第57話 冬の訪問
家までクリス兄さんが私を連れ戻すと、村長と奥さんがランプを持って玄関に二人並んで立っていた。私が家を出て行った事はどうやら気づかれていたらしい。
まるで私がこの世界にきたばかりの頃のようだ。あの当時私は度々家を一人で抜け出して石垣に行っては、クリス兄さんか村長に連れ戻されていた。もうあの頃の十代の女の子では無いのに、恥ずかしい……。
クリス兄さんは何も言わず私を部屋に戻した。間髪入れずに奥さんが入ってきて、お水が入ったグラスを私にくれた。そのまま優しい、諭す様な声色で話し始めた。
「リサ。女同士の話をしない?私に、何か話したい事はない?」
言葉は最初、喉につかえて出てきてくれなかったが、奥さんが私の背中をゆっくりゆっくり撫でてくれると、私の硬くなっていた胸の内は次第に解きほぐれて行った。
「…私、王都で好きな人が出来たの。」
話し始めると、後は私はセルゲイの話を途切れる事なく一気に話した。奥さんは私がとうとうと話す間、ただ静かに時折頷きながら聞いてくれた。
翌朝目が覚めて居間に行くと、村長が先に朝食を食べ始めていた。
おはよう、と挨拶をしながら私が席に着くと、村長は軽く咳払いをしてから話しかけてきた。
「あー、リサ。昨日、畑の端に落ちとったんじゃが、これ、リサのじゃないか?」
そう言いながら村長はテーブルの上に小さな紙の包みを置いた。それを手に取り、開くと中から銀の指輪が出てきた。
「これ……!」
私が昨夜散々探しても見つからなかった指輪がそこにあった。気がつくと奥さんもこちらを見ていた。改めて村長の顔を見れば、濃いクマが目の下に出来ていた。まさか奥さんから話を聞いて、夜中に探してくれたのだろうか?
私がそう尋ねると、村長は恥ずかしそうに首を振った。
「たまたま拾っただけじゃ。リサので、良かった、良かった。」
私は指輪を握り締めて、村長に何度もお礼を言った。村長はパンを口に詰めながら、モジモジと椅子を何度も座り直した。
本格的な冬がサル村に訪れた。
簡素な暖炉しかない店の売り子をするのはなかなかの苦行だった。
私はかじかむ指先をこすりながら、ガラガラの商品棚に目をやった。ちょうど村長が一番近い街まで商品の仕入れに出掛けており、今日帰って来るのを私は今か今かと待ちわびていた。今日新しい商品が店に並ぶ事を知っているお得意様の村人達が、フライングで店に買い物に来てしまう度に、がっかりさせてしまうのが申し訳ないのだ。
客の来ない店内で一人ノリノリで歌をうたっていると、バタン、と扉が開いた。
村長が入り口から私の方へ突進して来た。
「お帰りなさい、村長。商品は?」
「ぜ、全部手に入ったわい。外にある。……それよりリサ……」
商品を早々取りに行こうとカウンターを出て、外に行こうとする私の腕を村長が掴んだ。
どうしたのだろう。随分緊張した顔をしているではないか。
「街で小耳に挟んだんじゃが、ケーゼンに、大神官様がいらしているらしい。」
「えっ………」
「ケーゼンなんかに何故、大神官様がいらしているのか分からんが、遥々王都からいらしたらしい。街中がその話題で持ちきりじゃった!」
私は窓の外を見た。
そこからケーゼンが見えるはずもないのに。見れば村長の乗って来た馬車の荷台に、買い付けてきた商品が山と積まれていて、その上に音も無く雪片が落ちて来ていた。
「村長、雪!雪が降ってきた!」
私達は初雪に慌てて商品が濡れない様に、店の中に運び入れた。
セルゲイがケーゼンに来ている………。
どうして?大神官が王都を出る事は滅多に無い。まさか本当に私を迎えに来てくれたのだろうか。華やかな王都にいるのだから、私の事なんてもう忘れてしまったのではないかと思っていたのに。
それからの日々はそわそわとして落ち着かなかった。
人づてに、大神官の一行がケーゼンを出てその隣の村へ向かった、との話を聞いた。普段は他の村や街からの情報があまり入って来ないサル村ですら、このイレギュラーな事態に際し、皆が敏感になり、数日すると狭いサル村は大神官が辺境地域を訪問している話で持ちきりになった。大神官の滞在地がどんどんサル村に近づいて来ているらしいのを知る度に、私の緊張感も高まった。
どうしよう……。
セルゲイが来ている。
私は彼にまた会える、と思うと、舞い上がる様な喜びと共に、大神官としてやって来る事態の重さにある種の恐怖を抱き、足がすくんだ。大神官として私を迎えに来る事で、誠意を見せろと言ったのは私なのに。
