第45話 夜の庭

 パーティ会場である広間に戻ると、入って直ぐの所に神殿長がいて、私達の目が合った。

 ……ああ、この表情!!

 困惑と驚きを混ぜた神殿長の表情は、見覚えがあった。私が馬車の中から黒い森に攫われて、助けられた後に浮かべたものと同じだ。

 なぜあの時わからなかったのだ!

 この表情は、消したと思った私が再び登場した事に対する驚愕を意味していたのに。

 目を丸くする神殿長を無視して私はアレンを探した。彼もこちらを視線でひたと捉えており、客人でごった返す広間を速足で縦断して私の前に来てくれた。


「アレンさん、クリストファーさんがやって来て、応接室でセルゲイさんと剣を交えているんです!直ぐに行ってあげて下さい!」


 アレンは冷静を保ったまま、一度コクリと頷いた。


「リサ様はその神力でセルゲイ様の助太刀をなさって下さい。私は応援を集めて参ります。少しの間なら大丈夫でしょう。セルゲイ様はお強いですから。」


 応援って?と聞き返す私を無視してアレンは広間を駆け出た。私は慌てて廊下の先まで追いかけたが、セルゲイを一人にして良いものかと思い直し、アレンを追うのをやめて応接室に戻った。







 応接室の扉を開けると、中をそっと覗き込んだ。

 私は戸口付近で絶句した。

 部屋の中には誰もいなかったのだ。そこはもぬけのからだった。セルゲイとクリストファーはどこに行ったのだろう?

 部屋をさっと見渡すと、一枚の大きな絵がまるで扉みたいに開いた形で壁から離れている事に気付いた。それは等身大の神殿長の絵だった。そろそろと近づき、開きかけたその笑う神殿長の絵の額縁を掴むと、内側へ更に開けた。驚いた事に、絵の背後にはもう一枚の茶色い扉が隠されていた。まるで昔のカラクリ屋敷みたいだ。

 その扉もきちんと閉まってはおらず、僅かに開いた状態で、外から吹く風が隙間からこぼれていた。

 セルゲイ達はここから出て行ったのだろうか?

 はやる気持ちで胸をいっぱいにさせて、私は隠されていた扉を開けた。夜の冷たい空気が一気に私の全身を包み込んだ。扉の向こうは神殿の庭と繋がっていたのだ。

 日が沈み今や暗い庭園の中を、黒い葉を揺らす木立や、丸い形に綺麗に刈りそろえられた木々が点在していた。私がいる応接室は庭から一段高くなっていたので、飛び降りる様にして応接室の中から外に踏み出すと、足元には芝生が敷き詰められていた。

 二人の姿は見えない。どちらに行ったのだろう、とキョロキョロしながらたたらを踏んでいると、空気を裂く様な爆音が上空を走り、思わずビクリと体を震わせてしまった。ロケット花火みたいな音だった。何だったんだろう、今のは?暫く呆然としていると、左手側から人が争う声がした。

 あっちだ!

 弾かれた様に私は声の方角へ走った。芝の上を走るとその先には、赤い花を咲かせる植物が絡みついた木製の格子型のパーテーションがあった。ひとの背丈近くあるそのパーテーションを迂回すると、その裏にセルゲイとクリストファーがいた。

 二人は硬質な音を夜の庭に響かせながら、向かい合って剣を互いにぶつけていた。私が登場しても、二人は隙を作らない程度にチラリと視線をこちらに向けただけだった。


「偽作家。さっきの発砲音を聞いただろう。アレンが間もなく手勢を引き連れてここに駆けつけるぞ。もう降参したらどうだ?」


 発砲音。さっきのロケット花火は、アレンが放った合図だったのだろうか。しかし、手勢ってなんだろう。

 クリストファーは顔を歪めて笑った。


「その前に決着をつけますよ。……さすがは大神殿の騎士ですね。しかし私の敵ではない。」


 クリストファーは右上から踏み込むと見せかけて、防御の姿勢を取ったセルゲイの、無防備になった逆側を突いた。ギリギリのところでセルゲイは素早くそれをかわした。


「リサ、逃げてろ。こいつの狙いはお前なんだぞ。」


 そう言うセルゲイの頭上にクリストファーの剣が振り下ろされ、二人の剣が激しく衝突する。互いに睨み合いながら、合わせた剣を押し合い、シャラ、という冷たい音を響かせてそれを横に振り払う。二人の動きは速過ぎて、夜の暗がりの中では目で追うのが難しかった。


「偽作家。お前、なかなかやるな…」


 そう悔しそうに呟くセルゲイの額には、うっすら汗が滲んでいた。

 素人目には二人の腕前は互角に見えた。時間が経過して疲労が蓄積すれば、必ず勝負がつくだろう。


「私は一人でこれで稼いでいるのですからね。神殿をたくさんの味方と警護する貴方とは、経験が違います。」


 カン、カン、と矢継ぎ早に剣を繰り、セルゲイを追い立てる様にクリストファーは攻め立てていった。ジリジリとセルゲイが後退を余儀無くされた。彼の後ろには、ツツジに似た花を付けた低木が植えられた大きな花壇が広がっていた。これでは背水の陣も同じだ。

 アレンさん、早く、早くここに来てよ……!

