第27話 豪華客船へようこそ

 落日が景色を緋色に染め上げていた。

 岸辺の家並みは赤く佇み、元の色が分からない。

 対岸がすっかり霞むほどの幅を持つ大河の水面は沈む陽の最期の輝きを受けて美しく輝いていた。まるで神が巨大な果実を絞り、流れを創り出したようだ。


 私達が乗る船は所謂豪華客船だった。

 馬車で大神殿から南西に進路を取り、ぶつかるのがヴァン川だった。私は今までこれほど大きな川を見た事が無かった。超特急で荷物を作り、馬車に揺られて大河へ到着した私の疲労を、一瞬にして忘れさせる、圧倒的な自然の威力がそこにはあった。


「どうしたらそんなに荷物が増えるんだ?」


 軽々一人分の席を占めていた私の荷物を見ながら、セルゲイが呆れた様に呟いた。


「これでも必要な物だけ詰めたんですけど……。」


 今回の旅は長い上に船の中なのだから、必要になったら買い足す、ということが出来ない。また船は一般客と乗り合いで五日間を過ごすので、面倒を避ける為に大神殿の人間だということを隠す予定になっていた。そうなると私服がある程度必要になるので、どうしても荷物が増えてしまったのだ。

 よっこらしょ、と年寄り臭い掛け声をつけて馬車から降りようとした私をセルゲイが止めた。


「待て。設定を決めてから乗船しよう。」


 設定?私は向かいに座る私服を着たセルゲイを怪訝な顔で見つめ返した。


「どう見ても貴族で育ちの良い俺とアレンが、一見して庶民と分かるリサと共に船旅をする設定を考えておかなくては。船上では他の客との交流が避けられない。話を合わせておこう。」


 なるほど、五日も豪華客船に同乗するのだから、色々と周囲の人々に聞かれたりするのかも知れない。だけど自分で育ちが良いと断言する事にこの男は些かの躊躇も無いのか。庶民の私には理解しかねる感性の持ち主であるのは間違い無い。

 私はとりあえず思いついた、少女漫画的な王道設定を提案してみた。


「異国の王女と騎士達のアリュース王国旅行っていうのはどうですか?それなら私に常時はりついても不自然に思われませんよ。」


 言いながら自分で思いがけずワクワクした。女子なら誰もが妄想して止まない設定だ。………そうして、たいていは美形の騎士達が、可憐な王女を取り合って仲違いしてしまったりして。けれども王女は自分に長年尽くしてくれた二人の内どちらかを選ぶなんて事は出来ず、引き裂かれそうになりながら、鼻血をだしそうなほど悶えるのだ。僅かの間、心地良く都合の良い空想世界に旅立っていた私を、アレンの冷めた声が現実世界に引き戻した。


「一部の役回りに無理があります。」


 あっ、それ私の事ですかね。

 尋ねるまでも無い質問を飲み込んでいると、間髪いれずにセルゲイまでもが真顔でクレームをつけてきた。


「異国ってどの国だ?」


 答えに窮して文句も出ない。

 追いうちをかける様に再びセルゲイが言った。


「どちらから?と尋ねられて、異国です、と答える奴はまずいない。曖昧な設定はかえって怪しまれて人目を引く。狭い船内で下手に注目を集めたく無いんだ。」


 セルゲイとアレンなら黙っていようが遠くからでも注目を集められるから、無駄な心配だと思えるが。


「リサ様が私達の侍女というのはいかがですか?」


「それはそそる設定だな。」


「異議あり。私、貴方達のお世話したくないんで。」


「駆け落ちした貴族の次男坊とその侍女、それに彼等を手助けする忠実な乳兄弟というのは?」


 その、侍女って設定から離れられないのか。


「………こんなのはどうだろう。王都の孤児院にいるリサを慈善家の貴族の男が引き取る。後日、生き別れた親が南にいると判明し、船旅で養女を実の両親の元に送り届けるんだ。」


「どこから突っ込めば良いのか分かりませんが、とりあえず船内で注目の的になれそうですね。」


 その後もあれこれ男の浪漫と呼んだら良いのか、おかしな設定が次々提案されては却下されていった。案も出尽くすと、無駄に疲れた空気が馬車内に立ちこめた。


「………面倒だな。いっそ、バラバラに乗れば良いじゃないか。」


「そうですね。無理に最初から一緒にいなくても良い気がします。」


 そもそも上流階級の優雅な人々だけが移動とクルージングを楽しむ為だけに乗る、豪華客船の船内なのだから、私の警護を彼等がしなくてはならない様な危険な事なんてここでは起きそうには思えない。


「確かに、部屋も私だけ別ですから、それで良いかもしれませんね。」


 私がそう言うと、アレンが総括した。


「では、私達は赤の他人という事で。乗船したらなるべく近くにいつもいる様にいたしますので、ご安心を。後から降りますので、リサ様は先に馬車を降りてどうぞご乗船下さい。」


