第24話 惑う心

「セルゲイさん、それより貴方は大丈夫なんですか?セルゲイさんも病人みたいに見えるんですが。」


「恋の病かな。」


 あくまでも話を茶化すつもりらしい。一体何をしていたらそんなにやつれられるんだ。セルゲイはいつもふざけている様でいて、肝心な事は一切話してくれない、そんな印象を私に与えた。


「………誰も心配してくれる人がいないんですか?もう少しちゃんと休んだ方が…」


「お前は俺を何だと思ってるんだ。これでも体調管理をしてくれる人は大勢いる。」


「し、失礼しました……。彼女さんが大勢いますもんね。」


 セルゲイは片眉を跳ね上げた。


「彼女なんて、一人しかいない。」


 そうか。

 私は旅行く先々でセルゲイに引き寄せられて集まり、セルゲイとの別れを惜しんでいた女性達の事を思い出した。セルゲイは訪れる各街にファンを作る男だった。


「オトモダチ、という名の深く広い交友関係の女の子達がたくさんいるんでしたね。」


「何だそれは……。リサには俺はそんな男に見えているのか?俺ほど純情な人間はそういないんじゃないか?今どき珍しいほど俺は硬派だ。」


 私は言葉を失った。

 一体誰のことを言っているんだ。セルゲイの自分に対する評価は、実際からあまりにかけ離れ過ぎている。

 硬派って……。サル村のピュアな青少年達が聞いたら、二度と立ち直れないだろう。

 思えば彼等は実に純粋だった。サル村のスタイルでは、交際前には森に咲く花をプレゼントし、互いに思いを交わした後のデートも清く正しいものだった。村で人気のデートと言えばピクニックなのだが、ちなみに今一番最高にイケてるデートは森での木苺摘みだった。サル村の女性ならば、交際相手から木苺摘みに誘われたら、なんて気の利く男性とお付き合いしているのだろう、と自分の幸運を天に感謝するくらいだ。ある時、私が籠いっぱいに摘んだ木苺を家に持って帰ると、それに気づいたクリス兄さんが複雑な顔でこちらを見ていた。その夜、家の居間でクリス兄さんと村長が、これでようやくリサが村の正式な一員として認められた、と咽び泣いていたのを、戸惑いと共に覚えている。

 サル村で女性の気持ちを確かめもせずに、唇を奪う様な真似をしたら、村民会議にかけられ、激しく弾劾されてもおかしくはない。

 私はサル村の男性陣を代弁するつもりでセルゲイに聞いてみた。


「硬派の意味、間違えてません……?」


「自慢にもならないが、俺は女性と付き合った事など無い。お前が初めてだ。」


 ええと、私はいつから貴方の彼女に………?

 あっ、そうか。そうなるとじゃあ、さっき言っていた、一人しかいない彼女っていうのも、私ですね……!


「って、それ、おかしいでしょ。私にはセルゲイさんとお付き合いしているつもりはありませんから。」


「……そうだったのか。それは失礼したな。リサ、好きだ。付き合ってくれないか?」


 告白がついで過ぎやしないか?

 しかも面会時間が過ぎたひと気の無い病院の廊下で。ムードもへったくれも無い。


「残念ですけど、お断りします。」


「もう少し考える時間があっても良いんじゃないか。なんなら、俺がリサの借金を完済してやっても良い。自分で言うのもどうかと思うが俺はかなりの金持ちなんだ。」


 完済……!?

 不覚にも私はその一言に飛びつきたくなった。なんて魅惑的で退廃的な言葉だろう!

 私は無意識に心の内を声にしていた。


「そうなれば、大神官の妻選びとかいう、異常に下らない仕事をもうしなくて良いんですね。あの守備範囲のやたらに狭い、バカ丸出しの女の趣味に真剣に頭を悩ます事も、なくなると……。」


「そ、そんなにお前の仕事は辛いのか…」


 彼はふと思い出した様子で、腰に掛けていた布袋を探った。


「忘れるところだった。また持ってきたんだ。」


 セルゲイがそう言いながら私に差し出してきたのは、見覚えのある包だった。

 一気に私のテンションが上がり、口元がにやけてしまう。ーーーおにぎりだ!

