第35話 セルゲイの告白

 私達は灰色に舞う砂埃の中にいた。

 ただ、セルゲイを見上げ、次に周囲を見渡した。

 森の中だ。私は確かに黒い森の中にいた。しかし小屋は炎諸共消え失せ、私のしゃがみ込む汚い木の床を除いて全て細かな砂の様な木屑に姿を変えて、辺りを舞っていた。

 立ち上がるとパラリと床に落ちた物があった。両手首を縛っていた縄だった。何時の間にか切れていたらしい。足元に転がるささくれた太い縄を見て、私はずっと引っかかっていたある事を思い出した。そうだ……。キム先生のお見舞いに行ったあの夜、セルゲイは縄梯子を持っていなかったのだ。彼はどうやって三階の私の部屋まで上り下りしたのだろう。


「怖い思いをさせてすまない。怪我はないか?」


「あの……これは……」


「マドレーヌと神殿長は無事だ。まさかリサが狙われるとは思わなかった。お前の騎士なのに、すまない。」


 私は目の前に立つセルゲイを見つめて黙っていた。柔らかそうな長い黒髪が汗で顔の周りに張り付いていた。走ったのだろう。黒いブーツは土まみれで傷だらけになっていた。詰め襟の騎士の正装は胸深く開けられていた。


「リサ、どこか…」


「小屋と火を、どうしたんです?」


 彼は答えず私を表情の読み取れない瞳で見つめ返していた。美しいその二つの青が、薄暗い森の中で場違いに明るく存在感を放っていた。

 私は神力を使いこなせなかった。

 だから、小屋を崩壊させたのは私ではあり得ない。


「セルゲイさん、凄く神力が使えるんですね。本当は、私の部屋にも縄梯子じゃなくて神力を用いて上がって来たんですよね?」


 大神殿騎士団に入るにはある程度の神力が必要だと昨日セルゲイは言っていたが、これはある程度などというレベルではない。

 セルゲイの両目が狭まり、頬が微かに引きつった。彼は観念した様に深く息を吐くと答えた。


「そうだ。小屋は俺が灰塵に変えた。アレンと俺は神力の使い手だ。それも決して弱くは無い。だからお前が今回攫われたのは、完全に俺達の落度だ。」


 セルゲイは私の手を取り、立たせた。


「アレンは俺の居場所が感知できる。それにあの火と煙は神殿の人間にも見えただろう。じき迎えが来る。」


 セルゲイに手を引かれて歩き始めた。

 死ぬかと本気で思った。怖かった。

 安堵の余り張り詰めた神経が緩んだ反動で涙腺が弱くなるのが自分で分かったが、私に語りかけるセルゲイの口調は、どこか感情を押し殺した重さと暗さがあり、私は感情を表に出す機会を見失っていた。

 振り返ると後方に草に覆われた白い石の土台らしき物が見えた。あれは何かの遺跡だろうか。

 私達は一本のけもの道を歩いていた。予想以上に長いその距離に辟易しながら、私は気になった事をたずねた。


「セルゲイさん。私を助けに小屋に来てくれる途中で、私を攫った犯人達と鉢合わせしませんでしたか?」


「………見ていない。」


 それは酷く違和感があった。

 小屋まで一本道なのに、会わない事があり得るだろうか。でなければ彼等はどこへ行ったというのか。


「小太りの男と、体格の良い…」


「見ていない。」


「私、最初は自分がマドレーヌさんと間違われたんだと思ったんです。彼女が狙われていると大神官様に聞いたので。でも、彼等は確かに私を…」


「少し黙っていろ。無駄に体力を使うな。」


 私の疑問は行き場を失った。護衛の癖に誘拐犯の特徴を聞きもしないのか。聞いて欲しい。私の命を奴らがどれほど軽んじたかを。

 なぜかその上セルゲイの機嫌が著しく悪化している。

 迎えとはなかなか合流できず、私達は黙々と暗い山のけもの道を歩き続けた。どこまでも続く同じ景色と一本道に、私は不安になり始めた。

 方向は合っているんだろうか?変わりばえしない森の不気味な木々を見ていると、実は逆に黒い森の奥深くに向かっているのではなかろうか、という気さえしてくる。

 前を歩くセルゲイは腰に掛けた剣にずっと右手をかけていた。時折りそれを僅かに抜いたり、引いたりを繰り返していた。何をしているのだろう。居心地の悪さに黙っていられなかった。