夕食後、奥さんと台所で皿洗いをしていると、近所の飲み会に参加していた村長が血相を変えて帰宅してきた。予定より随分早いその帰宅に、私と奥さんは顔を見合わせた。
「お開きが早かったのねえ……。」
奥さんを無視して村長は私に駆け寄った。
「大変じゃぞ。隣の村に今夜、大神官様のご一行がいらしたらしい!」
私と奥さんは、ええっ、と素っ頓狂な声をあげた。
「もう、村中がひっくりかえったみたいな騒ぎらしい。大神官様は村人にも気さくにお声を掛けられて、大層見目麗しい方じゃとか。……明日には、もしかするとサル村にいらっしゃるかもしれない!」
奥さんが濡れた皿を放り出して私に向き直った。
「リサ。まさか大神官様は……お前を迎えにきたんじゃないだろうね…?」
「リサを迎えに来るってどうしてだよ?」
自室に戻っていたはずのクリス兄さんが話に入ってきた。私はセルゲイの話を全部奥さんに打ち明け、奥さんは村長にはかいつまんだ内容を教えていたらしいが、クリス兄さんは何も知らなかった。
クリス兄さんは奥さんを訝しげな顔で見た。
「リサは、秘書を解任されたんじゃなかったのか?どうして迎えになんていらしたりなさるんだ?」
奥さんは私を気遣わしげにチラリと見てから言った。
「クリス……。大神官様は、リサに求婚なさったそうだよ。いつかお迎えにいらっしゃると約束なさってリサとお別れを…」
「求婚!?なんだって!?そんな!リサはまだほんの子どもじゃないか!……お、俺の可愛いリサをそんなふしだらな目でご覧になったなんて……!!」
奥さんと私は絶句してしまった。
私はもう子どもではないし、ふしだらって……。
だが泡をふく勢いで動転するクリス兄さんが何だか気の毒で、突っ込めない。クリス兄さんは暖炉に向かうと、火に薪をくべる際に使う鉄の棒を掴み、私達のもとに戻って来た。
「………クリス。お前、その棒をどうする気じゃ。」
「こ、これでリサを大神官様から守るに決まっているじゃないか!まさか大神官様ともあろうお方が、幼い子どもを好む趣向がおありだなんて…」
クリス兄さんは本気で怒っていた。どうやらクリス兄さんにとって、私は永遠にトリップしてきた頃の、泣きじゃくるだけの、言葉も分からない子どもなのだろう。
呆れ顔でクリス兄さんを見る村長達とは対照的に、私はとても切なくなった。
サル村に来たばかりの頃、村のささやかな広場まで私の手を引いて屋台まで連れて行ってくれたクリス兄さん。警戒してばかりの私に、笑顔を一生懸命向けて、服やら細々したものを買ってくれた。クリス兄さんが子どもの頃に使っていた教科書を二人の間に挟んで、私に毎日根気良く、アリュース王国の字を教えてくれた。私はクリス兄さんに頭を撫でられて褒めてもらえるのが、最初こそばゆくて、でも段々それがご褒美みたいに嬉しく感じてきて……。必死に勉強した。
水の汲み方。買い物のしかた。村の生活そのもの。
私はクリス兄さんに手取り足取り、一から全てを教えて貰ったのだ。
そんな火搔き棒で、大神官様をどうこうできる訳がないだろう、というより不敬罪でお前が捕まるぞ、と村長と奥さんはクリス兄さんを宥めていたが、クリス兄さんは一向に棒を離さない。
「クリス兄さん。」
私はクリス兄さんに抱きついた。
棒が私には当たる事を恐れたクリス兄さんは、慌てて棒を放り出した。私はクリス兄さんの太い首筋に両手を回して、そのままギュッと抱き寄せた。
「兄さん、私の為にありがとう。でも私はもう、子どもじゃないんだよ?同い年の村の女の子達はほとんどもう結婚しているよ。」
「リサ……。」
「クリス、お前、リサに彼氏が出来た時はあんなに喜んどったじゃないか。」
「父さん、それと求婚とは別物だ!花や果実を森に摘みに行くのと、結婚はワケが違う。」
何を想像したのか、クリス兄さんは急に真っ赤になると、激しく頭を振った。
「ダメだ、ダメだ!!俺の可愛いリサにそんな……?」
私達は現実を受け入れられず、激しく動揺するクリス兄さんにかける言葉を失った。
クリス兄さんがシスコンだったなんて………。男兄弟がいなかった私には、新鮮な驚きだった。
金髪碧眼のダイナマイツを所望していた大神官は、少なくともロリコン的な傾向は無いと確信している。どちらかと言えば、自分の名を自分で呼ぶフェリシテを好んだ、アレクシスの方が怪しいと思う。
とは言え、そこから話すとクリス兄さんを余計に混乱させそうなので、やめておくことにした。
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