第28話 初めてのパーティ

 コンコン、と部屋の扉が叩かれた。

 もしやクリストファー・ラング氏だろうか?そんな想像を勝手にしながら、私は扉を営業スマイルで開けた。


「ああ…。セルゲイさん。」


「随分ガッカリした様な言い方をしてくれる。傷付くじゃないか。……入れてくれ。」


 人目を気にする素ぶりを見せながら、セルゲイは滑りこむ様に私の部屋に入った。そのままジリジリと私に詰め寄ると、胸をそらせて腕を組み、眼光鋭く私を睨めつけた。狭い部屋で背の高いセルゲイにそういう仕草をされると、相当な威圧感があった。気のいい軽めな飄々とした男だと思っていたのに、なんだか初めて見る人みたいに感じた。


「全く。油断も隙も無いな。少し目を離しただけで、どうして妙な男に言い寄られているんだ、リサは。」


「言い寄られてるって何ですか。自己紹介し合っただけです。……あの人作家さんらしいですよ。」


「どう見てもあいつはリサに色目を使っていたぞ。もうあの茶髪と話さないでくれ。」


 当然の様に私の行動制限をするセルゲイにムッとした私は、両手を腰に当てて反論した。少しも迫力が出ない事は悲しいかな自覚しながら。


「そんな事できません。同じ船内にいるのにどう無視するんですか。第一、セルゲイさんにあれこれ言われる筋合いはありませんから!」


 私はふいに各地の神殿でセルゲイが女性達を侍らせていたハーレムな光景を思い出した。


「セルゲイさんこそ、いつも色んな女性に言い寄って、周りに侍らせていたじゃないですか。」


「俺がいつリサ以外に言い寄ったんだ。」


「いつって、いつもですよ!!セルゲイさんこそ、歩く色目男じゃないですかっ!」


「俺が色目を使っているのはリサにだけだ!そっちこそどこに目をつけているんだ。」


 私に色目を使っていたのか。

 何というか、そういう意味ではあの暴走大神官の方が色気を感じた。感じ過ぎて気絶するかと思ったほどだ。


「ああ、そうですか。じゃあ、いつもあの女性達は花の蜜に吸い寄せられたハチみたいに、自然と勝手にセルゲイさんに寄ってきた、って事ですか!ってあなたは花ですか!」


「絶妙な例えじゃないか!その通りだ。」


 ドンドン、と強く扉が叩かれた。

 私が止める前にセルゲイが開けるとアレンが立っていた。


「痴話喧嘩はよして下さい。廊下まで聞こえましたよ。」


 私とセルゲイは互いの顔を見て今更の様に黙り込んだ。

 いつもの鉄壁の無表情のままアレンは声を落として言った。棒読みは変わりないが、分量が増えた事に人間関係の進歩を感じる。


「机の上の旅程表はご覧になりましたか。今夜は船長主催の歓迎パーティがホールで開催されます。立食形式の夕食も兼ねていますから、身綺麗にして参加しましょう。」


 パーティ…。

 豪華客船の社交の場が初日から始まるらしい。日本でもサル村でも庶民として生活していた私には、どうして良いのか分からない。

 私がドレッサーの方を向いて困っていると、笑顔でセルゲイが言った。


「前に俺があげたドレスを着れば良い。あとはありったけのアクセサリーでもつければ大丈夫だ。」


 アクセサリー………は一つしか持っていない。私は鞄にいれていたそれを取り出し、恐る恐るその唯一のネックレスを二人の貴族の男達に披露した。

 二人の美しい瞳が驚愕に見開かれ、金縛りにでもあったみたいに動きが止まった。


「……そのオモチャはなんだ……?」


「オモチャとは失敬な。これは私がハタチになった記念に村長がくれた大事なネックレスですよ。」


 私が手にしているのは、どぎついピンク色に塗られた小さな貝殻を連ねたネックレスだった。確かに日本だったら子供が身につけてもおかしくない代物だ。しかし、海が遠いサル村では貝は貴重で、これでも村長が他の村まで出掛けて行って手に入れた、サル村では貴重な一品だった。貝細工の指輪を村一番の美人が自慢気にはめていたのを、その後彼女が羨ましそうにこのネックレスを見ていたものだ。色がおかしいのは、村長のセンスの問題だろう。


「参ったな。……いや、そこまで気が回らなかった。参った。」


 セルゲイは頭を抱えて寝台に座り込んだ。立っていられない程の衝撃を与えたらしい。私は手の中のネックレスに目を落とした。

 そんなに駄目なの?

