第26話 降って湧いた物騒な大一番
何故か私は脳天を蕩けさせんばかりの流し目を浴びていた。
超絶美形の放つ妖艶な視線と空腹のあまり、聴覚神経が異常をきたしているのだろうか。大神官の口から紡ぎ出された言葉が飲み込めず、私は眉根を寄せて彼を見つめ返していた。
「昨日戻ったばかりで心苦しいが、今から又旅立って欲しい。」
どっと冷や汗が出てきた。
幻聴ではなかった。今からって……。
私に休息を与えようとか、勿体ぶって言っていたのはつい先日の事ではないか…!前言撤回も甚だしい上に、旅立ちが急過ぎる。この国の至高の存在とやらは人使いが荒過ぎやしないか。心苦しいと言ってはいるが、口調からは微塵もそんな気持ちを感じさせないのはなぜか。
「……デフレー、と仰いましたか?」
恐る恐る聞いてみると、大神官は長い金髪を揺らしながら頷いた。
私の全身に一気に疲れが押し寄せた。
デフレーと言えば、ここから二週間くらいはかかる、遠隔地だ。南の大きな街だが、王都からはかなり遠く、間には黒く深い森やら高低差の激しい滝やらが横たわり、いろんな意味で近くない場所な筈だ。こちらに来てから私も大神殿でボンヤリしていたわけでは無い。色々と勉強したのだ。だからこそ、目の前に優雅に腰掛ける大神官の非道っぷりが即座に認識出来た。
ふう、と短く息を吐いて大神官が足を組み直した。
「その様に睨むでない。これには、深い理由があるのだ。デフレー神殿には候補が一人しかいないが、その女性は特に神力あらたかな候補なのだ。それに、遠く王都までも彼女の美しさが噂となって伝わっている……。」
ああ、そういう事か。
美人だと風の便りに聞いたから、早く会いたくて堪らなくなったのか。妙に納得できた。相変わらず浮ついた大神官だ。それに振り回されるこちらは堪ったものではないが。
「待て。話はまだ終わっていない。なぜそこで納得するのだ。………彼女は推薦があった中では最有力候補なのだ。」
「名高い美人だからですか。」
「そう……違う!彼女の評判全般や、推薦人の質、神力の程度等を総合的に評価した結果だ!ましてやこれは大神殿の高位の神官達が会議で出した結果だ。そなたと話していると疲れてならぬ。」
大神官が私の質問に対して同意し掛けたのは聞き逃さなかったけれど、私は反省してうな垂れたふりをしてみた。どうやら一緒に会話をしていると疲労を感じるのは私だけではなかったらしい。この点において大神官と初めて意見が一致した。
最有力候補。
それでは、いよいよ本丸を攻めるという事だ。大神官の奥方選びも、ついにヤマ場を迎えた。
話がそうと分かれば、パンか何かをかじって、さっさと荷造りをしなければならない。行けと命じられれば何処へなりと黙って行くのがサラリーマンと私の仕事だ。早くこの場を後にして仕事を終わらせたい。
だが話はまだ終わりではなかった。
それまで静かに私達の様子を見ていた高神官の一人が、説明を始めた。
「デフレー神殿の候補者はマドレーヌという女性だ。彼女は幼い頃から、未来の大神官様の配偶者となり得る存在として注目をされていた。彼女が神殿に入ると、彼女を害そうとする愚かな輩が時折現れたほどだった。正式にデフレー神殿の推薦を受けてからは、厳重な警護がされている筈なのだが、先日、彼女の誘拐を企む計画があると、某筋から情報が入ったのだ。急にデフレー訪問が決まったのはそういう事情があるのだ。」
高神官が話し終えると、重い空気が謁見の間に充満した。
今まで平和に各神殿にいる候補者達を訪問していたが、その様な環境にいる女性もいたなんて。幼い頃から大神官の妻となるべく周囲に期待されてきたというのは、どの様な心境なのだろう。ふと、父親に一方的に期待されていたシュゼを思い出したが、彼女のケースとは違い、きっとマドレーヌという女性はかなりの神力を持っているのだろう。
今回は一段と気を引き締めなければならない。トマトシチューを食べはぐれた事などを悔しがっている場合ではなかった。私は大神官に大事な点を念の為確認しておく事にした。
「同行する大神殿騎士は…」
「セルゲイとアレンだ。」
なんてこと。
誘拐犯の標的になっているらしい女性を連れてくるという、物騒で危険そうな仕事のお供が、イマイチやる気の無さそうなあのいつもの二人だとは。
