第42話 帰り道

 私は神殿長とマドレーヌが乗った馬車に引き続いて、自分がどう襲われたのかを順を追って細かく話した。

 中年の男性はノートに私の証言を書き連ねながら、ほーう、ほーうと逐一相槌を打った。まるでフクロウみたいだった。

 とりわけ自分が火にまかれたくだりを話す時は、当時の恐怖が蘇ってしまい私は動揺しそうになったが、隣に座るセルゲイがそんな私の手を彼の大きな手で優しく包んでくれた。


 ひとしきり話し終えると、二人の男性は私の証言を捜査に活かすつもりだ、と断言してくれた。間違いなく彼等は突然の私の来訪に戸惑っている様子で、私の話が終わった後はさっさと私達に帰って欲しそうだった。彼等は鉄格子のはめられた窓の外を無意味にちらちら見たり、手を不必要に揉んでいたのだ。時折吹く強い風が窓をガタガタと揺らし、沈黙を埋めた。

 もう一歩、踏み出すのだ。私は更に畳み掛けた。


「神殿長を襲った男達はこちらに捕まっているんですよね?あの、会わせて頂く事はできませんか?」


 二人は殆ど同時に瞠目した。どう好意的に見ても、ステキな考えだとは受け止められていなさそうだ。中年の男性は食い入る様に私を見てから、激しく睫毛を揺らしておどおどした声で答えた。


「いくら王都からの秘書様であっても、それはできません。危のうございます。捜査権のある方にしか、直接会わせる訳にはいきません。」


 声は困惑していたが、彼等の態度はきっぱりとした拒絶だった。私も会わせて貰えるとは思っていなかったので、それ程落胆は無かった。だが果たして男たちを逃がしていやしないかが気がかりだった。

 私は断りにくくする為に敢えて断定的に質問した。


「顔を遠くから見るだけなら大丈夫ですよね。案内して下さい。」


 二人は顔を見合わせた。反応から察するに迷っているようだ。

 更にひと押しする様に私が、お願いします、というと彼等は渋々承知して、建物奥の拘留スペースへと連れて行ってくれた。

 安っぽいクリーム色の木の扉で仕切られた先が拘留スペースになっており、扉の奥に空間が広がり、私はその扉に開けられた小さな窓からその先を覗かせて貰った。いくつかの団体房が並んでおり、縦に走る鉄格子で四角く区切られた狭い部屋に、いかにもならず者といった風情の男達がたくさん閉じこめられていた。灰色の石の床に座り込む者や、立ったまま格子を握りしめこちらを睨む者など、様々だった。全員が盗賊団の一味なのかは分からなかったが、何人かにはうっすらと見覚えがあった。

 私はとりあえずちゃんと盗賊達が捕らえられている事に一安心し、覗きこんでいたクリーム色の扉の窓から離れた。


「無理を言ってすみませんでした。お忙しいところ失礼致しました。」


 二人の職員にお礼を言って、私とセルゲイは自警団の詰所を後にした。





 外に出ると夕暮れ時になっている事に気がついた。広場を取り囲む様に建つ石造りの高い建物に隠れて、落日は見えなかったが、西の空は朱く染まり、じき夜がくる事を告げていた。

 薄暗くなった街中ではポツポツと街灯がつけられ始めている。無数の小さな羽虫が、点灯した街灯に群がっていた。

 夕方特有の涼しい風が吹きスカートのヒダを揺らす。

 どこからか夕餉のしたくの匂いが漂っている。歩く人々も帰り道なのか、心なしか急いでいるみたいに見える。

 私達はトボトボと帰り道を歩いた。


「どうしたんだ?急に静かになって。」


 何の予告も無く勝手に手をつないできたセルゲイが尋ねてきた。


「いえ、私って無力だなあって思って。」


「無力?屋敷を壊したり人の神力が見えたりするリサが無力?」


「茶化さないで下さい!そういう事を言っているんじゃなくて。そんなのは意味のない能力です。」


 セルゲイは悪戯っぽい表情を消し、神妙な顔つきになった。


「詰所まで足を運んだ甲斐があったじゃないか。少なくとも襲撃者達が詰所にいるのを確認できた。」


「違うんです。私は何の役にも立っていないな、と最近思うんです。セルゲイさんやアレンさんはテキパキ仕事をこなしているし、候補者の女性達は己の欲する所を知っていて、ちゃんと努力しています。マドレーヌさんなんて、もう素敵過ぎるし。私なんてもう、いるだけじゃないですか。」


