第29話 故意か偶然か騙りか
売れっ子作家は、フルネームをありがとう、と破顔一笑した後に温もり溢れる鳶色の瞳を走らせ私のドレスを見た。
「とてもお似合いです。」
私は口に詰めたばかりのコンソメゼリーを急いで飲み下す様にしてから答えた。
「ありがとうございます。でも慣れない場で、ちょっと困っています。」
するとラング氏は眉を軽く上げ、少年を思わせる茶目っ気を覗かせて言った。
「実は私もです。私は貴族階級ではありませんし。………似た物同士ですね!」
私達は見つめ合って笑った。
ラング氏は華美過ぎないが、仕立ての良い濃紫色の服を着ていた。さっき廊下で会った時よりも髪型を整え、全体的により紳士らしく見えた。
「大変立派なご衣装をお召しですね。……上着のお色、素敵です。」
「ありがとうございます。普段着慣れない物を着ると、肩が凝りますね。」
私達は再び笑った。
そこには互いに謙遜し合い、不相応な場にいる自分を客観的に笑う事で通じる奇妙な連帯感があった。
最近私の周りには、とんと見かけなかった、控え目で普通の感性を持っていそうな男性だった。思えばここのところ、私が関わる男性は身分が高過ぎる変人か、女を集め過ぎる金持ちか、高齢者か、私を頑迷なまでに無視する者たちのいずれかしかいなかった。
私はやっと出会えた話し相手に、心底嬉しい思いでいっぱいになった。
ラング氏は私が平らげたお皿を、淀みないごく自然な動作で私の手から取り、片付けてくれた。彼はすぐに戻って来ると、手に二人分の飲み物を持っていて私に一つを差し出してくれた。食事が終わり喉が渇いていた私は、有難くそれを頂戴した。その紳士的な態度がとても新鮮だった。
「ラングさんは、どんな本を普段書かれているのですか。」
「クリストファーと呼んで下さい。前作はある異世界からの迷い人の一生を書きました。」
「異世界からの!?」
心臓がドキッと跳ねた。
詳しく聞きたい。私は食い入る様に彼を見た。どんな話なのだろう。ラング氏は異世界について何か知っているのだろうか。
「半分は実話に基づいた話です。リサさん、迷い人については?」
私は自分が異世界から来たとはバレない様に気をつけながら、宇宙には同じ様な世界が五つある事は知っている、と答えた。
するとラング氏はグラスの中身をぐいっと飲み干しながら、水を得た魚の様に生き生きと話し出した。
十年に一人くらいの頻度で、この世界には異界人がくる。彼等は強い神力を保持している事が多い為に、その神力が把握されずに暴走するのを防ぐ事を目的として、アリュース王国では神殿への登録制度が取られている。その後は生活習慣に馴染むまで、地域の神殿で数年世話になり、やがて自立して行く。
「私はある迷い人の家族に長年取材をさせて貰い、その男性の一生を本にしたのです。」
「どんな、どんな一生だったのですか?」
身を乗り出して続きを聞こうとすると、ラング氏は頬を緩めた。
「そんな風に目を輝かせて聞かれると、作家冥利につきますね。……どんな一生だったと思います?」
「ラングさん、勿体ぶらないで教えて下さい。」
「クリストファーで良いですよ。」
「クリストファー、話して下さい。」
ある日一人の若い男が、第五界からやって来た。神殿で過ごした後男は差別を恐れて、出身を偽り、王都で小さな食堂を始める。第三界の味を取り入れた一風変わった食堂は見事に大当たりし、男は一財産を手に入れた。しかしセオリー通り、後を継いだ息子に経営者としての才能が無く、食堂は二代目で呆気なく倒産した。やがて夢敗れた男は農村地帯に移住し、この国には無かった故郷の作物を復元すべく、残りの人生を品種改良に費やした。その男の孫が、今も男の生み出した作物を生産し、後世に伝えようとしているのだという。
「そんなお話です。」
なんだか世知辛い話だ。しかしーーーもしや私の食べたおにぎりはその男の残した作物とやらではなかろうか。
私の微妙な表情を読んだのか、ラング氏は付け加えた。
「骨格をお話ししましたが、大部分は男とその妻の恋愛物語なのですよ。」
その時唐突に私達の間に割り込んできた人物がいた。誰だっ、とムッとしながら見るとセルゲイだった。
「失礼。隣の部屋のよしみで、ダンスのお相手をお願いできないかな。」
ダンス?
