第44話 クリストファー、再び

 ああ、神殿長。

 貴方本当に怪し過ぎるから。


 よりによってこの場で、神殿長からクリストファーと引き合わされるとは思っていなかった。確かにクリストファーは以前、取材でデフレー神殿を訪問する、と船上で言っていた。セルゲイは彼の事を、有名作家のラング氏を騙る偽者だと断言していたが、結局真相が分からないうちに私は彼と別れていた。

 

「またお会いできて嬉しいです。」


 手を差し伸べて颯爽と握手を求めてくるクリストファーはやはり表面的には紳士にしか見えない。おずおずと差し出した私の手を握り返す手の力も、優しい。


「立ち話もなんでしょう。どうぞ、そちらの応接室をご利用下さい。ははは。」


 私とクリストファーを不気味な笑顔で眺めながら神殿長は広間の斜向かいにある応接室を短い腕で指し示した。妙に気が利く中年の男には何か下心があるに決まっている。なぜなら普通、中年の男は私と同じくらい気が利かないからだ。長年のカンが私に警鐘を鳴らしていた。

 だが、クリストファーとじっくり話をしたいのも事実だった。彼からはまだ聞いていない事があったからだ。

 大神殿の内通者について。

 クリストファーが私にどんな意図があって接近してきたのか、はたまた意図など無かったのか、それも、知りたかった。

 見たところクリストファーは武器らしい物は何も持っていなかった。彼は茶色い革張りのA4サイズの鞄を左手に下げているだけだった。セルゲイやアレンの様に、常時長い剣を腰にぶら下げているわけではない。

 しかも今はたくさんの客が集うデフレー神殿の中だ。神殿の中で私に万一の事があれば、デフレー神殿も責任問題に発展するのだから、ここで私に何か危険が待ち受けているとは思えない。


「応接室にいきましょうか。」


 神殿長の提案にのり、私はクリストファーを誘った。


 応接室に通じる扉を開け、私は入り口に立ったまま面食らった。20畳ほどの広さの部屋の壁全面に、神殿長をモデルにした大小様々な肖像画が飾られていたのだ。

 自信に満ち溢れた面差しでこちらに向かって微笑する神殿長。かなり実物より美化されている。逞しい白馬に跨がり、森の中を駆ける神殿長。あの体型で馬に乗れるとは驚きだ。ベールを被った謎の美女と並んでこちらを向く神殿長。奥様だとしたら奇跡だ。おおぜいの幼児達の後ろに立ち、神の教えが載る聖典を広げる神殿長。無表情な幼児達の顔だけが妙にリアルだ。


 気を取り直そうと私は顔をブンブンと左右に振り、頭の中から絵画の残像を振り落としてから部屋の中央におかれたソファに腰を下ろした。念のため、私は入口に一番近い所に座った。クリストファーも後に続く。

 彼は私の向かいではなく、直ぐ隣に腰を下ろした。


「随分奇抜な応接室ですね。」


 思わずのようにそう漏らしたクリストファーに、私は釣られて笑った。私が笑うとクリストファーは目を絵画から放してこちらを見た。その目は、相変わらず私には誠実そうに見えた。


「神殿長から聞きました。お仕事でこちらにいらしたとか。」


「はい、そうなんです。クリストファーはいつデフレーに?」


 彼の話によれば、河岸の街に一泊してからこちらに来たのだと言う。黒い森なぞで一泊した私とは大違いだ。

 私達はひとしきり世間話を楽しんだ。


「あの。私、クリストファーにお聞きしたい事があったんです。」


「何でしょう?」


 何でも聞いて下さい、と言わんばかりの笑顔でそう切り返された私は、緊張にゴクリと喉を鳴らしてから続けた。


「前にクリストファーは、大神殿に情報を流してくれる人物がいると教えてくれました。それは、誰なんですか?」


 クリストファーはゆっくりと微笑を浮かべた。私は拳をギュッと握り締めて返事を待った。


「冥土の土産に、教えて差し上げましょう。大神殿の職員である文書係長ですよ。」


 息が止まった。

 冥土の土産?

 急速に張り詰めた空気の中、私達はわずかな間無言で見つめあった。私が出口である扉に視線を投げた一瞬の事だった。クリストファーは屈むと座っていたソファの下から何かを取り出し、気が付くと私はスラリと輝く切っ先を喉元に当てがわれていた。剥き身の剣が、私に向けられていた。


