第31話 最終日の夜
なんとかこの自分の気持ちの整理をしなくては。混乱する思考をまとめようと言葉にする。
「セルゲイさんが、私を好きだとかその場凌ぎの告白をしたから……だからセルゲイさんの挙動が気になって無意識に目で追いかけていただけです。別に他の女性がセルゲイさんにベタベタしたりキスしようとするのが嫌だったから見張ってたわけじゃないですし。キスを避けてくれたからって安心したりもしてません。あまりにも他の女の人達に平等に笑顔を振りまくのが、不愉快だっただけですから。」
「そうか。………俺の読解力に問題があるのか?直向きな愛の告白にしか聞こえないんだが。」
力一杯否定したつもりなのに、どこでそうなる。
「お邪魔な様ですので失礼致します。」
突然割り込んだアレンの声に、私とセルゲイはハッと声の主に視線を移した。何時の間にかアレンは目覚めていて、ゆったりと開いていた胸元を慣れた手つきで直しながら、寝台から滑り降りた。
「起きていたのか。」
あんなに騒げば誰だって起きるだろう。
アレンの冷めた口調と眼差しが、私の羞恥心を呼び起こした。彼の目が鮮やかな色に濡れた私の胸元に落とされる。なんという服装で人前にいるのだろう。私は弾かれた様に身を引いた。
「本当にリサ様にあの茶髪が何か良からぬ事を?」
アレンが私の胸元の染みからセルゲイへと目を動かしてセルゲイに聞いた。その問いに対して、セルゲイは無言で頷いた。酒をこぼされた勢いで失念していたが、クリストファーはあの時気になる事を言っていた。私は右手に持っていた本を両手に持ち替えて、その悩める先輩地球人の表紙に目を落とした。
「セルゲイさんがもう少しぶつかるタイミングを遅らせてくれれば、クリストファーから気になる話をもっと聞けたんですけど……。大神殿の中に職業上知り得た情報を漏らしてる人がいるみたいな…」
「今しも飲みそうだった癖に、良く言う。」
今しも?果たしてそうだっただろうか。私は直前の自分を思い出そうと目を瞬いた。
「リサ。都合良く出会った上に最初から妙に馴れ馴れしくて、更に物をくれる様な男は何か企んでいるに決まっている。」
私は目から鱗が転げ落ちる心境でそれを聞いた。そんな男に心当たりがある。今まさに私の目の前にいた。
「そうですねえ。肝に命じておきます。………お邪魔しました。クリストファーには私ももっと気をつけますから。ご心配なく。お休みなさい。」
小さな声でそう言うと、私はさっさと濡れた服を着替える為に彼等の部屋を出た。
セルゲイ様、と閉まった扉の中からアレンの珍しく苛立った声が聞こえた。私は考えるよりも速く、耳を扉に押し付け、続きを聞こうとした。謁見の間での神官達を私も責める資格は無かった。
「あの茶髪、私が始末して参りましょう。」
「いや、いい。まだ使える。泳がせておけ。」
はい?
茶髪ってクリストファー・ラング氏の事だろうか。しまつ。………始末。
とは如何なる意図で用いているのか。更にそれに対して、まだ使える、とは滑稽な返答だ。
耳を更に扉に密着させ、息を殺した。
またアレンの声。
本当にリサ様にあの茶髪が何か?
それに対するセルゲイの返事は無かった。聞こえないだけだろうか?
私は耳を吸盤の様に扉に隙間無く押し付ける。今誰かにこの姿を目撃されたら、完全なる不審者だ。二人のストーカーだと胸を張っても疑われないだろう。
急に何も聞こえなくなった。
経験と直感が私に警告を鳴らした。まずい。
無我夢中で自室の扉へ向かった。瞬間前まで耳を押し当てていた扉のノブが回されるのを横目に見ながら、間一髪私は自分の部屋に姿を隠す事が出来た。
急いで閉めた扉のノブを握りしめたまま、私はズルズルとしゃがみ込んだ。危なかった。
手の中のノブを放す事ができず、私は暫くそうしてじっとしていた。そうして無意味な時間が経過した頃、唐突に自分のおかした失敗を思い出したのだった。
ああっ、と呻いた。
「アイギルさんとの夕食の約束をすっぽかした!!」
翌日、朝食をとりに部屋を出ようとすると、セルゲイが尋ねてきた。昨夜の穏やかで無い会話が嘘の様に、眩し過ぎて直視できないほど男前な笑顔で私に言ってきた。
「リサに頼みがあるんだ。今夜、俺と一緒に過ごさないか?」
セルゲイは例え、今船が嵐に遭遇していて転覆寸前だとしても、この笑顔を浮かべられるに違いない。
「仰る意味が分からないんですけど。」
「今夜は最終日だ。無事な船旅への感謝と明日からの旅の安全を祈願する為の祈りが、船内の祈りの間で行なわれる。殆んど全ての乗客が参加するはずだ。一緒に参加しよう。」
この船には専属の神官も同乗していた。
信心深いこの国らしい。
しかしやたらに営業スマイルを披露するセルゲイに私は不審感を抱いた。
「何を企んでるんですか?庶民の私と一緒にいたら目立つと言っていたのに。」
