第58話 最終話
布団の中で、丸まって私はあれこれ考えた。明日、セルゲイが来てくれるかもしれない。
わざわざ遠い王都から、地の果ての辺境地域まで、来てくれているのだ。彼は間違い無く、誠意を見せに来たのだろうし、私を大神殿に連れ戻そうとするだろう。
でも、私はどうしたらいいのだろう……?
セルゲイに会いたくて堪らなかったし、辛かった。けれど、この家の居心地の良さや、クリス兄さんの気持ちを知ってしまうと、簡単にセルゲイについて行く事が出来ない。
しかしながら、この家で死ぬまで世話になる事は私も考えていない。私のやっている店番なんて、ママゴトみたいなものであって、ちゃんとした仕事にはならない。自分で生計をたてるなんてまず無理だ。かと言ってヨボヨボのお婆ちゃんになっても、村長一家の善意に縋るわけにはいかない。
私はふいに、毅然と病室の寝台に座っていたキム先生を思い出した。家族を作らなかったという先生の後悔。キム先生は私にはこの世界に根をはって生きるよう、伝えようとしてくれた。なぜだかその言葉が今、非常な重みを持って私の心に響いた。
さっきクリス兄さんに言った台詞を私は反芻した。同い年の村の女の子は皆もう結婚していた。サル村は小さい。家族を築く事を本気で考えるのならば、私はいずれサル村を出ていかなければならないだろう。今がその時なのだろうか。これは将来的には遅かれ早かれ決めなくてらならない覚悟だった。
「リサ。まだ起きているかい?」
扉がトントン、と叩かれ、村長と奥さんが姿を現した。
二人は私の寝台に腰掛けると、切り出した。
「もしも大神官様が明日この村にいらしたら、リサはどうしたいんかの……?」
私は答えに詰まった。二人を前にすると、言おうとした言葉が喉の奥に引っかかり、出てこなかった。
「リサ、私達にはなんの遠慮もいらないよ。……勿論クリスにもね。ただ、私達はリサが幸せになってくれれば良いんだ。」
私は考えた結果を二人に伝えるのに、勇気を絞り出し、自分を奮い立たせた。
「……私、セル…大神官様と王都に行きたいの。」
二人は一瞬目をお互いにあわせて、再び私を見つめて深く頷いた。
「そう言うんじゃないかと思っていたよ。………リサは、ここに来た時と同じく、突然またいなくなるんじゃないかと言う気がしていたんだ。」
奥さんは私の手をそっと握った。
「リサにとって大事な人が出来て、またリサを大事だと言ってくれる人が出来て、私達も嬉しいよ。リサを任せられる人が出来て、安心したよ。……でも、もし王都が嫌になったら、いつでも戻っておいで。ここはリサの家なんだからね。」
二人の暖かな気持ちと、確かな愛情が伝わって来て、涙が滲んだ。
「ごめんなさい。こんなにお世話になったのに、私…」
「何も謝る事なんてないんだよ。若者は旅立つものさ。」
「ありがとう……父さん、母さん。」
「わ、わしをやっと父さんと…!」
二人は弾ける様に笑い、その直後に目に涙を溢れさせていた。
「兄さんだって、俺だって、嬉しいんだぞ!」
唐突にクリス兄さんが乱入して来た。
クリス兄さんは寝台に座る私を優しく抱き締めてくれた。
「でも、分かってくれ。俺にとってはリサは幾つになっても、頼りない可愛いリサなんだ。」
私を抱き寄せるクリス兄さんごと、母さんが抱きついて来た。更にその母さんを父さんが抱き締める。
私達はそうして静かに四人で抱き合っていた。
翌朝、目が覚めると窓の外の異様な明るさに気がつき、私はカーテンを開けた。外は雪が積もって一面の銀世界だった。庭の木に雪が白くこんもりと積もり、枝が重たげに垂れている。綺麗だな、と眺めていると、枝の上の雪塊がボスッ、と音を立てて地面に落ちた。
台所に行くと、母さんが丁度食事の仕度を終えたところで、私は温かいスープを皿に分けて、四人分の朝食を配膳した。私達は揃ってテーブルにつくと、父さんが焼いたちょっと固めのパンと、母さんが作ったスープを食べ始めた。寒さがこたえる朝に、野菜がたくさん入った温かいスープを飲むと、胃の中だけでなく心の中まで暖かくなる様だった。
納屋の壁を修理しようと思っていたのに、雪のせいで出来なくなった、とクリス兄さんが愚痴をこぼすのを三人で聞いていた時だった。
バタン!
