第38話 その名は鉄壁の騎士

 手の中のリストをキツく握り締めた。

 私を攫った男達の、人間性の欠片も感じさせないあの目。火に取り囲まれて助けを求める私を見殺しにしようとしたあの後ろ姿。僅かに思い出すだけで胃に痛みがさしこむほどの残酷な行為。あれをやらせたのが神殿のトップ………?

 大神官の予感通り、私はこの地で確かに悪意を向けられていた。それも命を奪われかねないほどの強烈な悪意だ。その主体が神殿長とあっては、まさに私は火の中に飛び込んだ虫に等しいではないか。しかも私が最有力候補だという誤報から始まっている。その内通者が恨めしい。今や私はその人物に明確な殺意を抱いていた。

 ああ、大神官すら憎らしくなってきた。

 私が心配だ、とか何とか耳に唇を押し付けんばかりの距離で囁いていた癖に、結局私がデフレーで危険な状況にいるのは全部あのカリスマのせいではないか。


「リサ様。この娘どういたしましょう。人知れず始末する事も可能ですが。」


 左肩を押さえて泣いていた若い女性職員は目を絶望に満ちた色に昏くさせた。同時に私もどっと疲れた。人が一人私の部屋で消えたら、それこそ神殿長につけいる隙を与えるだけではないだろうか。

 私は大神殿騎士団に対する認識を変えざるをえなかった。


「アレンさん……。私は今まで、大神殿騎士達って、貴族の若い男性が煌びやかな衣装と顔でお飾りよろしく大神殿の前に立って、警備をしている集団なんだと思っていたんですけど。」


「その認識に誤りはありませんよ。」


 いやいや。

 誤りだらけでしたよ。

 外国の王宮の前にイケメン警備員がいて、観光客と写真におさまっている光景がずっと私の頭の中にはあったのだ。しかし実際はすくなくとも私が知っている大神殿騎士は、バリバリに神力が使えるし、サクサクっと些かの躊躇いもなく人を斬り捨てる。

 全然、お飾りなんじゃない。

 ああ、というか、私こそがお飾りだし。


「リサ様?遠い目をされてどうなさったのです。現実逃避なさらないで下さいね。」


 アレンさん、と私が呻くと、それまで痛みからか俯いていた職員がガバリと顔を上げた。


「アレン……。もしかして、あなたはあの鉄壁の騎士と呼ばれている、あの有名な騎士!?リード侯爵家の長男の……?」


 なんだそれは。

 アレンは氷崖の騎士であって、鉄壁の騎士などでは無い。勝手にアダ名をつけないで欲しい……謎の反発心に燃える私を尻目に、当の本人は問いかけに対し首を縦に振って同意した。

 えええ!?

 あんた、鉄壁の騎士とやらなの?有名な騎士なの!?


「アレンさん、何なんです、その鉄壁の騎士って?」


 アレンがそれに答える前に、職員が床に突っ伏し、まるで寒さから身を守るかの如く盛大に体を震わせて慟哭し始めた。


「お、お許し下さい!!どうか命だけは助けて下さい!私だってやりたくてこんな真似をしたのではありません…!」


 彼女の豹変ぶりに私が呆気にとられた。

 だがボンヤリしている場合ではない。私はまずアレンに彼女の肩の関節をなおす様、頼んだ。アレンはいかにも不服そうな顔をして言った。


「それがリサ様のお望みならば。」


 アレンが彼女の体を押さえ、強く左肩を押し込むと、一瞬悲鳴が上がった。顔を覗き込むと、彼女の表情からは痛みに歪んではおらず、代わりに恐怖に引きつっているだけだった。

 私は彼女の正面に膝をついて、語りかけた。


「あなた、名前は?」


 パンジーです、と囁く様な小声が返ってきた。


「ねえパンジーさん、神殿長に命令されたからって何でもいう事をきく事は無いんだよ?あなたも物の善悪はつくでしょう。いざとなれば他の神殿に移る事だってできるんだし。」


 パンジーはコクコクと頷いた。同意というよりは単に許してもらう為にそうしているのだろう。

 この職員を神殿長に突き出すべきか悩んだが、シラを切られたらおしまいだ。私はまず自分の仕事を優先させなければならない。マドレーヌを大神殿に連れて行くか否か。それまではイザコザを起こしたくなかった。神殿長を追及するのはこれだけでは難しいし、今はその時期にふさわしくない。


「パンジーさん。神殿長にはこの事は内緒にしましょう。互いの為に。貴方は特にめぼしい物は何も見つけられず、代わりに私やアレンにも見つからず、穏便に出て行くの。そう神殿長に報告できる?」