「あの、彼等は私を大神官付秘書と呼んだんです。おかしいですよね?どうして…」


 唐突にセルゲイが立ち止まった。


「あいつらはリサが大神官付秘書だと分かっていたのか。他に何と言っていた?」


 あいつら。

 まるで面識があるみたいな変な言い方ではないか。私は首を縦に振った。


「私が大神官様の奥方の最有力候補だとも言っていました。だからマドレーヌさんだと思われているのかと…」


 ガチャ、とセルゲイが握る剣が鞘と擦れて音を立てた。柄を握るセルゲイの手の関節が白くなっている。少し様子がおかしいのではないか。

 確かに私が候補の一人である事は、大神殿の人間しか知らない筈だ。今まで訪れた神殿では私も敢えてその事実は隠してきた。それなのに誘拐犯達がそれを知っていたなら、情報がどこかから漏れていた事になる。尤も私は最有力候補などではないから、マドレーヌの情報と微妙に混ざっているようだ。


「最有力候補?リサが?」


 鋭利な刃物を思わせる鋭い目つきで彼は私を見ていた。私は何故か二度目の命の危機を感じた。剣を握りながら睨まないで欲しい。ここには護衛対象である私しかいないのになぜ剣を握り締める必要がある。


「あいつらは誰に頼まれてリサを誘拐したのか話していたか?」


「いいえ。金で頼まれたみたいな話はしてましたけど。」


「………おい、なぜ後ずさるんだ。」


「セルゲイさんがジリジリこっちに迫って来るからですよ。……ちょっと、怖いんですけど。」


 セルゲイは嘘をついている。なぜそんな必要があるのだろう。絶対にセルゲイは誘拐犯達と鉢合わせした筈だ。奴等をどうしたのか。

 ふいに私の脳裏にクリストファーが言っていた事が蘇った。大神殿内部に内通者がいると言っていたが、まさかそれはセルゲイの事ではないのか………?私の中で今までセルゲイに対して抱いていた疑問がむくむくと膨れ上がった。だいたい、ここに一人で駆け付けている事自体が怪しくないか。

 私を追い詰める様に近づき、ひたと見つめてくるその読めない表情に焦らされる。


「俺とした事がはやまった事をした。」


 やだやだやだ、やっぱり………!?

 私は最初からセルゲイに良い様に騙されていたんじゃないだろうか?アイギル小神官が言っていた、私の特殊な立場を目当てに擦り寄る人間とは、セルゲイの事だったのかもしれない。思えばセルゲイは訪問する神殿の先々で私の仕事の邪魔ばかりしていた。

 顔が良いからといって善人とは限らない、と散々自分に言い聞かせていたのに。

 慣れない強引ぶりに戸惑いつつも、たまに見せられる弱さや優しさに何時の間にか騙されていた。私みたいな厄介な第五界人が顔と金を持ち腐れている彼に相手にして貰える訳が無いのに。最初から妙に馴れ馴れしいからおかしいとは思っていた。私と懇意になって、利用する気だったんだ。

 セルゲイはスパイだ。間違いない。


「セルゲイさん、私をどうしたいんですか。」


「それはどういう意味だ。」


「はやまったって、どういう意味です?」


「………お前が怖がるだろうから言いたくない。」


 もう十分、一生分の怖い思いをしたし、今はあなたが怖過ぎるから!!

 私は答えを待ってセルゲイを睨み続けた。するとセルゲイは観念したかの様に呟いた。


「本当はリサを攫った男達と途中で鉢合わせした。だが俺はあいつらを全員殺してしまった。聞き出すべき事がたくさんあったのに………リサを、殺したと笑ったからだ。」


 えっ……?

 私のために、誘拐犯達を殺した?あの男達を?