と玄関の扉が開く音が聞こえると、近所に住むおじさんが家の中に駆け込んで来た。どうやら相変わらず玄関の鍵がかかっていなかったらしい。平和にスープをすする私達の前で、おじさんはまくし立てた。
「村長!大変だ!変な行列が、村に近づいてきて…」
最後まで聞く事なく父さんは弾かれた様に椅子から立ち上がった。そのままおじさんと連れ立って玄関へ走って行った。僅かな間を置いて、私と母さん、クリス兄さんも父さん達の後に続いた。
外に出ると、たくさんの村人が既に道端に飛び出していて、皆が同じ方向を見つめていた。つられる様にしてそちらに視線を向けて、私の心臓が跳ねた。
一面の銀世界の中を、騎乗した神官達と騎士、馬車の行列がやって来るのが見えた。
見渡す限りの白銀の世界の中、その行列がサル村に忽然と現れた様な、一種異様な光景だった。
表に出た村人達は誰一人として口を開かずに、生まれて初めてみるその一行を見つめていた。
まだ誰にも踏みしだかれない白い雪の大地を切り開きながら、一行は真っ直ぐにサル村に向けて進んで来た。石垣に挟まれた狭い村の小道の幅いっぱいの馬車を数台並べ、その一行はゆっくりと村の中に入って来た。次々と小さな石造りの家の中から村人が出て来ては、沿道に立ち尽くした。
遠過ぎて目鼻立ちなど分からないのに、先頭を行く騎乗した人物がセルゲイだと私には分かった。緋色の神官服を着た彼は一際目立っていたが、背格好だけで私には彼だと一目見て分かったのだ。セルゲイは警護の為についている大神殿騎士達を差し置き、堂々と先頭を陣取っていた。
やがて村の広場まで来ると、馬車が止まり、セルゲイを始め神官達は馬をおりた。
「リサ……。あの緋色の衣をまとったお方は、まさか大神官様か!?」
同じく家の外に出ていた隣人が、こちらに向けて歩き始めた一行を指して言った。
私の肩を母さんが抱いた。
セルゲイ達は私が立つ村長宅目指して歩いて来ていた。長い神官服の裾が積もった雪の表面ギリギリを擦り、まるで彼等が雪の上を滑っている様に見える。沿道に詰めかけていた村人達は膝を折るのも忘れて只管呆然とした様子で私とセルゲイ一行をかわるがわる凝視していた。
セルゲイは私と目が合うと、滲む様な笑顔を見せた。隣に立つ母さんが、ほぅ、と息を吐くのが聞こえた。
セルゲイの後ろには久しぶりに見るアレンがいて、その後方にはレストラ高神官もいた。
彼等が家の目の前まで来ると、父さんと母さんはハッと気がついたかの様に慌てて膝をついて頭を垂れた。一行の後をつけて来ていた村人達もさざ波の様にそれに続いて膝をつく。
セルゲイは私の目の前まで来ると言った。
「リサ。会いたかった。遅くなってすまない。俺には、お前しかいない。」
そのまま父さんの方に身体を向けると、進み出て言った。
「膝が濡れましょう。サル村の村長殿。私は貴方にお礼とお詫びをする為に、こちらに来ました。」
いまだ首を垂れたままの父さんの腕を掴み、アレンが立ち上がらせた。
「本来、神殿が保護すべきだったリサを保護し、養育して下さり深く感謝します。また、その義務を怠った事を神殿を統括する者としてお詫びします。申し訳ありませんでした。」
父さんはアレンに支えられる様にしてやっと立てていた。セルゲイの発する言葉にいちいち王袈裟に頷いたり、首を振ったりしていた。
痛いほどの静けさの後、セルゲイが口を開いた。
「加えてとても大事なお願いが…」
「り、リサの事ですね!?ど、どうぞ、立ち話もなんですから、村役場にお入り下さい!」
父さんは急にシャキンと起立すると、家の扉を開けた。
セルゲイは不思議そうに瞬きをしていた。まさか村役場が村長の自宅だとは思いつかないのだろう。だが直ぐに冷静な表情に戻ると、アレンとレストラ高神官のみを連れて、うちの中に入っていった。
母さんと私があたふたと飲みかけのスープを片付ける姿をチラチラと見ながら、セルゲイは居間の椅子に腰掛けた。レストラ高神官が父さんに何やら分厚い封筒を差し出した。
「お収め下さい。これは神殿からのお礼です。」
鈍い父さんは最初それが何なのか気づかなかったらしく、何食わぬ顔で封筒を開けて中を覗き、ギャッ、と叫んでそれを取り落とした。床に落ちた封筒からは大量の札束が飛び出した。その額の多さに、クリス兄さんが目を剥く。
