第54話 王都で夕食を

 

「お前にこのままサル村へ逃げられたら、サル村に巨大な雷でも落としてしまいそうだ。」


 私はシャレにならない告白に、目を剥いた。クレーターを産声で開けられる人間にとっては、雷を落とす事など朝飯前だろう。


「そ、それは脅迫ですか!?」


「………違う。そんな事をしたらお前にもっと嫌われるじゃないか。」


 吐き捨てる様に言うと、セルゲイは脱力して私の身体の上に崩れ落ちた。私の平たい胸の上に彼の頭が乗り、青い瞳はゆっくりと閉じられた。

 重い………。

 セルゲイの重さに閉口したが、彼はそれ以上はコトを進めてこなかったので、私はじっとしていた。


 どのくらいそうしていただろうか。

 私は身体の上に広がるセルゲイの長い黒髪をいじりながら、徐々にセルゲイは眠ってしまったのではないかと不安に感じた。

 セルゲイさん、と小さく呼び掛けると、彼は頭をゆっくりと私の身体の上から起こした。


「どうしたら……俺は許して貰える?言ってくれ。何でもする。」


 いつもの自信に溢れた光り輝く海の色の双眸は、すっかり明るさを失い、暗い色を帯びていた。私はチラリと視線を足元の買い物袋に投げてから、つとめて冷静な口調で言った。


「セルゲイさんの誠意を見せて欲しい……。私がサル村に帰ったら、その後ちゃんと他の候補者の女性達との関係を清算して、………それでも私に会いたい、と思うのなら私をサル村に迎えに来て。ニセモノの騎士としてじゃなくて、大神官として。」


 セルゲイの頬が強張った。

 大神官である彼が、この国の地の果てにあるサル村に行くのは、到底不可能なのだろう。しかも彼は自ら先頭きってデフレー神殿の解体を強行したばかりで、これからその再建に取り組まなければならず、忙しくなるのだ。そんなのは私も百も承知だ。だが、それを敢えて言っているのだ。

 セルゲイが結婚相手との出会いと関係の築き方に、普通を求めたならば、私だって同じ事を要求しても罰は当たらないはずだ。


「私と結婚をしたいなら、きちんと私の保護者に挨拶に来て下さい。私の元居た世界でも、サル村でも結婚とはそういうものです。」


 この場合私の保護者とは村長を意味した。

 そんな事は大神官のセルゲイにできるわけがない。私は実現不可能な条件を突き付けて、彼を拒絶しているようなものだった。


「……分かった。じゃあ、俺が迎えに行くまで待っていてくれ。必ず行くよ。」


 セルゲイは来られないだろう。私はそう確信していた。だが私は彼の温もりを身体の上で感じながら、束の間自分に都合の良い夢を見るのを許した。

 やがて私から身体を離して寝台をおりると、セルゲイは言った。夕食を食べに行こう、と。





 私は食事が運ばれてくるまでの間、落ち着いた雰囲気の店内の内装を見渡していた。木目調の店内は一つ一つの座席の間隔が広く取られており、いかにもセルゲイが選びそうな、高級レストランだった。ピンと背筋を伸ばし、純白のナプキンを手に持つ給仕がテーブル毎に一人つくらしく、テーブルから二メートルほどしか離れていない所にずっと張り付いてくれるので、気が休まらないったらなかった。セルゲイは慣れているのか、チラリとも給仕を見ない。


 セルゲイが注文してくれた前菜が運ばれて来ると、私はナイフとフォークを取り、鮮やかな色のサーモンの上に乗る黄色いジュレを口に運び始めた。さすが大神官の選ぶ店だった。

 コクが有るのに後味はあっさりとしていて、サラリと口の中で溶けた。


 テーブルの上の銀色の蝋燭台に灯された火が、私達の間で揺らめく。私達は静かに食べた。

 言いたい事はたくさん有る筈なのに、何も出てこなかった。私は食べながら向かいに座るセルゲイをただチラチラと眺めていた。セルゲイは実に綺麗な所作で食べていた。彼の事だから、私に観察されているのは気付いているだろうに、セルゲイは何も言って来なかった。

 私は気が付くと言っていた。


「セルゲイさんとアレクシスさんは、似ていませんね。」


「そうだな。俺は父上に、……アレクシスは母上に似ているんだ。」


 一旦人懐こい瞳を私に向けたセルゲイは、母上、という単語を口にする時にその目を逸らした。私はついアレクシスの面影がある女性の姿を思い浮かべてみた。頭の中のアレクシスにワンピースを着せてみた。


