第18話 妖精の森(3)

 疑ってみるものの、クロヴィス殿下の突き刺すような真剣な眼差しが否定する。



「未婚の王族と令嬢がふたりきりでいる。その状況を俺が許している意図を考えたことは……その顔はなかったようだな」



 貴族の婚約者同士でも未婚の内は間違いがあってはならないと、ふたりきりになることは望ましくないと言われている。それは爵位の継承に問題が生じさせないためだ。


 王族は貴族以上に気を配る必要のある立場で、もちろんクロヴィス殿下もそのひとり。


 これまでは私が愛し子であり、彼が守護者であるから、勝手に特例だと思い込んでいた。

 妖精を知らぬ人からみれば、私たちの状況は普通の仲には見えないわけで……



「申し訳ございません」

「やはり、ナディア嬢は純粋に侍女として俺の元に来たんだな。まぁその真面目さと純粋さが良いのだが……まだ俺の片思いか」

「え? 私が愛し子で、ちょうど良いからではなく?」

「君が愛し子だったことは嬉しい要素ではあったが、その前から俺は君に惹かれ、妃にしたいと願った。守護者の伴侶という特殊な立場のため約一か月間の様子見を命じられたが、今日賢者が認めたことで許された。国王も俺の意志を知っている」



 今から一か月前と言ったら、出仕して一週間も経っていないころの話だ。にわかには信じられない。



「どうだ?」

「わ、私は髪の色も暗く、華やかさもありません。教養の面でも、もっと他に相応しいお方がいるはずです」

「何を言ってる。髪の淑やかな青色は露草の花のようで、瞳の透き通る紫はすみれ。この花畑の花たちに負けないくらい綺麗な色だ。それに容姿も派手よりは落ち着いた薄化粧の方が好みだ。なにより君の人間性に惚れた。人生を共にするのなら君のような女性が良い」



 クロヴィス殿下の長い指が、私の露草色の髪の先に絡められた。



「これがナディア嬢にしか叶えられない大きな願いごとだ。俺は君が欲しい」



 慈しむような、それでいて燃えるような愛しさを隠さないエメラルドの眼差しを受けて、私の胸の高鳴りは勝手に強まっていく。



 嬉しい。こんなにも誰かから求められたことがないから。



 けれど私から求めてしまったらどうなるか――集まっていた頭の熱が急速に冷えていく。

 お母様の姿を思い出し、怖くなった。人を愛し、求め、望んだ見返りが得られなかった時の絶望と朽ちていく姿は、今も私の中に暗い影を落としている。


 でも何て答えたらいいの?

 言葉が見つからず困惑していると、クロヴィス殿下が表情を緩めて苦笑した。



「君を早く手に入れたくて、俺の気持ちが先走ってしまったようだ。困らせてしまったな」

「その、あまりにも身に余るお話で……気持ちがついていかないと言いますか……」

「そうか。とりあえずナディア嬢の気持ちを無視して婚姻の話を進める気はない。俺は望まれて君を迎え入れたいから待つつもりだ」



 私の髪が彼の指先からするりと抜け、風に靡いた。



「だが、マスカール伯爵家の者が君に危害を加えることがあれば、強制的に話を進めるつもりだ。すまないが、君の過去や現状を調べさせてもらった」

「――っ」



 全て見抜いている目をしていた。妖精に命じれば簡単に分かることなのは理解しているが、改めて伯爵家の闇を突き付けられた気分だ。



「ナディア嬢が傷付けられるのは許せそうにない。将来の王子妃という肩書は盾になるだろう。心づもりはしておいてくれ」

「……かしこまりました」



 クロヴィス殿下は少し寂しそうな微笑みを浮かべて一転、ニッと歯を見せるように晴れやかに笑った。



「そうなる前に俺は君の心を掴む努力をしなきゃならないみたいだ。覚悟しておいてくれよ」



 まるで難問に挑むことが楽しみだと言わんばかりの、自信に満ちた笑みだ。


 困ったわ。


 クロヴィス殿下は優しい。今は狂犬と呼ばれていることが信じられないくらいに常に国を案じ、妖精を慈しみ、身内には不器用ながら気を配る。



 単なる主従関係なら敬愛の気持ちしか芽生えず大丈夫だっただろう。

 けれどもこれほどまでの明確な好意を告げられ、優しくされたら好きにならない自信がない。今ももう意識してしまって、こんなにも心臓が痛いというのに。本当に困ったわ……



「ひとつ、クロヴィス殿下にお願いがございます」

「なんだ?」

「お調べになったからご存知かと思いますが、私は社交界に出ておらず男女の関わり方について全く知りません。その……お手柔らかにお願いしたいのですが」



 これは単なる時間稼ぎでしかない。既に国王の耳には入っているから、クロヴィス殿下が心変わりしない限りは決定事項。

 殿下には申し訳ないけれど、私が深みに嵌まらないために、気持ちを戒めるために時間が欲しかった。



「善処しよう。これは難易度が上がったな」

「申し訳ございません」

「いや、落とし甲斐があるというものだ」



 そう言いながらクロヴィス殿下は、クスリと笑いを溢しながら寝そべった。


 無防備すぎる。


 私への信頼の証だと思ったら、このようなことでも嬉しくなってしまう。いけない。戒めると決めたばかりだというのに、もう揺らぎそうだ。



 帰りの馬の相乗りでも無心を心がけたが、緑の館に着くころにはもう私の守りはボロボロだった。

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