「こ、こんなもの、受けとれません!ワシは、リサを売る為に育てたわけじゃありませんので!」
セルゲイが穏やかな口調で言った。
「これは貴方が当然受け取るべきものです。本来神殿が支払うべきであった、六年分の異界人の保護費ですので、貴方がなんと言おうが、我々はこれをこちらにお支払いします。」
「それも、違います。ワシらは、保護なんてしとらんよ。家族を養ってきただけですわ。家族を養うのに、神殿のお助けは必要ありませんからの。」
するとセルゲイは豪快に笑った。
「リサが、あれほど帰りたがるわけだ……。」
セルゲイは軽く咳払いをしてから、真剣な顔つきになり母さんと父さんを見つめた。なぜか二人は頬を赤く染めていった。
「私はリサを妻にしたいと思っています。大神殿に連れて行くお許しを…」
「ワシらが決める事では、ありません。二人が愛し合っているのならば、どうして止められましょうか。」
するとセルゲイは私を見た。
「リサ。返事を聞かせてくれ。俺と一緒に、大神殿に戻ってくれないか?」
私は首に下げていた銀の指輪を鎖から外すと、セルゲイに渡した。セルゲイの青い双眸が動揺に見開かれ、問う様に私を見た。彼は私が指輪を彼に返したのだと思ったのだろう。
「それを、セルゲイさんの手で、もう一度私の指にはめて。」
私はそう言いながら左手を差し出した。
邪気の無い美しい笑顔を浮かべたセルゲイに、私は付け加える様に言った。
「まずは、恋人からですよ!?結婚にはもう少し心の準備というものが……。」
「………この訪問が既に国中の話題になっているのに、良い度胸だ。分かった。直ぐにとは言わない。俺の忍耐を試したいんだな。受けて立とう。」
村人達が広場に押し寄せる衆人環視の中、私は父さん、母さん、クリス兄さんとそこに止められていた馬車に向かった。先に馬車の中へセルゲイが入り、私は両親と最後にもう一度抱き合った。クリス兄さんは私のおデコにキスをしてくれた。
絶対に王都に会いに来てくれると私達が約束をすると、私達の間で馬車の扉が閉まった。
やがて馬車が動きだし、追いかけて走っていた父さんとクリス兄さんの姿が木々に隠れて最早見えなくなると、私はメソメソと泣き出した。
「リサ。本当に良い人達だっな。」
隣に座るセルゲイが私を抱き寄せ、私の頭に唇を押し当てた。セルゲイの広い胸に顔を埋めると、不思議と気持ちが落ち着いていった。私は彼の腕の中で尋ねた。
「こんなに長い期間大神殿を留守にして、大丈夫なんですか?まさかまたアレクシスさんが代理を?」
「そうさせようと思ったら、俺がサル村に行く間に代理を務めるかわりに、リサを自分に寄越せと本末転倒な提案をされたんで、やめた。だから帰ったら仕事が山積みだぞ。」
アレクシスはまだ私を諦めていないらしい。大神殿に戻ったら、いろいろ大変そうだ。
「お前から目を離すと、アレクシスが何をしでかすか分からないからな。また大神官付秘書に戻ってくれないか?当分、共働きでいこう。」
仕事が山積みだから、手伝わせる気だな……。
でも、確かにあの意外と肉食系なアレクシスは油断するととんでもない事をしでかしてくれそうで、怖い。今まで大神官の命で私を無視してきた大神殿の人々とも、仕事を通して早く親しくなりたいし。
セルゲイはいつもの悪戯っぽい瞳を輝かせて言った。
「勿論、子ができるまでだぞ。子ができたら秘書はやめて、安静にしててくれ。………いや、アレクシスはそれくらいで諦めるとは限らないな……。」
セルゲイの忍耐はあまり期待しない方が良さそうだ。それにどんだけ執念深いんだ、アレクシス。
ちょっと、自分の貞操を守れる自信が揺らいできた。
車窓に目をやると、石垣が見えた。
いつか私が座っていた石垣。
永遠に憎み続けると思っていた、その場所。
私はそこから立ち上がり、背を向けて後にし、自分の物語を自分で紡いでいくのだ。
私は隣に座るセルゲイの大きな手を握った。心の底に響く安心感がそこから流れこんでくる。
彼とここからまた始めるのだ。長い長い、旅にも似た新たな人生という物語を。
私の中は前向きな気持ちでいっぱいだった。
大神官様は婚活中 岡達英茉 @okadachi2020
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