第48話 大神官様は御乱心中

 豪華客船で河を下るのはなんと優雅で、楽であった事か。

 私は馬車でデフレーから王都まで向かう道中、いかに行きが恵まれていたかを痛感した。南と王都をつなぐ道は、森や河川に恵まれて道が悪い上に、今回は大量の騎士達を連れている為に、私達は身軽に動けなかった。途中の街で借りた馬車が壊れたり、全員が泊まる宿が見つからなかったり。

 挙句には、行方不明になる騎士までいた。もっとも彼は半日後に酔い潰れた姿で場末の飲み屋で無事発見され、かつて氷崖の騎士だった鉄壁の騎士によって、厳しく制裁を受けていた。私は確信出来る。あの騎士は二度と酒を飲まないだろう。


 道中の後半数日は、もう記憶が曖昧だ。

 只管馬車に揺られて、とうに飽きた窓の外の過ぎ行く景色に、死んだ様な目を向けていた気がする。

 それは誰もが同じで、マドレーヌですら王都に着く頃にはやつれていた。彼女は最初、一日に三度は服を変えていた。恐らくかなりの潔癖性なのだろう。しかしながら、旅が進むにつれて、回数は二回、一回へと減っていき、遂には朝から晩まで同じ服を着ている、という後退という名の進歩を見せた。

 疲労は潔癖性を凌駕するのだ。

 この一件は、いかにこの道中が辛かったかを、何より如実に表していた。


 王都に到着したのは、デフレーを出てから二十日後だった。

 王都の街並みを再びこの目に出来た時は、ある種の感動すら覚えた。

 一部の大神殿騎士達とデフレーの盗賊達、及びクリストファーを乗せた馬車は、大神殿には向かわず、中央神殿で止まった。取り調べは中央神殿で行われるのだという。流石に盗賊達に、大神殿の神聖な土地を踏ませるわけにはいかない。


「マドレーヌ様も、まずはこちらでお降り下さい。」


 私とマドレーヌが乗る馬車の扉を外から開けて、アレンが言った。

 ここで?

 なぜ大神殿に直接向かわせないのだろう。マドレーヌが中央神殿で降りる必要性が分からない。

 私が眉根を寄せてアレンを見ていると、彼は続けて説明した。


「中央神殿では直ちに重要な取り調べが行われる予定です。大神殿騎士団長御自ら、取り調べをなさるのです。その際に、マドレーヌ様の証言も頂きたいのです。」


 マドレーヌは神妙な顔つきで頷くと、馬車を降りた。私は一刻も速く大神官と彼女を会わせたかったし、その場面を目撃したかったので、この展開を非常に残念に感じた。

 残された私は馬車で大神殿に向かう坂道を登った。大神殿の正面に辿り着くと私達をレストラ高神官が迎えた。私が馬車から降りようとすると、先にセルゲイが降り立ち、私に手を差しのべてくれ、降りるのを手伝ってくれた。その時、セルゲイは私にそっと耳打ちした。


「リサ。今夜、お前の部屋に行っても良いか?大事な話があるんだ。」


 私はなんだろう、と一瞬戸惑ったが、それでもセルゲイに夜にまた会えると思うと、嬉しかった。急にベランダに現れていた事を考えれば、断りをいれてくれただけでも素晴らしいではないか。私が快諾するとセルゲイはぎこちない笑みを見せ、頷いた。


 レストラ高神官にデフレーでのあれこれを聞かれながら、私は大神殿の中に入っていった。中に入ると、清浄な空気が私を待っていた。

 ここの空気はこうも清澄なものだっただろうか?身体に纏わり付いていた何か汚いものが、隅々に至るまで浄化されていく感覚があった。

 私が暫し入口で立ち止まっていると、レストラ高神官は訝しげに私を見た後、合点がいった様子で大きく一度頷いた。


「リサも分かるようになったのか。この地の類い稀な神聖さを。」


 そんなバカな。

 私がなぜ神官体質に。


 部屋に戻ると私は荷解きをした。大量の荷物を解体するのは、それだけでかなりの体力を消耗した。私は猛烈にお風呂に入って、身体を広げて眠りたかった。しかしその前に恒例の大神官様との謁見が待っていた。私は呼ばれるまで部屋で待機していたのだが、余りに疲れていたのでそのうちに寝台に横になって眠ってしまっていた。


 謁見の間に行くように伝えに来た職員に起こされたのは、夕方だった。どうやら数時間は寝ていたらしい。


 寝ぼけまなこも、久々にカリスマ大神官様に会うのだと思うと、真冬の南極の風に吹かれたみたいに吹き飛んだ。謁見の間に入るその時は、緊張で心臓が痛かった。何度経験しても慣れない。続けたら病気になれそうだ。

