第11話 緑の館の秘密(4)

 クロヴィス・エルランジェの生を受けて、物心ついた頃から俺には妖精の存在は当たり前だった。

 洗礼式を行う前の不安定な状態でも強い力に、必然と次代の妖精女王の守護者として育てられた。



 幼い子供が妖精のことを秘密にするのは難しく、表向きは病弱という理由で離宮に隔離されていた。

 歴代の守護者が幼少期を過ごすという離宮には、妖精の秘密を知るニベル・アスランの母をはじめとする侍女とわずかな護衛のみ。

 教育は先代の守護者である先王の兄君であるエルマン大公が担っていた。



 自分だけ家族と離れ暮らすことに寂しさもあったが、守護者という誇りと妖精たちのお陰でそれなりに楽しく過ごしていた。



 けれども10歳になったとき離宮でボヤ騒ぎが起きたことで、それまでの穏やかな生活が一変した。

 妖精がすぐに知らせてくれたお陰で火事は最小限で収まったが、これを機会に老朽化していた離宮を立て直すことになった。


 俺はエルマン大公と緑の館と家族が住む王宮のどちらで暮らすか選択することになり、迷わず家族のいる王宮を選んだ。

 王宮には多くの人がいる。離宮のような穏やかな生活はできないよ――とエルマン大公は最後まで緑の館で一緒に住もうと言ってくれていたが、俺は家族と暮らせる喜びで話を流してしまっていた。



 エルマン大公の危惧が現実となったのはすぐのことだった。



『第二王子が王宮に来てから、不可解なことばかりが起こる』



 そんな噂を耳にしたとき、すぐに妖精の仕業だと分かった俺は「王宮でイタズラなんてするな! 妖精のことを知らない人ばかりなんだぞ」と叱った。

 けれども妖精は珍しく俺にも憤慨した様子で言ってきた言葉に愕然とした。



「アイツラ、クロヴィスノ悪口言ッテタ」

「狂ッテル子ドモダッテ馬鹿ニシテ、仕事ノ手ヲ抜イテタンダ」

「他ノヤツラモ嘘ツキ。クロヴィスヲ騙ソウトシテイル」



 何を言っているか分からなかった。

 侍女も護衛も俺に恭しく頭を垂れて、にこやかな笑顔で敬う言葉を並べていたのだから。どの家もエルランジェ王国に高い忠誠を示す、名家の出自のものばかり。



「嘘だ……」



 そう呟いたものの、妖精たちはイタズラをしても守護者と後継者に嘘はつかない。

 妖精の手引きで王宮の侍女の会話を盗み聞くことにした。



「クロヴィス殿下ったら私室でもひとりでよく喋っているのよ。盗み聞いてみれば相手は妖精らしいんだけれど……お伽噺と現実の区別がつかない子が近くにいて、第一王子殿下と王女殿下に悪影響がないか心配だわ」

「離宮で隔離されていたのは病弱ではなくて、夢遊病で狂っていたという話よ。アスラン夫人も乳母とはいえ、乳離れしてもお相手するのも大変よね」

「あら給与が特段に良いのじゃなくって? 才女ですもの。クロヴィス殿下をそそのかして多めのお小遣いでも頂いているのよ。そうじゃないと殿下の侍女なんてできないわ。私もやってみようかしら」



 盗み聞きしたことを言いふらす行為に、偽りの噂の吹聴、そしてアスラン夫人の侮辱。

 離宮の優しい人しか知らなかった俺にはとてもショックだった。



 陰口や裏切り、駆け引きは当たり前で、王宮は魑魅魍魎の巣窟だった。



 本来はすぐにでも見聞きしてしまったことを誰かに打ち明けて、エルマン大公のいる緑の館に移れば良かったのだろう。


 しかし大公の説得を無視して王宮を選んだという子どもながらのプライドが邪魔し、王宮から去れば幻覚の病の噂に現実味が帯びることも怖く、俺は黙ってしまった。



 それからは人に会うたびに疑心暗鬼になる生活が続いた。

 妖精は悪意を知ってもイタズラをしなくなったが、彼らの様子を見れば目の前にいる人間の本性はおのずと察せられた。



 何度も笑顔の裏にある悪意を知り、信じられるのは家族と、ほんの一部の人だけ。

 成人して社交界デビューしたころには人間不信は極められ、捻くれた俺はまず偽りの傷痕を顔に作って、容姿を褒めて近寄る下心のある貴族を遠ざけた。

 常に人を疑うようになった眼差しと醜い傷痕、攻撃的になった口調が相手に恐怖を与えた。妖精の力を使って不都合なことを見抜き番犬のように派手に噛みつけば、いつのまにか「狂犬王子」という名が出来上がっていた。



 エルランジェ王国の平和を乱す貴族の摘発は守護者の裏の仕事。だから不正の抑制につながるため畏怖の存在として狂犬王子と呼ばれても俺は構わなかったが、心優しい父上はそうではなかった。



「すまない、クロヴィス。余がもっと治世と人望に長けていれば……」



 彼らは完璧な臣下の仮面を被っており、父上の前では絶対に剥がれない。妖精がいなければ俺さえも気付かなかっただろう。

 愛し子でない父上が臣下の裏の顔や不正の全てを見抜くのは至難の業だ。



 人間とは必ず表の顔と裏の顔を使い分ける生き物。割り切らなければならないと分かっているが、傷つかないわけじゃない。



「もう俺も成人、エルマン大公から緑の館を引き継ぎ、妖精の森で静かに暮らします。夜会などの参加も守護者の仕事に関わるときのみになることをお許しください」



 こうして十七歳にて社交界の一線から退いたが、王族として愛し子の血を繋ぐ責務からは逃れられない。



「クロヴィス、きっと全てを受け入れてくれる女性がこの世にはいるはずだ。先代の守護者である大公の伴侶しかり、余も第一王子も運命の妃に出会えている。身分は問わない。何かしら理由をつけて令嬢をお前の元に送るから、好きなように試しなさい。責任は余がとる」



 確かに大公妃や母上、義姉上は妖精が見えないながら受け入れ、妖精たちも彼女たちを好いていた。

 俺にもそんな存在が現れるだろうか――という期待が半分、期待して出会えなければ傷つくだけで、望むだけ無駄――という諦念が半分。 妖精女王を守るためにも、表向きの人柄で判断してはならない。


 理不尽な目にあったとき、人は本性を表す。誠実さを試すために、王子妃候補ではなく侍女として出仕することを受け入れた令嬢のみを寄越すよう頼んだ。

 掃除を命じられて怒っても良い。もし掃除を引き受けたとしても、上手にできなくても良い。俺のことを恐れても良い。愛という感情は求めていない。ただ妖精が認める相手であれば誰だって良かった



 だが案の定、基準をクリアできる令嬢はなかなか現れなかった。



 もう期待するだけ無駄だ。もう妖精の秘密なんて明かさず子さえ成してくれれば誰だって良い。事前に妖精に令嬢の素性を調べさせることを辞めて久しく、諦めかけていたときナディア嬢が現れた。


 露草の花のような落ち着いた青い髪色を派手に飾らず束ね、素肌のきめが分かるほどの薄化粧、すみれ色の瞳には俺の傷を見て嫌悪する色も見えなかった。

 明らかに今までの令嬢と異なる雰囲気を纏い、彼女は現れた。

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