 では遺体はどうしたんだ。ご丁寧に隠したのか。

 セルゲイは握り締めた剣に目を落とした。悔しそうに顔を歪ませ、固く握られた剣は小刻みに震えていた。


「リサを失ったのかと思ったんだ。俺達がふがいないせいで。お前を奪われたのかと思うと………手加減が出来なかった。」


 そんな……。いつだってふがいなかったじゃないか。


「本当ですか?セルゲイさんは、実はどこかの神殿に雇われている間諜なんじゃないですか?」


 落ち込んで強い後悔を刻んでいた様な表情が一変し、唖然と青い双眸が見開かれた。

 大きく開いた瞳が揺れ、数回瞬かれた。


「俺を何か疑っているのか。なぜだ。俺にはリサが何の話をしているのかまるで分からない。」


 セルゲイは表情を和らげると、両手を広げて私の肩に伸ばそうとした。


「混乱しているのか。無理もない。さっきは恐ろしい思いをさせて本当に悪かった。」


 私はかぶりを振りながら、セルゲイの伸ばした腕から後ろへ一歩下がった。


「私、今セルゲイさんが分からないんです。何だか色々あり過ぎて信用出来ないんです。だって考えてみたら私、セルゲイさんの事全然知らない。」


「俺とアレンは信じてくれ。もう二度とこんな目には合わせないと誓うよ。」


 またきっと、言葉だけうまい事いっているんだ。信じない。騙されちゃダメだ。


「私を利用しているんでしょう?女性を喜ばせる言葉ばかり並べて、気があるみたいな芝居までして。」


 不覚にも涙が出そうになるのを、歯を食い縛って堪えてセルゲイを睨みつけた。


「リサだけが喜んでくれれば俺は満足だ。信用してくれ。」


「セルゲイさんの言葉は口先だけの嘘ばかりです。私が好きだなんて思ってもいないくせに。」


 まずい。スパイかどうかを聞きたいのに、話が感情的になるのを抑えられない。


「私はセルゲイさんを好きになっちゃったのに!嘘つき!酷いよ…」


 セルゲイの腕が私の肩をとらえ、次の瞬間には彼の腕の中にいた。一瞬喜びに似た感情が私の中を駆け巡り、けれども直ぐに反発心が芽生えた。

 離れようともがいたが、セルゲイの力は強く、逃れられない。その私にセルゲイは熱っぽく語った。


「好きだ!この気持ちは偽りなんかじゃない。確かに、最初は毛色の変わった子がいるな、と興味を持って面白半分で近づいた。でも、お前と一緒に過ごす内にどんどん惹かれていったんだ!信じてくれ…」


「じゃあ、私のどこが好きなのか言ってみせて下さいよ!」


「言えば納得するんだな⁈それなら言ってやろうじゃないか。リサは素直で表情が可愛い!特に笑顔が可愛いんだ。あと幸せそうに食べる姿が小動物みたいだ!リサは頼り無さそうに見えて、穿った見方をする。でも実は恐ろしく謙虚だ。下らないと自分で言っている癖に、猛烈に真面目にこの仕事に取り組んでいるひた向きさが堪らない!………ああ、もう、何て言うか、動きが、仕草が全部可愛い!」


 私はまくしたてるセルゲイを、恥ずかしいからもうやめて、と赤面しつつ止めた。


「あの茶髪に、動揺させられているんじゃないか?護衛の俺を疑ってどうする。大神殿には内通者がいるのかもしれない。だがそれは断じて俺じゃない。………俺は大神殿に内通者がいる疑いがある事は予め知らされていた。あわよくばその人物を洗い出し、関係者を一網打尽にしようと思っていた。だから、殺してはいけないと分かっていたんだ。なのに、あいつらを…」


「本当に?信じて良いんですね?今度怪しい真似したら、大神官様にセルゲイさんは間諜だと言いつけますよ。」


 セルゲイは苦笑した。

 そのまま私の頬に口付けた。


「好きだ。今の俺には他の女性なんて、本当にどうでも良いんだ。」


 私の体に密着したセルゲイさんの胸のあたりから、彼の心臓の激しい鼓動が伝わる。

 セルゲイさん、凄くドキドキしてるんだ………。

 私達は暫くの間そうやって抱き合っていた。

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