第10話 緑の館の秘密(3)


「さてこれからのことだが、愛し子として妖精や決まりについて学んでもらわなければならないな」



 殿下は地下室に来た時と同じように、執務室へ私をエスコートしながら妖精について更に教えてくれた。


 妖精は愛し子の前でも好きなように姿を見せたり、消したりできること。

 基本的に普通の人間の生活に干渉することは女王が許していない。例外は愛し子に力を貸すときと、害悪から守るとき。そして守護者であるクロヴィス殿下が命令を下したときだ。


 妖精は悪意に敏感で、嫌いな人間がいる場所には寄り付かない習性があるとも教えてくれた。

 また愛し子といえど妖精を傷付けたり、力を悪用した場合は烙印を押され、力を失うこともあるという。

 それが故意でも無自覚でも関係ない。妖精の女王陛下の判断に委ねられている。



「ナディア嬢が愛し子であることは、現時点で俺とアスラン卿たち専属騎士を除いて他言無用だ。もちろんマスカール伯爵には言うな。君は信用しているが、伯爵は信用していない」

「承知いたしましたわ」

「あと今後のことなんだが、待遇について方針が決まるまでは、俺の侍女として緑の館に通って欲しい」

「宜しくお願い致します!」

「良い返事だ。俺も嬉しいよ」



 クロヴィス殿下は私を認めてくださってから、彼はよく笑みを浮かべるようになった。冷たく見える瞳のせいで野性味ある雰囲気は変わらないけれど、怖さは感じない。

 そして妖精やアスラン卿の笑みもそうだけれど、悪意のない笑顔を向けられるのはまだ少し照れてしまう。



 その日はくすぐったい気持ちを抱きながら、妖精たちとお話をして一日が終わった。

 そして帰宅して一番、私はパールちゃんを呼んだ。



「ただいま、パールちゃん!」

「ナディア」



 すると桃色の髪をした、緑の瞳の可愛らしい女の子の妖精が、いつものように胸の中に飛び込んできた。

 そっと手で包み込めば、しっかりと存在が分かる感覚に感動を覚える。声も聞こえた。



「ようやくパールちゃんとお話できるわ。守護者である殿下が洗礼式を執り行なってくれたの」

「ナディア、覚醒シタノネ。嬉シイ」

「私もよ。いつも助けてくれてありがとう」

「ワタシ、ナディア好キ。当リ前ダヨ」



 潰さないように、けれども愛情いっぱいに抱きしめた。私の心の支えで唯一の友達。


 感動に浸っていると、研究棟の扉が強く叩かれた。私の名前を呼ぶ声は、聞きなれた女の声だ。

 せっかく温かくなっていた気持ちが急速に冷めていく。そっと扉を開けて、相手を見据えた。



「なんの御用でしょうか、お義母様」

「何も今月のわたくしとジゼルの美容クリームが届いてないのだけれど、ふざけないで!」



 目を吊り上げる義母の頬は化粧が白浮きしており、肌荒れしていることが分かる。おそらく同じように肌が弱いジゼルも状態は良くないだろう。


 この数日使用人を通して手紙が扉に挟まれていたが、丁重な断りの返事を渡していた。諦めてくれることを祈っていたが、まさかプライドの高い義母本人が来てしまうとは。

 屋敷を見れば、窓に女性の人影が見えた。きっとジゼルが様子を見ているのだ。



「お肌のメンテナンスは使用人の仕事の範疇で行なっていました。契約書にも明記し、今後は関わらなくても良いと伯爵さまのサインを頂いております。もう不要だと思い在庫を作っておりません。ここ王都ならば美容クリームは他でも手に入るはずですので、お探しください」

「肌に合う新しいクリームが見つかるまでこの肌でいろというの?」

「私にはどうすることもできません」

「知っているわ。でもね? 今から旦那様に頼んで契約内容を変えることは、わたくしには造作もないことなのよ。そうね、第二王子殿下には体調不良により仕事を辞職すると伝え、お前を幽閉したりするのはどうかしら?」



 自分の無知さが嫌になる。契約は履行してくれるという、信用できる相手でなければ意味がないということを今知ったのだ。

 義母の目は私の悲憤の表情が映っているのだろう。優越の笑みを浮かべた。



「まぁ、わたくしも旦那様のお手を煩わせるのは心苦しいし、殿下の不況も買いたくないもの。お前のを全部寄越せば、今回の不手際は許してあげようと思うの。お前の肌は綺麗だもの……あるのでしょう?」

「――っ」



 私はわざとらしく扉を大きく開き、棚にある瓶をバスケットに全て入れていく。お陰で棚はすっからかんだ。

 義母からもよく見えているだろう。



「クリームも軟膏も化粧水もこれで全部です。私は新しい仕事で精一杯で、次はいつ作れるか不明ですので、もうお頼りにならないでください」



 そう言ってバスケットを差し出した。

 義母はひったくるように受け取ると、空いた手を振りかざした。

 乾いた音が鼓膜を揺すり、遅れて頬に痛みが走った。



「頼る? 使ってあげてるのに生意気ね。良いわ……もう来ないであげる。新しいものに毒なんて混ぜられたら敵わないもの」



 義母は嘲笑いながら、屋敷へと帰っていった。



「ナディア、私ガクリームニ手ヲ貸シタカラ」

「執拗に狙われているのはパールちゃんのせいじゃないよ。お義母様はクリームの件がなくても定期的に文句を言わないと、死んじゃう病気なの」

「デモ、デモ、ナディアのホッペカラ血ガ……!」

「え?」



 パールちゃんが泣きながら言うので鏡を見れば、義母の長い爪のせいで頬に一筋の傷が出来ていた。流れるほどではないが血が滲じみ、触れれば指が赤く染まった。


 軟膏を塗れば――と思ったが、棚には既にひとつもなく。タイミングが悪いことに薬草以外の材料も切らしていた。



「ナディア、ナディア!」

「大丈夫だから。そんなに泣かないで。軟膏がなくてもこれくらいの傷なら、布で押さえればすぐに止まるわ」



 パールちゃんがさめざめと涙を流す姿は痛々しく見ていて辛い。

 だけれども私のために泣いてくれている事実もまた嬉しくて、つられて涙を流してしまった。

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