 パンジーは額を床に擦り付けながら、ハイ、仰る通りに、と答えた。


「それと、もう一つ教えて欲しいんだけど。鉄壁の騎士って何?」


「リサ様。そんな事はどうでも宜しいではありませんか。」


 不満を挟むアレンをチラリと気にしつつも、パンジーは小さな声で喋り出した。


「鉄壁の騎士様はデフレーでもそのお名が知れ渡っています。大貴族のご子息ながら、武芸に恵まれ、入団間もなく異例の速さで出世されたとか。千人の敵を相手に一人で打ち負かし、その警備は鉄壁の守りを誇り、大神殿に侵入するものはぺんぺん草一本許さないとか。」


「ぺんぺん草……。」


 私の呟きを無視してパンジーは続けた。


「泣く子も黙る鉄壁の騎士、誇り高き栄光の大神殿騎士にして国王陛下の甥であらせられるアレン様。そのアレン様とは知らず、とんだ狼藉を……。」


 国王陛下の甥?

 私はギョッとして隣に立つ氷崖の…じゃない、鉄壁の騎士を見た。

 私はパンジーにもう一度、何もなかったと報告する様に言い含めると、あわれにも生まれたての子鹿の様にまだ震えている彼女を部屋から追い出し、鍵を内側からかけた。そのままアレンに向き直る。


「アレンさんは、王様の甥なんですか?」


「リサ様はようやく私にご興味を抱かれたのですか。」


 それはどういう意味だ。確かにアレンに身の上話を聞こう、とは思っていなかったしそれどころか世間話すら早々に諦めていたけど。しかも同行者の強烈なインパクトにすっかり霞んで私の中で影みたいなポジションになってはいたけれど。


「いや、アレンさんこそ、セルゲイさんしか眼中に無かったし……。」


「私の母親は現国王の妹なのです。ちなみに国王の正妃は私の父の姉であり、どちらの意味でも私は国王陛下の甥です。」


 アレンは涼しい表情を一ミリも崩さずに驚くべき事実を言った。サル村の人間にとっては、国王なんて最早存在するのかすら分からなくなるほど、遠い存在だった。その甥を目の前にしているなんて。


「国王って本当にいるんですね。」


「私としては大神官様の屋敷を壊す人間が存在する方が感動的でしたよ。」


「そんな、ご謙遜を…。」


「別に謙遜をしたつもりはありません。」


 奇妙な沈黙が流れた。

 私はアレンの濡れた髪に目を走らせた。


「アレンさんは先に食堂に行かれたのかと思っていました。」


「食卓は皆で囲む方が楽しいではありませんか。愛おしくも大事なリサ様をお一人で寂しく食事させる訳にはいきません…」


「えっ、アレンさ…」


「…とセルゲイ様が仰ったものですから。私は瀕死の腹の虫を叱咤激励して入浴を優先させたまでです。」


 私は一瞬アレンにさえ殺意を覚えた。人を不当に良い気にさせておいて突き落とすのが得意らしい。お腹が空いているからだろう、落ち着け、私。


「セルゲイさんは?」


「髪を乾かすのに時間がかかっています。じき戻られますよ。」


 そうか。

 私より長い見事な黒髪なのだから、乾かすのに時間がかかって当然だ。きっと職員から香油攻撃にあっているに違いない。

 私はもう一つ気になって仕方が無い事を聞いた。


「アレンさんはどうして髪が濡れたままなんです?まさか、マドレーヌさんが現れたとか。」


 するとアレンは金色の眉を軽くはね上げた。


「良くご存知で。」


 ええええええっ!?

 それはマズイよ、マドレーヌさんっ!

 いくら事情があっても、男性の浴室に行っちゃ駄目でしょ!

 呼吸の仕方を忘れたかの様にあわあわと妙な息継ぎを繰り返す私を、アレンは不審そうな冷めた目付きで見ながら言った。


「大広間で食事の支度をして貰っている筈ですので、先に行きましょう。マドレーヌによれば神殿長は大変な大食漢で、早くいかねば私達の食事がなくなるそうです。」


「……そんな伝言をわざわざマドレーヌさんが?」


 私への伝言とは随分違ったものだったらしい。ならばアレンはそんな伝言を受けて髪も乾かさずに急いで部屋に戻ったのか。よほど空腹に耐えかねていたのか。気になって仕方が無いことは今聞いてしまえ。


「ま、まさかセルゲイさんとアレンさんはマドレーヌさんに背中を流して貰ったり髪を洗って貰ったりしてないですよね?」


「リサ様がその様な倒錯的な想像をなさるとは意外です。彼女は私達が服を着た頃合いを見計らって脱衣場にやってきただけですよ。」


 ああ、なんだ、そういう事か!

 良かった……。私は心からホッとして口元を緩ませた。

 アレンには私の品性が今疑われたかも知れないが、そんな事より私がマドレーヌの品性を疑わずにすんで良かった。

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