第25話 指令は前振りも無く

 翌日私はレストラ高神官を探した。

 大神殿の奥の方は、大神殿で働く中でも高位の選ばれた者たちだけが出入りできるエリアになっており、大神官や高神官はそこで執務を行っていた。私は大神官付秘書の肩書きを持ってはいるが、実際には大きな顔をして大神殿を闊歩できる身の上では無いので、その要人限定エリアには日頃足を踏み入れないようにしていた。

 レストラ高神官を待ち伏せして要人限定エリアと一般エリアをつなぐ廊下で私は長い事朝から時間を潰していた。白く輝く石造りの廊下には均等間隔で飾り台が置かれており、色鮮やかな絵の描かれた花瓶と豪華な花々が飾られていた。廊下の先には高い天井近くまで迫る大きな両開きの重そうな扉があり、両はしには誰の物だか分からない胸像が設置されていた。

 私が廊下の見物にも飽きた頃、他の神官と話しながらレストラ高神官が扉の向こうから現れた。彼は私をみとめるや、直ぐにこちらへやって来た。


「ここにリサがいるとは珍しい。どうしたのだ?」


「お忙しいところ、すみません。ちょっとご相談したい事がありまして…。実は、昨日アイギル小神官に偶然お会いして、夕ご飯をご馳走になりまして…」


「アイギルにっ!?」


 突然レストラ高神官が大きな声を出したので、私がびっくりしてしまった。彼は周囲を見渡すと、私を廊下の隅の方へ引っ張って行った。辺りを見渡し、何かを警戒しているらしい。


「アイギルとどんな話をしたんだ?教えてくれないか。」


 私は思い出しながらアイギル小神官との会話内容をその場で話し、最後に彼が出した手紙が届いていない事を言ってみた。するとレストラ高神官は白い顎鬚のはえた口周りをゆっくり摩って、自分の考えを吟味する様な仕草を見せてから、私に言い聞かせる声色で話し始めた。


「リサ。お前は今、非常に重要な任務を任されている事をもう少し重く受け止めるべきだ。大神官の妻選びという、極めて高度な統治に関わる行為に携わっている事を、忘れてはならない。お前に全財産を投げ出しても擦り寄ろうとする輩も今後出てこよう。」


 私は身が引き締まる思いでそれを聞きつつ、神妙に頷いた。既に賄賂は何度か渡されそうになっていた。身に覚えがあり過ぎる。


「とりわけ候補者を出している神殿は危ない。また、そこと水面下で手を組む神殿もあるだろう。アイギルは別として、お前に来る郵送物は危険視したほうが良い。ましてや神殿にいる高位の神官からの手紙など、まず何らかの意図を汲み取られる。お前に取り入ったり、縋ったり、又は脅迫かもしれぬ。郵便所か、はたまた大神殿内部か、どこに内通者がいるかは分からないが、今のリサ宛の手紙が、何らかの目的で盗まれたり抜き取られても不思議は無い。」


 そんな……。

 私が計り知れない所で、陰で蠢く陰謀めいた動きに背筋が凍る思いがした。自分の思い通りに事態を進めようと、汚い手を使う事を厭わない何者かが確かに周囲に存在するのだ。

 レストラ高神官は私に顔を寄せて、脅すわけではないが、と前置きしてから念を押す様に言った。


「そしてお前は重大な役割を担う選考人でありながら、候補の一人ですらある。この事を忘れてはならない。」


 後者については全力で忘却したい。

 肝心の大神官もそうしてくれていると私は信じている。

 私はこれまでにあの高貴なお方が私にぶつけてくれた素晴らしい言葉達を回想した。女として見ていない、下僕、持ち物。ウットリするほど素敵な表現だ。


「幸い大神官様も私の事は眼中に無いみたいですから、只管職務に励む所存です。」


 するとレストラ高神官は顔を曇らせた。


「お前はどうも、自分に都合の悪い出来事には目を瞑る傾向がある様だな。どちらの意味でも、あまり事態を楽観視しない方が良い。」


 私はレストラ高神官が言わんとする事が良く分からなかったがーーーというよりは寧ろ、何かを上手く誤魔化された様な気がしていたが、了解した、と頷いておいた。レストラ高神官は私に心配気な眼差しを向けると声を落とした。


