第37話 侵入者

 浴場を出ると、脱衣所にタオルを持った女性職員が立っていた。彼女は慌てて出て来た私を見てびっくりした様に一瞬目を丸くさせたが、直ぐにおずおずと笑みを見せて抱えていたタオルを差し出して来た。

 お礼を言いつつも、疑念が首をもたげた。タオルなんてその辺に置いておけば良いではないか。わざわざ張り付く必要性は無い筈だ。

 急いで服を着ると、彼女は新しいミニタオルと櫛を手に近づいてきた。


「御髪を乾かしましょう。」


「いえ、ちょっと急いでいるので結構です。」


「秘書様。髪に良い香油も用意してございますれば…」


 私は脱衣所の出口を塞ぐ様にして食い下がる職員を無視し、濡れた髪のまま廊下へ走り出た。お待ちを、と狼狽える職員の声を背にそのまま全速力で自室まで駆けた。まだ足の裏が湿り気を帯びていて、靴が皮膚にくっ付いて気持ちが悪いが、それより部屋に速く帰る方が大事だ。

 真鍮のノブに手を掛けて一気に回すと、止まる事なくノブは回り切り、呆気なく部屋が開いた。

 鍵、かけてから出たのに!!

 緊張と恐怖で息が止まりそうだ。そっと扉を押し、廊下に立ったまま部屋の中を覗き込んだ。


「ここで何をしているの……?」


 私の部屋の中には若い女性職員がいた。私の荷物の前に座り、私が戻って来た事に気付くとビクリと体を震わせて何かを自分のポケットに押し込んだのが見えた。そばかすが鼻や頬に散った顔を白くさせ、小さな唇を震わせている。赤く柔らかそうな髪が風も無いのにそよぎ、彼女の動揺を表しているみたいだった。

 黙ったままの職員にもう一度言った。


「私の部屋で何をしているの?」


「あの、お部屋を片付けようと…」


「十分片付いているじゃない。鍵はどうしたの?」


 職員の顔が一層白くなった。

 この若い職員が独断で部屋の鍵をかりられる訳が無い。背後に誰かがいるのだろう。


「誰に頼まれて私の持ち物を探っていたの?」


「た、頼まれてなんていません!探るだなんて…」


 私は彼女に大股で歩み寄り、制止を振り切りそのポケットの中に手を突っ込んだ。中からは紙の束が出て来た。今度は私の手が震えた。それは大神官の妻候補の名が書き連ねられた、例のリストだった。以前大神官から直接貰ったものだ。


「これをどうするつもりだったの⁈どうしてこれを盗ろうとしたの!」


 相変わらず職員は顔を白くしたまま唇を真一文字に噛み締め、口を開かない。


「黙っていないで答えなさい!」


 堪り兼ねた私が怒鳴ると彼女は再びビクリと体を震わせ、その重そうな口を開いた。


「王都の大神殿の、それも大神官様の秘書をなさっているリサ様は、あたしには雲の上の方だから………。ど、どんな物をお持ちなのかなと思ったんです。」


 溜め息が出た。

 下手な嘘だ。


「お返ししますから!ごめんなさい。もうしません。」


 深く頭を下げて、部屋から逃げようとした彼女の腕を直ぐさま掴み、部屋の扉を閉めた。誤って済むなら警察はいらないのだ。私も随分舐められたもんだ。見た感じ彼女より私の方が五つは年上だろうし、何より私の肩書きを考えれば、己の人徳の無さに切なくなる様な展開だ。


