第33話 手品とキャンプは嫌いなの。

「あの、一つ持ちますから……。」


 私の荷物を全部担ぐセルゲイとアレンに私は声を掛けた。

 問いかけはサラリと無視された。

 アレンさん、と訴えてみると、彼は淡々と答えた。


「無理をされて倒れられても、私達はこの荷物とリサ様までは担げません。荷物はお任せを。」


「気を遣うな。意外とお前の荷物は軽いぞ。」


 そう言ってセルゲイは片手で私の荷物を高く持ち上げた。


 どのくらい歩いただろうか。

 延々と続く森の小道にリスや鼠といった小動物が掠めて走り去る光景にも慣れたころ、次第に遠目が効かなくなってきた事に気がついた。日が沈み出したのだ。

 まずい。

 私達は先を急いだが、人の足で進める距離はたかがしれており、やがて黒い森はまるごと闇に飲まれ始めた。足元を確かめるのも覚束なく、ばきばきと正体不明な何かを踏みしめては、たまに転がる大きな石に躓いた。息も上がり出して久しい。


「これ以上進むのは危険だ。森で一泊しよう。」


 えっ?と目を丸くする私の前に荷物を下ろし、二人は布と針金でできた大きな物を取り出した。

 まさかテントだろうか。

 セルゲイは道から少し森に入った開けた地面まで行くと、落ちている枯れ枝や石を足で軽く払い、設営を開始した。その隣ではアレンが焚き火を作り始めていた。どうやらボーイスカウトの経験でもあるらしい。

 テントはどう見ても最大収容人数が大人ニ、三人だった。華奢で細身の私は別として、そこに体格の良いセルゲイとアレンがどう寝るのか。いや寧ろ、年頃の女性として問題は無いのか………。

 テキパキと動く二人の間で、相変わらずオロオロする自分が情けない。けれども、野宿などした事が無いのでどう対処すべきか分からない。とりあえずアレンが起こした火に枯れ枝を補充しようと投げ入れると、くべ過ぎるなと苦言を呈された。ならばと枝を集めてこようとすると、セルゲイから遭難したいのか、と叱られた。


「火の近くにいて下さい。森の動物は怯えて側までは来ませんから。」


 私達は焚き火を囲み、携帯用のクラッカーを食べた。水を後生大事に温存しておいた事がこんな時に役立つとは。私は自分の水を念のため、二人にも分け与えた。

 どこからともなく、狼の遠吠えの様なものが聞こえた。不安に感じて当たりをキョロキョロすると、セルゲイが力強く笑った。


「心配しなくて良い。森の獣くらい俺達が切り捨てる。」


「お、怨霊も切れますかっ?」


 するとセルゲイは肩を揺らして笑った。アレンまで口角を上げていた。


「………そうだな。噂の美姫の霊なら見てみたいかもな。」


 聞いた私がバカだった。


「私は火の番を致しますので、お二人はお休み下さい。」


「アレンさん、火の番でしたら私にもできます!」


「リサ様。交代して行いますので、先にお休み下さい。」


 テントの中は狭かった。四つん這いで奥まで行くと、セルゲイがすぐ横に横たわった。

 極力視界にいれまい、と背を向けて、テントの布地に鼻を付けんばかりの距離まで離れてから私は目を閉じた。

 目を閉じても全身が意識してしまい、セルゲイの存在感を消せない。


「腕枕してほしいか?」


「いりません!」


 怒って振り向くとセルゲイは鼻と鼻が付きそうなほど側にいた。


「ちょっ……近いですよ。もっとそっちに…」


 追い払おうと手を伸ばすとセルゲイに掴まれた。そのままセルゲイは私の手の平を口元に押し付けた。ぞくり、と背筋を上がってくるものがあった。

 セルゲイの柔らかな唇と、高い鼻梁がくすぐったい。


「セルゲイさん……。」


 間近で見つめられるその綺麗な瞳に耐え切れず、手を振り払う。

 こんな事ならアレンと寝る方が安心だ。でもアレンさん、私と寝て貰えませんか、なんて口が裂けても言えない。

 再び背を向けるとセルゲイはもう何も言ってこなかったし、触れてこなかった。

 乙女としてあってはならない事に、私はその後グッスリ寝付いていた。


「そろそろ良いか。」


 安眠を妨害するのは誰の声だ。

 いまだ抗い難い睡魔に襲われつつ薄目を開けると、セルゲイが私を覗き込んでいた。

 うわっ、そうだ、火の番!