辺りを見渡すと、何時の間にかパーティ会場がダンスパーティ会場に変貌していた。飲食物を提供しているテーブルは隅に追いやられ、舞台上の生演奏にあわせて男女が軽やかに舞っていた。
セルゲイは私の手を強引に取り、そちらへと引っ張って行った。
「あの、私ダンスなんて出来ないんですけど。」
「分かっている。そんなつもりじゃない。それよりお前、自分の立場が分かっているのか?あいつ、滅茶苦茶怪しいじゃないか。下手に近づくな。」
「怪しいって、どこがです。凄く普通の良い人ですよ。クリストファー・ラングさんってご存知ですか?」
「……本物か?分かったもんじゃない。あのな、リサ。異世界の話をする人間なんてその辺にいないぞ。このタイミングも出来過ぎだ。」
「出来過ぎだなんて。クリストファーは作家さんだから詳しいだけですよ。」
「親し気に呼び捨てになんてしないでくれ。」
私は一度で良いからいつか言ってみたい、と思っていたイイ女専有のセリフを言ってみた。
「あっ、もしかしてヤキモチですか?」
「………そうだよ。悪いか。そのドレスを着て他の男に、可愛らしい笑顔を惜しげも無く披露しないでくれ。」
分不相応な質問を、想定を越えた直球で返され、一瞬私はまごついたが、なぜかある種の達成感を感じてもいた。
ニヤつきそうになった私の笑顔はある事に気づいて瞬時に消えた。
「……セルゲイさん、服から女性物の香水の香りがプンプンしてますよ。」
「仕方が無い。向こうからくっ付いて来てしまうんだ。」
なんだそれは。それって来る者拒まずって事?
それとも単なる都合の良い言い訳?
私の言動は制限しようとしている癖に。
私は反発心が自分の中でムクムクと膨れ上がるのを感じた。それは頭の中までせり上がり熱くさせ、正常な判断力をも侵食していった。なんでこんなに苛立たしいのだろう。
「セルゲイさんがそのつもりなら、私だって自由にさせて頂きますから。クリストファーは色々貴重な、私が知りたい情報を持っていそうですし!」
曲が終わり、次のダンスの相手に指名される事を期待した女性達が、私達の様子を窺う様にジリジリと近づいて来た。値踏みする様な視線を私は一斉に浴びた。彼女達はめいめい何事か囁きあっていたが、一言だけ私の耳に明瞭に飛び込んで来た。
見てあのネックレス。どこで拾ったのかしら。
私は怒りと恥ずかしさで顔が火照るのを感じた。
ああもう、セルゲイなんか、他の女性達といくらでも踊っていれば良いんだ。
「お相手ありがとうございました!」
そう言い放つと私はセルゲイを残してその場を離れた。少し進んでから後ろを確認すると、案の定セルゲイはあっと言う間に、めかしこんだ女性達に囲まれていた。
少し目を離しただけで言い寄られているのはどっちだ………。
私は出口に向かって燃える頭で大股に進み、その途中にある柱についている大きな縦長の鏡の前でビクリと立ち止まった。
なに、これ………!?
私の肩から薄水色の炎に似た揺らめきが立ち昇っていた。
これ、私の神力だ。
私は己の神力を初めて自分で見ていた。
それは信じ難い事に鏡の中に収まっていなかった。
私はその場に茫然と立ち尽くし、呼吸する事も忘れた。ショックのあまりその揺らめきは一気に弱まり、霧散して見えなくなった。
鏡の中には、青白い顔でこちらを見つめ返す私がいた。その背後にクリストファーが映る。振り返ると彼は笑顔でこちらに近づいて来た。
「もうお帰りですか?また明日もよろしくお願いします。お休みなさい。」
お休みなさい、と返した私の声は掠れていた。きっと驚く程生気の無い顔をしていた事だろう。
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