれた。
裁縫店では刺繍糸のセットと無地のハンカチ。紅茶専門店では限定の新茶。文具店ではガラス製のペーパーウエイトまで買ってもらってしまった。
しかもペーパーウエイトはクロヴィス殿下が色違いのものを追加で買ったためお揃いだ。
彼は本当に抜かりない。
昼食も兼ねて入ったカフェはカップルが多くいるお洒落なお店で、彼はここまで終始笑顔。私が商品選びに悩んでいる間も待たせているのに、隣で同じように商品を眺め急かす雰囲気も出さない。
今もそう。彼は既に食べ終わってるけれど、優雅にコーヒーを飲んで待ってくれている。
「ナディア、他に欲しいものはないのか? 全部誰かのためであったり、勉強に必要なものばかりだろう。ただ可愛いから、綺麗だから欲しいという自分だけのものはないのか?」
「そんな散財するようなことは出来ません」
「散財じゃない。眺めているだけで幸せな気持ちになるのならば、十分に価値があると思うんだが」
「そうなんですね、少し考えてみます。でも今は、私は皆さんに喜んでもらえるだけで嬉しいのです」
「確かに。俺も自分に何か買うより、こうやって君に買い与えるほうが楽しいかもしれない」
「――っ」
私は胸がいっぱいで、デザートも食べたかったけれど半熟卵のガレットだけで満腹になってしまった。
「ここは果物のムースが美味しいと評判なのだが、頼まなくていいのか?」
「はい。ガレットで十分です。私のことは気になさらずに頼んでください」
「そうか」
こうして宝石のような艶やかなイチゴとソースが添えられたムースがテーブルに運ばれてきた。店員は男性が食べるとは思っていないらしく、私の前に皿を置いていった。
とても美味しそうな見栄えに、目が離せない。お腹さえいっぱいでなければ――と少し悔やみながら皿をクロヴィス殿下の方へ移そうとしたとき、彼の手が伸びてきてスプーンでムースをすくった。
「食べたかったら一口くらい食べればいい。余りは食べてやるから」
「そ――んっ」
そんな――と遠慮の言葉を言おうとした瞬間、口の中にムースを放り込まれた。
「こうでもしないと君は断るからな」
図星だ。諦めて口に含めば、苺とムースの甘みが口いっぱいに広がる。美味しさに感動して、指先で口元を押さえた。
「甘くておいしいだろう?」
そう得意げに言った彼の顔にはムースよりも甘い笑みが浮かべられていた。
狂犬と呼ばれる彼が社交界でどのような態度かは見たことはない。
けれども目の前の彼の表情は、絶対に他人には見せないような笑顔だというのは分かる。
あぁ、この方は本当に私のことが好きなんだわ。
伯爵令嬢で身分が釣り合うから、掃除ができるから、妖精の愛し子だから、守護者の妻にするには丁度いい条件が揃っているから気に入ったのだと――妃に望まれたのだと思い込むようにしていた。
愛は二の次。
だから私も妃として振舞っても、愛は本気で求めてはいけないと言い聞かせてきた。
これまでのクロヴィス殿下の好意から目を逸らしてまで時間稼ぎをしてきたというのに……彼は遠慮なく踏み込んでくる。
「とても……甘いですね」
振るえる拳を握って隠し、泣いてしまわないように、笑みを作って返事をした。
けれども演技が下手な私の笑みは、彼を騙すことは出来なかったようだ。
「――少し早いが、疲れただろう。今日は帰るとするか」
無言でうなずくのが精一杯だった。
ここまで来た時と同じように手を握られ、裏道に入った。
すぐに大きな通りにでると、予期していたかのようにアスラン卿が馭者をする馬車が停められていた。
乗り込めばすぐに馬車は動き出してしまう。家と街は近い。
カツラを外し、一息つく彼を横目で見ながら今日のことを思い出す。
とても楽しかった。今日だけではない。クロヴィス殿下と一緒にいるときはとても穏やかに過ごせ、心から笑える時間も多い。
彼にのめり込まないようにしていたけれど、もう離れるのが心苦しい。
「ナディア……帰りたくないのなら、帰らなくても良いようにできるが?」
「え?」
「君はいつも家に帰るとき、酷い顔をしている。今もだ……必死で何かを我慢する顔をしている。なぁ緑の館に越してこないか? 妖精もたくさんいて退屈はしないし、君を害する存在は誰もいない」
まだ婚約もしていない令嬢になんていうお誘いなのか。
「もちろん婚約も結婚もしてないから手を出すことはしない。もっと俺が一緒にいたいから……命じられ、住み込みで仕えることにすればいい。俺のせいにすれば良いんだ」
いつも温度の低いエメラルドの瞳には燃えるような炎が見えた。
身も心も焦げても良い。その熱情に包まれたいと思ってしまった瞬間、もう自分を堰き止めることなどできなかった。
「……わ、私には人を愛する勇気がないのです。伯爵家の事情をご存知でしょう?」
「俺がマスカール伯爵と同じく、妃になった君を捨てると思っているのか? もし俺の愛が心配なら妖精女王の前で誓約を結んでも良い」
すでに彼は女王と『守護者として国を守ること』、『国益よりも妖精の安全を優先すること』などの誓約を結んでいる。
それに反故すれば烙印を押され愛し子の力を失うだけでなく、生命にかかわる呪いを受けることになっているらしい。
でもそんなことは必要ない。クロヴィス殿下はお父様とは違うのは分かっている。
「そうではありません。愛に溺れて愚かになるのが恐ろしいのです。私にはその血が流れているんですもの……っ」
お母様は妄信的にお父様を愛し、全てを捧げ、それだけの愛の見返りを望んだ。
お父様はその愛の重みに耐えかね逃げた。それでもお母様はお父様を求め続けて、狂い、身を滅ぼした。
お父様は愛から逃げたというのに、愛人からの甘やかされるような愛に溺れた。夫の責務を放り投げ、正妻と子を顧みず捨てた。今もその呪縛は続いている。
それを告げれば、クロヴィス殿下の眉間には深い溝が刻まれた。
「私にはその両親の血が流れているのです。本気で殿下を愛してしまったら、醜く四六時中あなた様に愛を求め、あなた様を私から奪おうとする人がいたら嫉妬で狂ってしまうのではと……獣になるのではと恐ろしいのです」
今だって自分の奥で火種を感じるのだ。こんな気持ちが自分の中にあることを知ってしまったら、怖くて、怖くて……震える体を私は自分で抱きしめた。
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