「はいっ。交代します。」


 目を擦りながら慌てて起き上がると、テントの中は何故か明るい。よく見るとセルゲイは大神殿騎士の衣装を着ている。

 チュンチュン、と優しい鳥の囀りが聞こえる。

 ………朝?


「おはよう。あまりに気持ち良さそうに眠っていたんでね。良心の呵責から俺達には起こせなかった。」


「セルゲイ様は余程異性として意識されていないのですね。」


 アレンまでテントの入口から私をガン見していた。私はヨダレの跡でもついていやしないか、必死に顔面を袖で拭きながら、二人を追い出し大神官付秘書の服に着替え、テントから這い出た。


 あれほど硬い地面の上でよく寝れたものだったが、やはり腰や背骨が痛かった。歩くたびポキポキとなる腰骨は、私の年がじき曲がり角に来ている事を如実に知らせてくれていた。


「昼前には森を抜けられるだろう。抜けたら迎えが来ている筈だ。リサ、しっかり飲むんだぞ。」


 一度同じ方向へ向かう馬車とすれ違ったが、一人分しか乗るスペースが無かった。私だけでも乗っていかないか、と心配顏の車内の人々に提案されたが、セルゲイとアレンは強硬にそれを拒否した。護衛としての血が突然騒いだらしい。


 ずっと一本道だったが、獣道の様な小道が初めて途中に現れた。


「リサ、知っているか?美姫の伝説の城はあの向こうにあるんだ。」


 先は木々の枝葉で薄暗くよく見えなかったが、そのために一層不気味だった。


「本当に城跡があるんですか?」


「ありますよ。もう土台だけを残すのみですが。大昔に近隣の城主と戦って、業火の中で城の住人は焼け死んだとか。」


 サラリと怖い事を言わないで欲しい。

 私はその獣道から早く離れようと小走りになった。


「ママレードさんは有名な神官なんですか?」


「………ママレードは知らん。マドレーヌの事か?」


 恥ずかしい間違いをおかした。本人の前では決してやらない様に気をつけねば。


「マドレーヌは十歳になるくらいから神力が使えたらしい。かなり早い方だろう。今はまだ単なる神官の地位にあるが、実力はそれ以上だと言われているらしいな。」


「金髪ですかね?」


「………なぜそんな事を聞く。」


「あのカリスマ妖艶大神官様は金髪女以外は頑なまでに拒む特殊な感性の持ち主なんですよ。」


「染めさせれば宜しいではありませんか。どうせ数十年経てば皆白髪になるのですから。」


「そ、そうですね。考えておきます。」


 そんな事がバレたら今度こそ舌を切られかねない。


「それにしても、伝令の鳥を放ってあるというのに、到着が遅れても俺達を捜しにもこないとは、デフレー神殿もやるな。デフレーが南の王都という異名をもつにしても、随分ふてぶてしい事だ。」


 そんな会話をしていると、前方についに森の切れ目が見えた。数人の男達ーーー神官の服を纏っているーーーがこちらに気付き、駆けて来た。ヒダの多い神官独特の服が実に走りにくそうだ。距離を縮めると彼等は叫んだ。


「王都からのお使いの方々にあらせられますか?ご到着が遅いので街の自警団に捜索に行かせるところでした。……と、徒歩でいらしたので?!」


 私達が事情を説明すると、神官は良くぞご無事で、と涙ぐんだ。そこで泣くならなぜ夜のうちに迎えに来ない……。疲労困憊、骨の髄まで疲れた私は目の前で大仰に泣く神官に苛ついた。

 神官達の馬車に乗り、漸く私達はデフレーに向かう事ができた。デフレーまではあと一時間ほどの距離なのだ。


「昨夜までデフレー神殿長とマドレーヌ様がこちらでお待ち申し上げていらしたのですが、一旦お戻りになりました。朝に又こちらへ向かわれた筈ですので、途中で合流できるかと存じます。」


 走り始めて十分ほど経ち立派な馬車列と遭遇した。言われずとも神殿長とマドレーヌの乗った出迎えだと認識できた。

 停止した馬車から、緊張しつつ降り立った。

 先頭の馬車から降りたのは中年の男性で、着ている神官服と、立派でどこか尊大な態度から、デフレー神殿長だと推測できた。

 一日洗っていない髪と顔。

 シワだらけの服。

 そんな切ない自分の事情は忘却し、私も尊大そうに歩みを進めて神殿長と挨拶を交わした。


「秘書様。こちらがマドレーヌにございます。」


 神殿長が後ろを振り返り、手を伸ばして二台目の馬車を指し示した時、扉が開き、ひとりの女性が降り立った。

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