「驚きましたか?」


 クリストファーは穏やかな口調のまま、小首を少し傾げて私に尋ねた。

 全身の神経が痛いほどに冴えていく。

 剣先は私の喉の皮膚に軽く触れていた。僅かでも動けば、クリストファーが持つその長い剣が私の肌を着実に切ることができそうだった。


「どう、して…」


 首筋に当てられていた硬い感触がそっと離れたのが分かった。


「リサの事はとても気に入っていたのですけどね。リサは大神官の奥方の最有力候補だそうですね。ここの神殿長にリサを消す様に頼まれたのですよ。」


 私はバレないように、扉の方へ少しずつ滑らせる様にジリジリと足を動かしたが、クリストファーの剣が私の首筋に再び当てられ、それ以上動くのを許さなかった。私はソファから立ち上がる事すら出来なかった。

 急速に渇いていく口をどうにか動かした。


「再三言っているのですが、それは誤解です。最有力候補はマドレーヌさんです。」


 するとクリストファーは私に剣を向けているとは思えない、何か愛しいものでも愛でる様な目つきで私を見つめた。

 すっ、と彼の手が私の顔に伸ばされ、私の頬に触れた。その手はゆっくりと滑り下り、私の唇に辿り着いた。私はクリストファーに親指で唇を撫でられ、身じろいだ。

 目を細めながら、ふっ、とクリストファーが微笑する。


「リサの宣言よりも、内通者から得た情報に重きを置きますよ。それに最終的に判断するのは、大神官様ご本人でしょう。」


 どうやら私の言動はかなり軽んじられているらしい。確かに、最後に決めるのは大神官様だけれど……。


「こ、こんな神殿の真ん中で私に何かあったら、デフレー神殿の責任が問われるんじゃないですか!?」


 震える声で必死に訴えると、クリストファーは囁く様に言った。まるで恋人に優しく語りかける様に。彼の親指は今や私の口の端から、口の中に侵入を始めていた。私はその異物感に、命の危機とは違った恐怖を感じ始めた。


「そう。だからリサは客船で親しくなった私と、駆け落ちをした事にするのです。幸い、広間を出たところはおおぜいの客人が目撃していますし。ちなみに正面出口からリサが私と出て行く証言も出る予定です。こちらは捏造ですが。」


 誰が駆け落ちなんてするか!そんな不名誉な死に方は絶対にごめんだ。

 私は首を激しく振って、口内を弄り出していたクリストファーの親指を振り払った。

 私が大きな声を上げて助けを求めようと息を吸い込むと、すかさずクリストファーは言った。


「叫んでも外には聞こえませんよ。この部屋は防音室なんだそうです。」


 防音室!

 そんな、学校の音楽室みたいな設備がなぜ神殿にあるのだ。入った時からロクな部屋じゃないとは薄々感じていたが、予想通りではないか。


 絶体絶命の危機の中、ギイ、と軋む音を立てて、おもむろに扉が開いた。


「なんでお前がここにいるんだ!偽作家!」


 はっ、とクリストファーが身を強張らせ、剣先が私の首筋から離れた。私はそのわずかな隙を見逃さなかった。私は勢い良く床を蹴り、大きく開けられた扉の横に立ってこちらを睥睨しているセルゲイのもとに駆け寄った。

 セルゲイは私の二の腕を掴むと、私を背の後ろに庇う様に自分の後ろに引いた。その間にクリストファーはテーブルを踏み台にして軽やかに飛び、そのまま剣をセルゲイに振り下ろした。間一髪で剣を抜く事に成功したセルゲイはどうにかそれを受け止め、僅かに押された後、身体を反転してクリストファーの剣を流した。

 両者は部屋の中で剣を掲げたまま睨み合う形になった。


「セルゲイさん、大神殿の情報を漏洩していたのは、文書係長だそうです!!」


「ふん。やっぱりな。大神殿にいる高位の神官は長年仕える素姓の確かな者たちばかりだ。他に候補者の名前を知る事ができるのは、機密文書に触れる機会のある文書係くらいだからな。どうせそこからリサの出身を聞いて、リサに近づくために異世界に詳しいフリをしたんだろう。くさい芝居をしたもんだな。」


 文書係と言えば、私がアイギル小神官からの手紙の行方を聞きに行ったところだ。

 まさかあの一件も関係あるのだろうか。


「私宛の手紙を盗んでいたのも、その係長かも知れません!若い文書係の男性に聞いた時は手紙は無いと言われたんですけど…」


「その若いのは味方だ。リサ宛の手紙が誰の手にも渡らぬ様、俺が命じていた。」


 誰の手にも……?

 本人にすら渡らない事には問題はないのか。


「リサ。こいつが現れた事をアレンに知らせてきてくれ。」


「そうはさせませんよ!」


 クリストファーが私に向かって踏み込み、下から上方にむけて剣が突き出す様に動いたのを、セルゲイが身体ごと割り込み剣で庇ってくれた。

 急がなければ。

 助けを呼ぶのだ。私がここにいてもセルゲイの足でまといになるだけなのだから。

 私は残していくセルゲイを気にしつつも、剣の応酬舞台と化した応接室を飛び出した。




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