 包みを開くと、ほんわりとした米の香りが広がり、艶めく白米が私の頬を緩めた。前回よりかなりいびつな形に握られていて、まるで小学生が初めて握ったみたいな形をしていて、私の笑いを誘った。三つのおにぎりは全て形も大きさもバラバラだった。


「時間がなくて、上手く形を作れなかったんだ……。そんなにおかしいか?」


 恥ずかしそうに呟くセルゲイに私は驚いた。


「これまさか、セルゲイさんが握ったんですか?」


「勿論だ。」


 てっきり誰かに頼んだのかと思っていた。大神殿騎士の制服を着て剣を腰にさしたセルゲイが、アッチアッチ言いながら炊きたてのご飯を握る光景を思い浮かべて私は声を押し殺して笑った。


「ありがとうございます。後で部屋で食べます。」


 セルゲイは恥ずかしそうに肩をすくめてから、立ち上がった。

 数歩進んでセルゲイはキム先生の病室の前に立ち止まると、ドアノブを握り引き戸を微かに開けかけて、思い直した様にまた閉めた。

 お休み、キム。

 ドアに向かってそう呟くと彼は大事な物から手を放す様にそっとドアノブから手をどけた。賢明な選択であった。まだ病院に居座っていたと厳格なキム先生に知られれば、二人雁首揃えて叱られるだけだ。


「帰るか。ここの職員に追い出されないうちに。」








 帰り道は行きと違って、セルゲイが馬をノロノロと歩かせた為に、なかなか大神殿に着かなかった。夜風が冷たく、寝静まった石造りの街を通る風はひんやりとしていたが、背中ごしに伝わるセルゲイの体温は熱く、なんだか変な気分にさせられた。家々の窓の隙間から黄色く暖かい光が漏れ、月明かりも手伝っているせいか、それほど外は暗くなかった。ゆっくり進む馬の蹄が心地よい振動を与えた。

 ようやく大神殿と王城を見上げる広場に差し掛かると、セルゲイが後ろから聞いてきた。


「ワイヤーはどうだった?」


 私は咄嗟に気の毒なフェリシテと不気味な大神官を思い出し、あまりに辛い記憶に耐え切れず頭を振った。もっと楽しい話をしよう。


「温泉がたくさんありましたよ。今回は、可愛い若い子がいて、上手くいくかもと期待をしたんですけれど。駄目でした。……あ、でもアレンさんと、少し仲良くなれた気がします。」


「若くて可愛い子か…。」


 舌舐めずりでもしそうな、いかにも好色そうな口調で言わないで欲しい。本当に硬派なのかと疑いたくなる。でもそんな事をいえば、ヤキモチを焼いていると都合良く解釈されそうなので、黙っていることにした。


「……大神官は、どんな様子だった?」


 私は再び嫌な事を思い出して仏頂面をした。


「若い子に謎のモーションをかけておきながら、あっさり手放したりして、理解不能さに磨きがかかったご様子でした。オマケに帰りは無駄に私にまで色気を振りまいたりして、車内はまさに地獄絵図といった惨状でしたよ。」


「色気!?大神官が、リサに?それは聞き捨てならないな。」


 背中ごしにも、セルゲイの体に緊張が走ったのを感じた。何事か考えているのか、それきり彼は黙ってしまった。


「あの、馬止まってますけど。」


「あ、ああ。すまない。」


 セルゲイは私が指摘すると思い出したかの様に馬を進めた。小高い丘を上る坂道を越え、夜の闇に白く高くそびえる大神殿の建物を迂回して裏口に着くと、先ほどと同じくそこにはアレンがいた。

 彼は私達に素早く近寄り、馬の手綱を取ると、先にセルゲイが馬から下りて私が下りるのを手助けしてくれた。セルゲイはアレンから鞄を受け取ると、裏口の通用門となっている小さな扉を開けて私を通した。


「疲れているのに、ありがとう。部屋まで送ってやれなくてすまない。」


 私は頭を横に振った。急な外出に戸惑いはしたけれど、私もキム先生に会って話を聞く事が出来て良かった。


「セルゲイさんも、良く休んで下さいね。お休みなさい。」


 セルゲイは滲む様な笑顔を見せた。青く美しい瞳が私に向けられ、嬉しそうに輝いている様に見えた。


「リサに心配して貰えるのが、何より堪らないな。……少し期待してみても良いという事かな?」


 セルゲイは通用門の扉に片手をかけて寄りかかり、首をやや傾けて悪戯っぽく笑った。そのまま暫く私を見つめた後で、お休み、と私に囁き扉を閉めた。私とセルゲイを仕切ったその小さな扉の、剥げかけた緑色の塗装を私は暫時見つめていた。私は意外にもあっさりとした別れに、なんだか拍子抜けした。

 ………今日は、キスしてくれないんだ。なーんだ。


「何考えてんの私……」


 自分のはしたなさに心底失望した。知らぬ間に自称•純情硬派な金持ち軽薄騎士に流されてしまっていたらしい。女の気持ちはうつろいやすいとは良くいったものだ。田舎から都会に出てくる際に、悪い人には気をつける様村長にも忠告されていたのに。

 ………でも。

 顔色が悪いとか責めるみたいに私が何度も指摘し過ぎたせいで、私にキスをしたく無くなっちゃったのかな。

 私は慌てて再度激しく頭を振った。

 やめよう、やめよう。なんでこんな事で軽くショックを受けてしまっているんだ私は。嫌だ嫌だ。こんなのっておかしいから。

 私はモヤモヤした胸中に自分で戸惑いながら、急いで自室に戻った。

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