「また困った時は私に言いなさい。お前もここに心許せる者がいなくて辛いだろう。あまりたいした力にはならないが、私は味方だと覚えておきなさい。」






 昼食を大神殿の食堂でとっていると、中年の女性が私に声をかけてきた。

 今日のメニューは大神殿の今ひとつ精彩を欠く食堂にしては珍しく、大層食欲をそそるシチューだった。私はそのトマト風のシチューにスプーンを突っ込み、口に広がる濃厚で芳醇な野菜や肉のダシと、爽やかなトマトのハーモニーを楽しんだ。いよいよゴロリと大きな肉の塊を口に入れようとした、その絶妙なタイミングでその女性は話しかけてきた。肉を寸止めされた私は引きつりそうになる顔をどうにか抑えて愛想良く返事をした。話した事は一度もなかったものの、その女性は大神官付秘書の一人だった。私の他には二人しかいないので、顔だけは良く知っていた。


「リサ。大神官様がお呼びです。謁見の間にいますぐお行きなさい。」


 今?

 絶賛昼食中なんですけど。

 私はまだ殆ど手を付けていない昼食を前に、喘いだ。


「大神官様はご多忙です。座っていないでさっさと謁見の間へ急ぎなさい。」


 座っているのではなく、食事をしているのだ。しかし、私と違ってれっきとした大神官付秘書様に命じられた事に、難癖をつける訳にはいかない。私は彼女の急かす様な視線に背を押されて、断腸の思いで食器を返却した。

 大神官が私の食事時間を考慮してくれる筈が無いのだ。私はトマトシチューに後ろ髪を引かれながらも、まだ鳴る腹の虫を無視するしか無い切なさに身悶えしつつ謁見の間へ向かった。

 私が謁見の間の扉の前に立つと、神殿の職員が扉を無言で開けてくれた。いつもと同じく、何人かの高神官達が壁沿いの席に既に着いていた。奥まで進むと大神官が足を組み、両肘を肘掛けにつけて座り、私が近くまで来るのを待っているのが見えた。大神官は私をにこやかに迎えた。


「昨夜は良く寝れたか?」


「はい。お陰様で。」


 個人的には昨晩の睡眠よりも、今日の昼食の気遣いを賜りたかった。まだ私の鼻腔がトマトシチューの残り香を求めていた。


「そうか。私はワイヤーでの様々な出来事が胸に去来しなかなかどうして、寝つけなかった。」


「やはり、フェリシテさんの事がお心残りなのでは…」


「そなたの泣き顔が私を追い回して苛むのだ。」


 何ですか、そのホラーな感じ。

 脇に控える数人の神官達がぎこちなく身じろぎした。不覚にも想像してしまったのだろう。


「……それは、不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません。どうかお忘れ下さい。」


「詫びる必要は無い。私は不愉快だとは感じておらぬ。それどころかいっそ、愉快ですらあるのだ。」


 それは私の泣き顔が笑える程おかしかったという事だろうか。思い出し笑いをし過ぎて、昨晩は寝つけなかった、と言いたいのか。

 そんな取るに足らない話をする為に、私はトマトシチューを取り上げられたのか。理不尽過ぎる。

 私が険しい顔で大神官を見ていると、彼は恍惚とした表情を浮かべて言った。


「そなたの涙は、まるで小さな雛鳥の柔らかな羽先の様に私の胸の奥を掻き撫でる。」


「それは本当にご迷惑をお掛けしました。不快な思いをさせてすみません。」


 空腹だと視野と心が狭くなるらしい。回りくどい嫌味はさっさと切り上げて欲しい。なんかもう、この大神官は婚活に入れ込み過ぎて、逆に完全に方向性を見失っているとしか思えない。さっきから、こちらが腰から砕けそうなほどの色気を無意味に放出させているのは何なのだろう。空腹に耐え忍ぶ私の胃に、致命的な損傷を負わせようとしているのか。私は静かな謁見の間に自分のお腹の音が響き渡ったりしない様に、懸命にお腹に空気を押し込みながら力を入れた。


「そなた、私の話を聞いているのか。」


「はい。もうお詫びのしようもありません。」


「………聞いていないな。では本題に入ろう。そなたは今から南のデフレー神殿に行くのだ。」

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