「リサだって頑張っているじゃないか。………リサ、役に立ちたいと思って行動している限り、役に立たない人間なんていない。一生懸命やっている姿は皆に伝わっているぞ。」


「そうでしょうか。私の代わりなんて、たくさん…」


「リサの代わりなんていない!リサはリサだろう。お前のサル村の住民にとってリサは何だ?リサはたった一人の大事な存在だろう。俺にとってもそうだ。誰もリサの代わりなんて出来ないんだ。」


 私達は広場の真ん中で手を繋いだまま見つめ合って立っていた。

 心が暖かくなる言葉だった。どうしてセルゲイは私が言って欲しい事が分かったのだろう。サル村を出て以来、どうにでもなれ、と思ってがむしゃらに走ってきたのが、ここへ来てナーバスになっているみたいだった。

 それは、もうすぐもしかしたら帰らないといけないから……?


 風がセルゲイの長い黒髪を靡き、後ろで一つに括る飾り紐から抜け出た髪の束が、彼の白く滑らかな頬を叩いた。

 私は手をゆっくりと伸ばして、その髪を後ろにどけてやった。こういう風に彼の髪を触るのが好きだった。セルゲイの瞼が微かに揺れた。艶があり柔かなセルゲイの髪は、絹の様になめらかでありながら、手に持つとしっかりとした強さが有った。


「セルゲイさんにも悩みってあるんですか?」


「無い様な聞き方をしてくれるじゃないか。目下俺は、恋の悩みに苦しめられている。」


 私は苦笑した。

 セルゲイが恋で悩むなんて。一番あり得なさそうだけど。

 茶目っ気を発揮する青い瞳を見つめていると、ふいにそれはなりを潜め、眼光鋭い視線が私を射抜いた。強い力を持ったそれは、何度となく見た、私が彼を遠く感じる得体の知れなさを纏っていた。


「俺が負える重荷をおろせるのはただ一人の前だけだ。リサ、お前にその一人になって欲しい。」


「セルゲイさん……」


 ぐい、と手が引かれ、あっという間に私は広く暖かな胸の中にいた。セルゲイの両手が私の後ろに回され、力強く抱きしめられた。

 ドクドクと自分の心臓が体中の血流を激しく動かしているのが分かる。セルゲイからは、甘い良い香りがした。


「すぐに帰るなんて言わないでくれ。サル村にはいつでも帰れる。俺の側にいてくれないか?」


「………いたい。」


 私がそう呟くとセルゲイは素早く身体を放して私の顔を覗き込んだ。両手を私の肩に置くと、どこか獰猛さを奥に秘めた様な妖艶に輝く瞳で言った。


「口付けても良いか?」


 私は場違いにも少し笑ってしまった。


「以前は断りも無くしてきたのに。」


「あれは……失策だった。恋愛に人の助言など借りるものじゃないな。」


 助言?

 私は目を丸くして瞬いた。


「女性は押して押しまくるものだと、俺に囁いて来た女殺しがいてね。」


 嫌な予感がした。

 セルゲイに余計な助言をしそうな人物は一人しか思い浮かばない。鉄壁の騎士だ。


「もしかして、その当たらずも近からずな助言をしたのはアレンさんですか?」


 セルゲイは眉を持ち上げた。感心した様な表情で私を見おろす。


「良く分かるな。」


 女殺し?アレンが?

 それは世間の女性を次々籠絡していく、女に不自由しない男性の事だろうか。

 それとも神殿に侵入しようとした不届きな女性を次々血に染めた、文字通りの女殺しを言っているのだろうか。

 どちらがマシであろうか、と暫し本気で考えた。

 ………女殺しの鉄壁の騎士。私の氷崖の騎士であった頃の面影は最早微塵も無い。


「アレンさんはモテるんですか?」


「アレンの話はもう良いだろう。リサまであいつに惚れないでくれ。」


 そう言うなりセルゲイはぐっと顔を寄せて来て、私の唇にその唇を押し付けた。柔らかなその感触に頭がクラクラとする。

 まだ返事をしていないのに、卑怯じゃないか。わざわざ聞かれた意味が無い………そう思いながらも、彼を押し退ける気は私にはさらさら無いのも事実だった。

 村長、クリス兄さん、ごめんなさい。

 私、セルゲイを好きになっちゃったよ。今はまだ離れたくないよ……。

 数秒で離されたそれは、僅かな時間を置いて再び押し付けられた。

 漸く私を解放したセルゲイは高らかに宣言した。


「次からはもういちいち許可を取らない。」

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