 大神官は奥の席に既についていた。右側の肘掛けに全身をもたれさせる様に座っていて、いつも通り数人の高位の神官達を従えていた。

 一目見て、私はその異変に気がついた。

 崩れた姿勢はもとより、どこか疲れた顔をしていた。

 大神官は大義そうに口を開いた。


「良く、無事に戻った。幾度と無く困難に直面したと、聞いておる。」


 はい、と言いながら私は頭を下げた。


「頭を上げよ。そなたの顔が良く見えぬ。そして何故それ程遠くに座る。近う寄れ。」


「はい…。」


 ずりずりと膝を擦りながら、近くに進んだ。止まってから顔をあげた。目が合うと大神官は、もっと寄れ、と、言いたげに強く手招きした。大神官はかなりの近眼らしい。

 大神官が満足する位置まで近寄ると、私は滲む様な笑顔を浴び、硬直した。美貌は健在だった。正気を保つ為に直視しない様に気をつけながら、私は大神官が言う事を聞いた。


「そなたには大神官付秘書としての任務を命じていたが、本日をもって解任する事となった。」


 突然の宣言に、私は内容を理解するまでに時間がかかった。

 解任?

 私の仕事は候補者の中から大神官が気に入る女性を連れてくる事だった。それが不要になったのなら、それでは……。


「大神官様のご結婚相手が決まったという事ですか?」


 大神官は、ああ、と実に気の無い返事をした。


「マドレーヌ様ですか?もう御会いになられたのですか。」


 しまった、私が昼寝をしている間に……?はしゃいで質問する私をよそに、大神官がおもむろに立ち上がった。大神官は剣呑な視線を居並ぶ神官達に向けると、簡潔に命じた。


「皆席を外せ。」


 神官達に軽い動揺が走った。

 皆で困惑気味に目を白黒させて、お互いの顔を見合っている。

 どうすべきかまごつく神官達に、大神官は再び命じた。


「席を外せ。」


 席を外せとは、私に対しても言っているのだろうか。私は突然の事態に、どうすべきか逡巡し、結局私も神官達にならう事にした。おずおずと離席し、出口へ向かって行く神官達に続いて私も出ていこうと腰を上げると、大神官が不機嫌そうな声を出した。


「そなたまで退席してどうする。」


 違ったらしい。

 私は上げかけた腰を下ろした。


 大神官は私の目の前でふわりと床に膝をついた。大神官のみが着用を許される緋色のムダに多いヒダの神官服が、床に広がる。このまま部屋を動き回れば、床の掃除ができそうだ。

 次に大神官は両手を伸ばし、私の両手を取った。真剣に私の顔を覗き込んでくるその金茶の瞳に映る自分は、固まっていた。


「そなたはサレ村に帰りたいと申していたな。だが、ここに残る気は無いか?残って私の妻になる気はないか?」


「すみません。疲れていて……良く聞こえませんでした。もう一度…」


「そなたは私が嫌いか?」


 苦手だが嫌いでは無い。私は頭をブンブンと振った。大神官は至極満足そうに微笑した。

 この微笑を誰かと分かち合いたい。一人では破壊的なこの威力を支え切れない……。


「では私と結婚しないか?」


 頭が朦朧としてきた。何か重大な過ちが起きている様だ。


「大神官様は、マ、マドレーヌさんと結婚するんじゃないんですか?」


「デフレー神殿は一旦解体せねばならぬ。その前にマドレーヌは逸材ゆえ、デフレー神殿より引き抜いたのだ。彼女は中央神殿で勤めさせた後、デフレー神殿の再建に携わって貰う。ゆくゆくは初の女性神殿長となるかも知れぬ。」


 うわあ!

 マドレーヌさんが聞いたら喜びそう!彼女、仕事に物凄く生きがい感じてそうなタイプだから!

 って場合じゃない。私は彼女をヘッドハンティングしてきた訳じゃないんだけど。奥方候補として連れてきたはずだ。これではあまりな行き違いじゃないか。それにしても、それじゃ、一体……。


「どなたが奥方に?やっぱりキャロンヌですか?それともまさかのフェリシテですか?」


「他の候補など、どうでも良いのだ。私はそなたが欲しい。」


 私は心の中で悲鳴を上げていた。大神官の腕が私に回され、私は力強く抱き締められていた。

 うわー!セクハラ、セクハラ………!?じゃないのか?これはもしやまさかの、オフィスラブというやつだったのか!?でも一方通行過ぎるんですけど……!

 では、大神官の奥方が決まった……というのは、まさか私の事か?内通者が流した誤情報は、実は正しかったのか?私は水を向けてみた。


「……あの、文書係長が、機密文書を漏洩していたのをご存知ですか?」


「知っている。あの者の身柄は既に中央神殿に移された。あの者は異世界人に対して良くない感情を持っているそうだ。デフレー出身というのもあって、そなたが有力候補になるのを何としても阻止したかったらしい。」


「私はいつから有力候補に……。」


 下僕にしか見えないんじゃなかったのか。


「そなたの神力は誰よりも大きかった。いつしかそなたは最有力候補になっていたのだ。」


 いやいや、そんなの困るから!私にはこんなカリスマ大神官様の伴侶になる気など、さらさら無い。お屋敷を破壊したのは本当に申し訳なく思う。だけど、自分の身を捧げるオプションは秘書の職務内容に含まれていなかったはずだ。

 私がこちらの世界に迷い込んでしまってから練り直した平凡な人生設計が、物凄い勢いで遠ざかって行く。

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