「最終日の夜くらいは良いだろう。船内でリサの美貌に目を奪われたのは俺一人じゃないはずだ。」
美貌が無いことは自覚している。セルゲイこそが節穴の目の持ち主なのだ。だが、確かに私は船内で始終人目を感じていた。
大神官の意味深な捨て台詞が相乗効果となり、私は幾らか不安になった。恥をしのんで言ってみる。
「一緒に行きますけど。行ったら、ちゃんと私といて警護して下さいね。ほ、他の女性と何処かに行ったりしないで下さいね。」
するとセルゲイは抑え目に喉を鳴らして笑いながら、言った。
「リサは俺を翻弄するのがうまいな。勿論、そうするつもりだ。」
地上の神殿の祈りの間を、小さくして復元している。船内の祈りの間はそんな所だった。
私とセルゲイが入って行くと、案の定女性客達から射る様な冷たい視線の集中砲火を浴びた。
奥に設置された祭壇の前に中年の神官が立っており、それに対する形で木の長椅子が並べられていた。お香が焚かれているのか、独特の香りが鼻腔を掠め、気分を落ち着かせて神妙な雰囲気を作り出していた。
多くの乗客達の中に、クリストファーの姿もあった。
私とセルゲイを見て少し驚くクリストファー。セルゲイは私の肩に手を回すと、そちらへ歩き出した。まさか。
予感は的中した。セルゲイはクリストファーの座る長椅子まで歩を進めると、彼の隣に腰掛けた。二人に挟まれる格好で私は座らされ、こんばんは、とクリストファーから挨拶をされ、引きつる笑顔で返事した。
セルゲイは長椅子の背もたれに腕を回す様にして私の肩に手を回した。その手から離れようと背中を浮かせると、肩を掴まれグイッと引き戻された。いくらなんでも悪目立ちするから勘弁して欲しい。
席がほぼ埋まると、神官が話し始めた。
「皆さん。航行の無事を神に感謝いたしましょう。そして、アリュース王国の繁栄と民の健康は、大陸一の栄誉に彩られた大神官様の慈悲深い御祈りによって導かれています。大神殿の大神官様に感謝の祈りを捧げましょう。」
乗客達が手を組み、真剣に祈り始めた中、セルゲイは不敵な笑みを浮かべてクリストファーに話しかけた。
「ラングさん。俺は貴方の大ファンなのですよ。まさかこんなところでお会いできるとは思っていなかった。」
うわっ。
絡み始めたよ。挑む様なセルゲイの口調は、これっぽっちもファンらしくない。
私は祈りの世界に逃げようと、手を組み目を瞑った。
だが残るセルゲイの手が私の組んだ両手に掛かると、邪魔する様にそれを押し下げた。仕方なく目を開けて睨みつけると、セルゲイは続けた。
「ラングさんの前作は特に好きです。俺は、あの主人公の残したコメを、購入した事もあるんですよ。」
「それは本当ですか?私は、コメの独特の臭いが好きではないのですよ。」
「セルゲイさん、静かにして下さい!御祈りの最中ですよ。」
だがその後もセルゲイは作品に関してクリストファーに質問を続け、絡み通した。クリストファーの作品に関する質問が多く、セルゲイがクリストファーを本物か試している様に思えた。
行こう、と呟いたかと思うとセルゲイは私を立たせた。
まだ神官が話している最中なのに、神を冒涜するつもりか。規律を乱すセルゲイに対し咄嗟に腹を立てた自分に逆に驚いた。六年もこちらの世界にいたせいで、何時の間にか曲がりなりにも私にも信仰心が芽生えていたらしい。それとも権威の象徴である大神殿にいるせいだろうか。
祈りの間を出るとセルゲイは速足で客室の方へ戻り始めた。殆んどの乗客が祈りの間にいる為に、船内はひと気がなかった。
「御祈り終わってないのに。失礼じゃないですか……。」
「あんなもの、聞いてどうする。茶髪と話せたから十分だ。時間は稼げた。」
「時間?………クリストファーは本当に作者さんでしょう?」
セルゲイは肩をすくめて投げやりな視線を流した。
「どうかな。本を読んでいれば答えられる事ばかりだったからな。まあ、目的はそこに無いんだ。別に構わない。」
目的って何、と尋ねようとすると客室の並ぶ廊下をアレンが下ってくるのが見えた。私達と会うのを予測していたのか目が合っても頬の筋肉一つ動かなかった。隣を歩くセルゲイも同じなのか、平板な声色で口を開いた。
「首尾は?」
「万事滞り無く。物騒な物がたくさん出てきました。」
するとセルゲイはピタリと歩を止めて私に向き直った。何故か勝ち誇った余裕の笑みをたたえている。なんだなんだ。今の意味不明な会話と関係があるのか。
「やはりな。茶髪は単なる作家じゃない。アレンは家宅捜索のプロなんだ。」
私は知らされた事実に驚愕した。大神殿騎士の職掌には、家宅捜索も含まれるのか。というか、それよりどうやらアレンは私達が祈りの間に出払っている間に、クリストファーの部屋を勝手に物色したようだ。
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