 いや、分かるけど。日本でも24の女がつけるとは思えないし。でも、悲しかった。

 喜ぶ私の顔を見て喜んだ村長を思い出し、もっと悲しくなった。あの後暫くうちの食卓に並ぶ夕飯が質素になったから、村長一家が背伸びして買ってくれた事が私にも分かっていたから、余計に。


「心配するな。船内にちょっとした服や装身具を売る店があったはずだ。買って来よう。リサに恥はかかせない。」


 私はその最後の一言に神経を逆撫でされた。

 恥とはあんまりだ。このネックレスは断じて恥では無い。


「結構です。どうせ一人で参加しますから、セルゲイさんには関係無いでしょう。放っておいて下さい。」


「変な意地をはるものじゃない。こうした場では女性達は皆、絢爛な装いで来るものだ。そんなオモチャを首から下げて登場すれば、良い笑い者にされるぞ。」


「なっ……!……夕食食べたらさっさと部屋に引き上げるので、お気遣いは結構です。全部セルゲイさんに与えて貰うのも心苦しいですし!」


 私は埋め難い文化的差異に戸惑う二人を、虚勢を張って部屋から追い出すとさっさと着替え始めた。





 いつもより念入りに化粧した。

 髪もどうにか上手くまとめ上げた。

 ドレスは申し分無いし、桃色のドレスに貝殻の人工的な色合いが…多分、似合っている。

 私は洗面室の鏡に自分の姿を写し、一度大きく頷くと、意を決してホールに足を向けた。


 廊下に出ると、パーティに参加する着飾った乗客で溢れ、地図を見なくても彼等の後をつけてホールに行けそうだった。

 ホールの入り口には参加者に愛想良く会釈する乗組員が両脇に控え、私は慣れないその場に少し緊張しながら入っていった。

 ここは本当に船の中?

 巨大なホールの壁は隙間なく装飾がされ、高い天井からは重そうなシャンデリアが飾られていた。初日のパーティに相応しく、其処彼処に鮮やかな生花が配置されていた。煌びやかな衣装に身を包んだ乗客達が大勢集い、楽し気に歓談するその間を縫う様に給仕が飲み物を運んでいた。ホールの奥には木製の舞台が設置されており、数人の楽隊が楽器を演奏し、華やかな場に彩りを添えていた。

 既に立食を始めている乗客もいて、彼等の鳴らすカチャカチャという、陶器の皿と銀のフォークが立てる音さえ、どこか優雅だった。


 口を開けて贅沢な社交の場に見惚れていると、セルゲイとアレンを発見した。二人とも金糸でふんだんに模様が縫い付けられた、いかにも貴族然とした服を着こなし、とてつもなく場に馴染んでいた。彼等は予想を裏切る事なく、既に十人近い若い女性達に囲まれており、勝手に高嶺の花になっていた。

 私は給仕から飲み物を貰うと、遠巻きに彼等を見ていた。アレンのブーツは相変わら鏡の如く輝いていた。セルゲイは長い黒髪を右耳の下で黄金の円柱型の留め金でまとめ、腰まである残りの毛束は金色の細い鎖が広がらぬ様に巻き付けられていた。他には特別な装身具をつけていなかったが、二人が生来持つ美貌でホールの中でも一際注目を集めていた。


「あなた、お一人なの?」


 初老の女性が私ににこやかに話しかけてくれた。はっと気づいて私が振り返ると、彼女は私の格好を頭から爪先まで不躾に見て、顔を曇らせると、急に素っ気ない態度で、楽しんでね、とだけ言い残して人の波に飲まれて行った。

 すると今度は私と同い年くらいの2人組の女性が話しかけてきた。


「こんにちは。素晴らしい船ですわね。」


 私は急ごしらえで笑顔を作り、頷いた。二人とも結婚披露宴の参加者の様に凝ったヘアスタイルをして花を髪にさし、輝く貴石を連ねたネックレスをつけ、細く白い指には不釣り合いな程大きな貴石が乗った指輪をはめていた。


「はい。このパーティも素敵ですね。……お二人はどちらまで行かれるのですか?」


「終点の街までですわ。お父様の別荘がそこにありますの。あなたは?」


 私がデフレーまで、というと彼女達は手にしていた可愛らしい扇で口元を隠し、目を丸くした。


「まあ。終点の街から更に行った所にある黒い森を、越えた先ではありませんの!あの不気味な森を縦断なさるなんて。勇ましいのね。」


 彼女達の言葉の中にどこか皮肉めいた響きを感じながら私は、そうでしょうか、と曖昧に返事した。

 値踏みする様な二人の視線を受けながら、何の話をすれば良いのか分からない。昼をまともに食べていなかった私は、様々な食事が所狭しと並べられたテーブルを無意識に見やった。

 すると彼女達は扇を口元にあてがいながらもぷっとふき出した。


「まあ。お腹が空いてらっしゃるのね。おいたわしいわ。」


「どうぞわたくし達はお構いなく、取ってらっしゃいな。」


 明らかに小馬鹿にされながらも、二人から離れる口実ができた事に私は胸を撫で下ろした。歓談する人々を横切り、食事のテーブルへ行くと、私は皿に好きな物を盛り付けてホールの隅まで移動した。

 パーティを満喫するのに余念が無い煌びやかな乗客達を見物しながら、私は壁と一体化して食事を食べていた。どうやら私はここでも浮いているらしい。誰にも邪魔されず、丁度良いくらいだ。開き直って食べていたが、なぜか頻繁にチラチラとあちこちの乗客達が私に視線を投げている気がした。気のせいだろうか。セルゲイ達の様に、私も美しさのあまり、人の視線を集めてしまうのだろうか。私にも案外、つい目が引きつけられてしまう、華があるのかもしれない。………そんな虚しい妄想に取り憑かれていると、私は肩を叩かれた。


「又お会いしましたね。リサさん。」


「クリストファー・ラングさん!」

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