第55話 サル村へ
食事を食べ終わり、店を出る頃にはかなり時間が経っていた。
セルゲイは私が泊まる宿の入口まで見送りに来ると、私に紫色の布にくるまれた塊を差し出した。一瞬私はまたおにぎりをくれたのかと思ったが、手に取ると紙の束のような感触だった。
「アイギルからリサに宛てられていた手紙だ。留め置いてすまなかった。今更かもしれないが。」
私はコクリと頷いた。
「明日は何時の駅馬車で発つんだ?」
「朝一の便で出ます。……一人で発ちたいので、見送りには来ないで下さいね。」
「分かった。気をつけて帰ってくれ。……必ず、迎えに行くから待っていてくれ。」
「……皆さんによろしくお願いします。さようなら。」
私はセルゲイに背を向けて宿の中に入った。
宿に戻ると、セルゲイから受け取った布の包みを開けた。几帳面な字体で私の宛名が書かれた手紙が紐で束ねられていた。その束を手に取ると、その下に更に一枚の封筒があった。
困った時は使ってくれ
そう書かれた封筒を開けると、中にはお札がギッシリと詰められていた。
一人で旅をするのは、誰かと一緒に行動するよりも気楽だった。次の目的地までは何時の便で行こうか、とか何を食べどこに泊まるかも自由に決められるのだから。
しかし、王都からサル村への旅を始めて数日で私は一人旅に根を上げ始めた。話し相手がいないので、あまりに退屈なのだ。ただでさえ馬車に長時間揺られるだけなのだから、これはきつかった。
行きはアイギル小神官が全てまかなってくれたので気づかなかったが、長距離移動の旅は非常にお金がかかった。食事や移動費はもとより、宿泊が最も大きくついた。女の一人旅なので治安の悪そうな地区や安全面が心配な安宿には泊まれなかった。
そんな理由もあり、私は行きと同様になるべく急いだ旅程を心掛けた。
資金面にはセルゲイの餞別のおかげで困る事は無かったので、ある意味長い観光をしている様な贅沢な時間だとも言えた。日本で言えばバスの様な役割を果たす駅馬車は、時に乗り合いだったり、時に一人きりだった。
考える時間はたっぷりあった。
旅の前半は王都で過ごした日々をあれこれ思い出した。王都からどんどん離れ、街の規模が小さくなり、森や草原、田畑といった地域が目立ってくると次第に私はサル村について考える時間が増えた。
私は村の収穫祭には間に合いたい、と思っていたが、馬車の乗り継ぎがうまくいかなかったり、途中で風邪を引いたりした為に、旅の途中でその日を迎えてしまった。
サル村まであと一週間ほどだった。
サル村の収穫祭には間に合わなかったものの、ケーゼンという街に滞在中に収穫祭に出くわした。村によって収穫祭が開催される日はズレがあるものの、盛り上がり方は似ていた。ケーゼンはサル村から一番近い大きな街で、話には良く聞いていたが、実際に来るのは初めてだった。ケーゼンと言えば、サル村の若者には大都会で、憧れの場所だった。だが王都から来てみれば、なんと小さな街だろう、と驚くばかりだった。
私がケーゼンに到着したのは夕方で、ちょうど祭が盛り上がり始める時間で、既に通りには屋台がたくさん出ていて、街は年に一度の祭を楽しむ人々っごった返していた。収穫祭には街ごとに異なる風習があり、それがケーゼンの習わしなのか、多くの人々が白い花で作った花冠を頭にのせていた。老若男女問わずその花冠を被っているのが、よそから来た私にはおかしかった。
祭の間、私はいくつかの屋台で食べ物を買い、簡単な夕食代わりに食べた。ケーゼンの収穫祭のハイライトは、白い神官の様な衣装を着た子供達が沿道を行進しながら、大地豊穣の歌をうたう事だった。私は愛らしい子供達の姿を人垣の外からぼんやり眺めながら夜を過ごした。
サル村が近づくにつれ、車窓から見えるのは見慣れた景色へと変わった。荒い大地と低木が続いたかと思うと、石垣に囲まれた畑が現れ、その中にぽつんぽつんと木が立っている。
近くの村の子供達だろうか。
腰ほどまで高さがある草の茂る草原の中を、数人の子供達がぴょんぴょんと跳ねる様に走っていた。フワフワとした髪の毛が風に靡き、まるで妖精みたいだ。
サル村までは駅馬車が出ていないので、私は貸馬車屋にお金を払って村や街の間を進んだ。
やがて私は身体を強張らせた。
砂利の小道の先に木立と畑を仕切る石垣が見えてくる。私がこちらの世界に迷い込んだ時に座っていた石垣である。当時はどうにか日本に戻ろうとして、何度もあの石垣の上に座ったものだ。
物思いに耽っているうちに、私はついにサル村に到着した。ここまで長かった。
私が王都を出発してから、二ヶ月半近く経っていた。馬車を村長の家の近くにとめてもらうと、私は興奮に胸高鳴らせながら、住み慣れた家を目指して走った。肩から掛けた大きな鞄が滑り落ちたが構わず、私はそれを引きずって走った。ちょうど昼時だから、みんな畑仕事を中断して家で昼食を食べているはずだ……!
相変わらず施錠されていない玄関から中に飛び込み、そのまま居間へ駆け込んだ。
予想通り村長と奥さん、クリス兄さんはテーブルを囲んで食事の最中だった。驚いて時を同じくして私に向けられた三人の顔は、一瞬の後に更なる驚愕を表した。
「リサ!リサだ!!」
「どうやって、いつ!」
彼等は一斉に口を開きながら食事を放り出して私に突進してきた。三人は私の顔を良く見ようと覗き込んでから、奥さんとクリス兄さんが抱きついてきた。村長は神にでも感謝するかの様に、両手を組んで天を仰いでいた。
「心配していたんだよ。なかなか帰って来ないから!」
奥さんに座らされると、私は荷物を解いて三人へのお土産を配り始めた。みんなは珍しい王都の食べ物や質の良い品々に目を輝かせ、
大層嬉しそうに受け取ってくれた。ひとしきり土産配りが終わると、三人は真面目な顔つきになって私を見た。
「さて、そろそろ聞かせてもらおうか。一体どうしていたんだい?お茶をいれるからね。ゆっくり教えて頂戴。」
奥さんはそう言うと台所に向かって、湯を沸かし始めた。みんなで席に着くと、私はサル村を出てからの出来事を順を追って話し始めた。
「リサに本当にそんな大きな神力が?」
「大神殿だって!?」
「大神官様のお付きの秘書!?」
王都に着いてからの展開に逐一驚嘆の声を上げていた彼等だったが、話が進むにつれ、あまりの驚きに返す言葉もなくなったらしく、話の半ばほどからはただただ、目と口をあんぐりと開けたまま、相槌をうっていた。
私は迷った挙句、大神官と高神官に求婚された事は内緒にしておいた。サル村からすれば王都ですら半分は異世界みたいな場所なのだ。求婚された、なんて話したら、虚言癖がついたか妄想に取り憑かれたと、彼等を怖がらせかねない。
私が話し終わると、村長は感慨深く言った。
「わしの可愛いリサが、大神官様のお屋敷を壊したなんて信じ難いが……よくお許しを頂いて帰って来てくれた。」
「俺はもしや、都の居心地があまりにも良くて、もう村になんて帰る気がなくなったんじゃないかと、思っていたよ…」
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