 彼がこんなに長い台詞を言うのを初めて聞いた気がした。





 重たい荷物を両腕に抱えて、薄闇にそびえる船を見上げながら桟橋を渡る。緋色から薄闇に景色が色を変える中、にこやかに客を迎える船員に乗船券を手渡して船内に入った。

 船の中は想像以上に豪華で、ふかふかの絨毯が敷き詰められ、廊下の天井からもシャンデリアが下がり、焦げ茶色に統一された調度品が重厚感を与えていた。船内には巨大なホールやレストランがあり、その奥が客室の並ぶエリアになっていた。荷物を持ちながら客室の前まで案内してくれた船員にお礼を言い、客室に入ると中も高級ホテルの部屋の様に素晴らしかった。さすがに広くはないものの、快適そうな寝台と椅子と机のセットがあり、隣には小さな洗面室もついていた。

 私は壁の真ん中にある窓に吸い寄せられた。海に面していて、闇に沈んだ黒い水面が微かに見える。日が昇ればきっと綺麗だろう。


 あれこれ室内を物色したり、荷解きをしていると、廊下の方から短い叫び声と、何かがバサバサと床に落ちる音を聞いた。

 何だろう。

 そっと扉を開けて廊下の様子を伺うと、廊下の床一面に紙の束が盛大に散らばっており、一人の若い男性客が屈み込んでそれを必死に拾い集めていた。

 彼は私に直ぐに気付くとこちらを見て恥ずかしそうに笑った。茶色い髪と瞳が落ち着いた印象を私に与えた。


「お騒がせしてすみません。原稿用紙を落としてしまいました。」


「いえ。あの、お手伝いします。」


 豪快に床を埋め尽くす紙のあまりの量に思わず軽く笑ってしまいながら、私はその男性に並んで屈み、彼と一緒に紙を拾い始めた。散らばった紙面には細かい文字がビッシリと書き連ねられている。それらを拾い集め終わると申し訳なさそうに苦笑している男性に渡した。


「ありがとうございます。もの書きでして……。デフレー神殿に取材旅行に行くところなんです。」


 デフレー神殿に?と思わず私は聞き返した。


「はい。あちらに知り合いがおりまして。新作の為に各地の神殿を回っているところなのです。」


 なんて偶然なのだろう。私は目の前の男性に親近感を抱いた。私が拾い集めた紙の束を渡すと、彼はありがとう、と爽やかに笑った。大きく鋭い、意思の強そうな瞳が少し柔らかくなり、どこか私はホッとした。


「クリストファー・ラングと申します。………私の事はご存知ですか?」


 クリストファー・ラング。

 有名な作家さんなのかもしれない。単なる取材の移動手段として、庶民には手が出ない豪華客船に乗船しているのだから、余程の売れっ子なのだろう。

 だがサル村には本屋が無く、たまに近隣の大きな村に仕入れに行った店主が気まぐれで選んだ本が店頭に並ぶくらいだった。その様な環境にいた私は、この世界の本の流行や作家についてまるで知識が無かった。

 元の世界に居た頃は、読書が趣味だったし、興味が無い分野の作家や、新進気鋭の作家の名前も新聞を毎日読んでいたからちゃんと知っていたのに。少し悔しい気持ちになりながら私は首を左右に振った。


「ごめんなさい、あまり本は読んでいなくて。……あっ、でも読書は凄く好きなんですよ。」


 彼は何かを待つ様にまだジッと私を見ていた。はたと気づいて慌てて名乗る。


「リサ……です。今日から五日間、よろしくお願いします。」


 男性は開いたままになっていた自分の鞄に原稿用紙を詰め直すと右手を前に出し、握手を提案してきた。

 彼の手を取りながら笑顔を交換し合っていると、横から大股でこちらめがけて歩いて来る二人組が視界に入った。

 セルゲイとアレンだった。

 私と男性は握手をしたままの状態で廊下を塞ぐ様にして立ち、そちらに殆ど時を同じくして顔を向けた。

 セルゲイの形の良い眉が訝し気にひそめられ、私と男性の繋がれた手に素早く青い瞳が動くと、不機嫌そうに口を開いた。


「失礼。道を開けてくれないか?」


 私達は急いで詫びながら廊下の片側に退いた。期せずして身を寄せ合う様な格好になった私と男性を見て、セルゲイは尚一層不機嫌そうに眉間の皺を深くした。

 彼は少し開いたままになっていた私の部屋の扉に目を走らせた後、荷物をドン、と床に置き一転して強気な笑みを浮かべて私に手を差し出した。


「そちらの部屋の方かな?俺はセルゲイ・リヒトスタグラフダニエフという。隣の部屋の様だ。よろしく。」


 セルゲイ・リヒ……!?

 初めて聞いたセルゲイの、舌を噛みそうな上に長くて覚えにくいその苗字に目を丸くした。釣られて握手を交わすと、セルゲイは目で私に部屋に戻る様、指示した。そこには人に命じる事に慣れた独特の強制力があり、私は無意識に彼に従い部屋に戻っていた。

 部屋に入り、一人きりになってからようやく気づいた。

 なんでセルゲイの命令に大人しく従わなきゃいけないんだ。私も従順過ぎる。

 でも怒らせると面倒そうなので、暫く部屋で荷解きの続きをしてから、船内探索に出掛ける事にした。


 クリストファー・ラング。

 綺麗な名前だ。クリストファー……。

 郷愁を誘う響きに似ている。

 私は無自覚ににやけながら、持参した服を備え付けのドレッサーに掛けていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る