「お母さんは、お綺麗だったんでしょうね。」


 バカな事を言った。

 私は口をついて出た率直な感想を、即座に後悔した。

 セルゲイの表情から感情がサッとかき消え、どこか冷たく張り詰めた空気を感じた。

 きっと母親の事は聞かれたくないのだろう。

 だが後悔と同じくらい、私は彼の両親の話を聞きたかった。候補者の女性達を巻き込んだ一大詐欺の大きな要因がそこにある気がしたからだ。最大の被害者としては、是非とも知りたかった。

 それに、私を大切だと思う気持ちがあるなら、隠さずに教えて欲しい。


 セルゲイは軽く左手を上げて給仕を呼ぶと、彼を遠くに下がらせた。


「俺は母上の顔を覚えていない。だがそうだな、母上は裕福な貴族の出で、当時の社交界では有名な美人だったらしい。神力に恵まれていたから、神殿に入ってハクを付けてから何処かの貴族に嫁がせようという親の軽い考えで神殿に入ったんだ。だがめきめき出世して、気がつけば大神官の嫁候補になっていた。結婚が正式に決まると、名誉な事だと一族をあげて喜んだらしいが……蓋を開けてみれば、母上は奔放な性格で、厳格な父上とは合わなかったらしい。二人は俺達が生まれるまでは……大神殿近くの屋敷に住んでいたんだが、……」


 その屋敷とは恐らく私が消し去った白い瀟洒な館の事だろう。言葉を濁すセルゲイの妙な気遣いがかえってこそばゆい。


「母上は王都に知り合いもいなかった。夜しか帰宅しない父上とはどんどん不仲になり、寂しさからか、旅にばかり出るようになったんだ。父上は父上で悪かった。母上に子どもができると、仕事にかまけてほとんど帰らなかったのだから。」


「そうだったんですか……。」


 陳腐な相槌しか出せない。

 だが私は悪者だと何故か決めつけていた二人の母親に、若干同情を覚えた。


「修復を試みた父上が無理矢理大神殿に母上と俺達を移そうとすると、貴族の女らしく、子育てする気も無かったらしい。母上は出ていった。母上はどんなに説得しても戻ろうとせず、血相を変えた実家の両親が母上に良く似た妹を差し出してきたらしい。馬鹿馬鹿しくて笑えるだろ?」


 セルゲイは口の端を歪めて笑った。その投げやりな笑い方に私がつられて笑う事はなかった。


「更に愚かしい事に、父上は義理の妹を差し出すその提案をのんだ。」


 私はあまりの展開に驚いてしまい、取ろうとしていたワイングラスを目測を誤って倒してしまった。テーブルクロスの上に倒れたグラスは割れなかったが、中身のワインは華麗に飛び、一部はセルゲイのシャツに見事にかかった。

 ああ、良かった。赤ワインじゃなくて。

 事態を離れた所から目撃していた給仕が、ナプキンの出番だとばかりにこちらに駆け寄ろうと動きかけたのを、セルゲイは振り返りもせずに片手で制止した。

 大神官の視野は後ろにも広がっているのか。

 セルゲイは膝の上のナプキンで自分の胸元とテーブルを拭いた。


「別に父上が義理の妹に一目惚れしたわけじゃないぞ?断れない状況になっていたんだ。大神官のもとから逃げた娘のせいで、母上の一族は家が取り潰されそうな事態にまでなっていた。世間から見れば、母上は絶対的な悪者だった。混乱を収拾する為に叔母上は大神殿に来たんだ。叔母上は俺達の乳母みたいなものだった。俺達が四歳の頃、世間が静かになったのを見計らって、父上は叔母上を実家に帰した。……俺達はそれはそれで悲しかった。」


 そこまで聞くと、極上の料理も喉を通らなくなった。大神官と離婚するのは、そんなに大変なのか。一族が袋叩きにあうらしい。

 その大神官の求婚から逃亡しようとしている私は大丈夫か。

 サル村は元々潰れているみたいな村だから、心配ご無用だろうか。


「……お母さんにはその後、会っていないんですか?」


「前に言ったが、俺は優秀な大神殿騎士を代々排出するアレンの家に預けられてね。五歳から、十三歳の誕生日までいたんだ。ちゃんとした修業を積む為に大神殿に戻る少し前に、俺は母上にこっそり会いにいった。母上は俺の顔を見て、父上の名を叫んで逃げ出して行ってしまった。俺が余程父上に似ていたのか、それとも息子の名を忘れたのか。」


 セルゲイは遠い目をしていた。

 その目からは表情が窺えず、彼がどう感じたのかは私にはわからなかった。

 まあ、ろくでもない家だったよ、と吐き捨てるとセルゲイは手を上げて給仕を呼び戻した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る