口を開けたまま絶句した私の不安を読み取ったのか、大神官は付け加えた。
「あの二人がいれば一騎当千であろう。案ずる事はない。」
私が知る限り、あの二人は決して騎士として心強くは無かったが、それは幸いにも二人が剣を振るわねばならない場面に今まで遭遇しなかったからだろう。いざとなれば、彼等は物凄く強いのかも知れない。きっとそうだ。
私は自分を説得した。
「そなた自身も十分気をつけるのだ。デフレーは難所の先にある。」
私は大きく首を縦に振った。
それを見て満足そうに目を細めた大神官は、その身にまとう衣装の長い裾を丁寧な足さばきではためかせながら、謁見の間後方に消えて行った。
大神官をのみ込んだ幾重ものカーテンがまだ揺れていた。
ーーーリサ。
その揺らめきの彼方から、柔らかな呼び声。
………話は終わったんじゃないのか。どうしてわざわざ私をカーテンの奥へと誘うのだろう。これまでと違って、聞かれて困る部外者はここにはいないというのに。
どうしたものかと、もたつく私を促す様に、高神官が横で咳払いをした。
行けば良いんでしょ、行けば。
まさか今回はデコピン神力や耳の鷲掴みといった暴力行為は待ち受けていないだろう。
心を強く持って私は右手でカーテンをかき分けて進んだ。
視界が開けるなり再び目の前に布が迫り、私の視野を遮った。それはそのまま顔面にドスンとぶつかってきた。背中に何かが巻きつき、強く前へ押し付けられたせいだ。一体なに?
ひーーー!!
声にならない叫びを上げた。
私は何故か大神官の腕の中にいた。拘束されなければならない理由が分からない。怖いから。怖過ぎるから。私のいたいけな心臓は動転のあまり異常な速さで鼓動を始めていた。
耳元に大神官が顔を寄せ、微かな吐息と共に囁いてきた。
「そなたが心配だ。デフレーは決して安全ではない。だが大河を船で下りこちらから南下する方が遥かに早く合流出来るのだ。」
船で行くのか。
てっきりいつも通り、馬車を使ってデフレーまで行くのかと思い込んでいた。この状況は死ぬほど勘弁して貰いたいが、船旅になるという情報が得られて良かった。荷物がそれによって少し変わるから……。
でもでも、どうして良いかわからない。
指一本動かせない。
苦しい。
さっきから背中に回された腕の力が増しているのだ。背骨が軋みそうだ。
私はようやく事態を察した。
私はセクハラを受けている。間違いない。
田舎暮らしが長過ぎて時勢に疎くなっていたが、これが世に言うセクシャル・ハラスメントではないのか。
泣き寝入りは良くない。だが相手が色んな意味で雲の上の存在過ぎて、被害を訴える術すらない。そもそもこの世界にセクハラという概念は有るのだろうか……?
「必ずマドレーヌを連れ帰って来るのだ。マドレーヌが、平凡の中に埋没してしまいそうなそなたなど、一瞬で忘れ去ってしまえる様な素晴らしい女性である事を、願ってやまない。」
どうやら私は大神官の腕の中でセクハラだけでなく中傷も受けているようだ。
「嫌な予感がする。鋭利な悪意の様なものがそなたに向けられているのを感じるのだ。………万一の時は己の身は己で守るのだ。そなたの神力を封じた力を少し弱めよう。これで強い意思と思念波をもってすれば、私の施した封じ込めは解除される。」
意味深な事を言うと、大神官は片腕で私の背を押さえ、残る手を私の額に回し、一瞬強く押し付けた。首が仰け反ると同時に額の中心にパチリ、と静電気を大きくしたものに似た痛みが走った。
痛っ!と声が漏れるのと時を同じくして唐突に私は解放され、そのまま有無を言わせずカーテンの外側へと追い出された。
「わっ!!」
カーテンをくぐると目の前に神官達が並んでいた。私と同様彼等も驚いたらしく、後ろへ一歩飛び退くとわざとらしく視線を明後日の方向へ彷徨わせ、各々無意味な会話を始めた。さては皆でカーテンギリギリまで来て、大神官と私の会話に聞き耳を立てていたらしい。イイ大人が揃いも揃ってはしたない………。
そう思うと私は猛烈に恥ずかしくなり、逃げる様に謁見の間を後にした。
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