 私はなす術もなく二人の近くを徘徊した。ああ、嫌だ。私はまた何もできないのだ。

 作家だと名のっていたはずのクリストファーは作家ではあり得ないと確信できるくらい、想像以上に強かった。剣術になどまるで詳しくない私であっても、彼の動きには全く無駄がなく、力強いのに速さがあり、かつ流れる様な圧倒的なリズムを持っている事が理解できた。


「私を殺さずに捕らえようという甘い考えは

 捨てるべきでしたね。」


「俺は無駄な殺生はしたくないんだ。」


 追い詰められてもなお、セルゲイの発言は強気だった。いっそ、さすがと褒めてやりたいが、彼が殺生してくれなければ、私と彼が殺生されそうだという展開を読んで欲しい。


「隙あり!」


 クリストファーが嬉しそうに叫び、大きく剣を払うとセルゲイの剣を地面に叩き落とした。そのまま剣を再度振り上げ、セルゲイを斬りつけようとした寸前、セルゲイは素早く前転し難を逃れ、落とした自分の剣を拾うのに成功した。

 危ない。

 アレンは間に合わないかもしれない。

 私はセルゲイに守って貰ってばかりだ。今こそ私も彼の役に立たなければ。

 私は息を大きく肺に吸い込むと、右手をクリストファーに向かって掲げた。

 手の平に風は十分に感じられる。きっと大丈夫だ。あの時大神官に教わった事を思い出すのだ。今度こそ、私はできる。私はこの神力とやらを、使いこなしてみせる!

 大神官様、私に力を。

 ――出ろ、私の神力!!


「うわっ……!」


 突然セルゲイの身体が空高く吹っ飛び、次の瞬間彼は重力に引き戻されて、バサッ、と音を立てて花壇の低木の上に落下した。

 嘘だ、嘘だ………。クリストファーに照準を合わせていたのに……!!


 目の前で起きた飲み込めぬ事態に、クリストファーが驚いて動きを止めていたのは、ほんの短い間だけだった。直ぐに彼は花壇に向けて駆け出し、剣を刃先が下になる様に持ち替えると、助走をつけて軽やかに花壇を乗り越え、セルゲイが落ちた低木の群生目掛けてジャンプした。


「やめてぇぇぇーっ!!」


 私の懇願は悲鳴に近かった。

 言葉に力があったなら。

 まるで覚めない悪夢の中にいる様だった。無我夢中で二人に駆け寄り、けれど私は何もできなかった。

 セルゲイは動けなかった。

 高い所から落下した衝撃で彼の身体は、低木の中に深く食い込み、その細かな枝葉が彼の動きを半ば封じていた。低木の中に仰向けに浮かぶ身体をセルゲイがやっとの事で起こしかけたその時、クリストファーが彼の上に踊りかかった。

 クリストファーの剣はセルゲイの胸の真ん中目掛けていった。暗がりの中、太く銀色に輝くその剣は、勢い良くセルゲイの胸に深く突き立てられた。苦痛に顔を歪めながら、その衝撃にセルゲイが再び低木の中に埋まっていく。そんな中でも、セルゲイは残る力で剣を振り上げ、それは身体の上に乗るクリストファーを掠めた。二人はもつれる様に低木の上で反転し、やがてセルゲイは緑色の葉に沈み込みうつ伏せたまま動かなくなった。クリストファーは低木を激しく揺らしてもがきながら、絡みつく小枝を振り払い、身体を起こそうと、顔を真っ赤にしていた。

 この時、私は彼に明確な殺意を抱いていた。

 心の中に強い怒りを抱いて、クリストファー目掛けて突進すると、花壇に踏み込み、掴みかかってやろうと両手をあげた。その刹那、紫色の花々と葉を巻き上げて、クリストファーの身体が空中に跳ね上がった。彼はまるで冬場に枯れた落ち葉が風に飛ばされる様に、放物線を描いて軽々と高く飛ばされ、途中で高い木の枝にぶつかってから、芝生の地面の上に鈍い音を立てて落ちた。

 それきりクリストファーも微動だにせず、捨てられた人形の様にその場所に転がっていた。落ちた高さと地への衝突音を考えれば、骨の一本や二本は絶対に折れたに違いない。

 ……ああ、今……今さら、ちゃんと神力を使えても、もう全てが遅いのに……!私がこの力を上手に使いこなせなかったせいで、最悪の結末へと向かっていた。

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