「まだ話は終わってません。どうしてこのリストを狙ったの?」


「リストなんですか?知りませんでした。何のリストなんですか、それ。」


 質問をしているのは私だ。彼女は目を不思議そうにパチパチと瞬き、都合の悪さを若さで誤魔化し、追及を逃れようとしていた。


「リストを一番欲しがるのは、この神殿では候補者を出している責任者の神殿長でしょうね。あなた、神殿長に頼まれたの?」


「違います!」


「あなた、頼まれたら何でもするの?」


 彼女はただ首を横に振った。赤い髪がフワフワと揺れ、炎みたいだ。私は自分が黒い森で殺されそうになった事を思い出した。

 何なのもう、許せない。


「あなたは泥棒なの?」


「違います!私はただ…」


「やり方が手ぬるいですよ、リサ様。」


 突然部屋に入って来たのはアレンだった。アレンの部屋は隣だったのだが、私は食事を先に貰っているものだと思い込んでいた。彼も私と同様、入浴を優先させたらしい。しかも彼の髪もまだ濡れていた。まさかマドレーヌの不穏な助言をアレンまで貰って急いで部屋に戻ったのだろうか。一瞬、全裸で湯浴みするアレンの耳に口を寄せ、囁くマドレーヌを想像してしまい、絶句した。どちらも驚くほど平然としていそうだから怖い。


 アレンは自分を睨みつける若い女性職員の手首をサッと掴むと、目にも留まらぬ速さでそれを後ろにねじり上げた。若い女の子特有の、黄色い悲鳴が上がった。

 彼女の額にあぶら汗が滲み、痛みに顔を歪めていたが、同情は禁物だ。うかうかしていると今度はこちらがまた殺されかねない場所らしいからだ。


「黒幕は誰だ。痛みが体に残らずに済む内に言え。」


 だが職員は歯を食い縛り、首を横に振る。アレンは面倒そうに小さく舌打ちをした。


「右か左。選べ。」


 彼女の瞳が恐怖に見開かれた。


「それも答えないのか。ならば左にしてやる。」


 コキっ、とくぐもっただが決して小さく無い音が彼女の肩からしたかと思うと、一層甲高い叫びが部屋に充満した。彼女の左腕がおかしな形に垂れていて、解放された右手で必死にそれを押さえていた。

 こ、これは拷問というやつでは……!?

 さすがに私も焦り、目の前で苦しむ職員を正視できず、目を背けて言った。


「アレンさん、あの、大神殿騎士団ではいつもこんなご、拷問を!?」


「時と場合によります。尋問と言わせて下さい。骨を折ってはいません。関節を抜いているだけですから。」


 そっかー、それなら安心だ。と考えるのはなかなか辛いくらい、彼女は痛みに悶絶していた。


「答えねば次は右だ。不便になるな。」


「い、言いますっ!!言えばいいんでしょっ!だからやめて!」


 涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら彼女は叫んだ。私は心底安堵した。


「早く言え。言うという宣言は時間稼ぎか?」


 アレンが再び職員の右手を掴む。


「し、神殿長ですっ!秘書様が仰った通り、神殿長に命じられて、お部屋を物色しました!」


 アレンは彼女を放した。

 私は念のため確認をした。


「本当に?なぜこんな事を神殿長は?」


 ぜえぜえと肩で息をしながら彼女は私を睨んだ。拷問の片棒を担ぐ悪人秘書にでも見えているのだろう。最早仕方が無い。


「質問には迅速に答えろ。右か?」


 アレンの淡々とした声色が逆に恐ろしい。彼女は恐怖に顔をひきつらせて口を開いた。


「秘書様もマドレーヌ様と同じく、実は候補者のお一人なのだと、神殿長様が仰って……。その証拠を、持ち物の中から見つけて来いと命じられたのです!」


 恐れていた事態だった。

 やはり大神殿の内通者からの情報がこちらまで流れていた。そればかりでなく、私は新たな疑問を抱いた。

 まさか私を攫うよう黒い森の盗賊に頼んだのは神殿長か………?いやいや、南の王都と呼ばれるほどのデフレー神殿の神官達を束ねる人間が、そんな事をする筈がない、と思いたい。

 私は手の中のリストを念の為確かめた。最後に書き連ねられていた私の名前は、以前私が黒く塗り潰した為に判別不可能になっている。


「それは神殿長の誤解です。私は候補者なんかじゃありません。」


「ですが……神殿長は、我が神殿のマドレーヌ様が大神官様のお隣に並び立つ可能性が一番高かった筈なのに、最近秘書様が最有力候補に変わった、と憤慨されてました。」


 私の疑問は確信に変わった。

 あの誘拐劇の黒幕は神殿長だ。

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