第19話 大神官様のご所望

「秘書様、始めまして。私はフェリシテの父にございます。」


 私に話しかけて来たのは一人の中年男性だった。一目で貴族と分かる豪華な服を着ていた。太い指には大粒の貴石が重そうに輝いている。


「パウラの実家に行かれたというのは本当ですか?それなら是非とも我が屋敷にもお越し下さい!私の妻の家はこの辺りでは有名な宝石商でして。お近づきの印に、まずはお受け取り下さい。」


 そうまくし立てながら彼は小さな箱を差し出してきた。その箱を開けてみると、燦然と輝く宝石がビッシリとぶら下がったネックレスが入っていた。

 あまりに堂々としているので、一瞬賄賂だと気づかないところだった。私は苦笑しつつそれを彼に返した。


「私はどなたからも贈り物は頂けません。それにパウラさんの家へは、特殊な事情があったので訪ねただけなのです。」


「特殊な事情とは…!?」


 フェリシテの父は驚いた様子で聞いてきた。もしかしてパウラだけが私に選ばれたと勘違いしているのかも知れない。娘が不利になる事は一つでも避けたいのだろう。


「……パウラさんにはお子さんがいます。候補者の中では彼女だけなので、色々とお聞きしたい事があったのですよ。」


 半分は本当の事だ。

 フェリシテの父は私の説明を聞いてあからさまに安堵していた。男性にしては笑顔が可愛らしい。丸く大きな瞳は親子でそっくりだ。


「そういう事でしたか……。これは失礼いたしました。私も親馬鹿でして。本当に自慢の娘なんですよ。」


「そうでしょうね。素晴らしいお嬢さんです。」


 彼はこの上なく上機嫌になり、酒の瓶を抱えると、誰彼構わずつぎに走って回り出した。実に分かりやすい人だ。


 フェリシテの父が私の傍から去ると、大神官が再び私の隣にやって来た。一体何時の間に姿をくらましていたのか。未来の義父に対して取るべき対応の仕方では無い。


「リサ。喉が渇かぬか。」


 わざわざ戻って来ておいて、言う事はそれか。仲人気分に酔いしれていたが、自分が下僕である事も忘れてはならなかった。私はいそいそと飲み物が並べられたテーブル目指して駆け、水の入ったグラスを手に大神官のもとに戻った。それを恭しく大神官に渡す。


「そなたが私に持って来る飲料は常に水なのだな。私が無類の水好きにでも見えるのか。」


 私は目を瞬いた。言われてみれば屋台でも水を買った。しかしーーー一番無難な選択をしたつもりなのに。私なりの英断に難癖をつけられ、私は目の前にいる大神官を軽く睨んでから周囲を見渡した。確かに殆どの人が酒らしき物を飲んでいた。いい大人が、このテの宴席で飲むのはアルコール、と相場は決まっているのかも知れない。辺境のど田舎の村で成人を迎えた私はそういった事には疎かった。


「では何をご所望ですか。やっぱり酒でしたかね。それとも果汁とか、甘い飲み物がお好きですか。」


「そなた何を怒っておるのだ。………よもや私があの娘を気に入った事がそれ程不快なのではあるまいな。」


「仰る意味が分かりません。もしや酔ってません?………既に何杯か飲酒を?」


「そなたの目はやはり節穴か。」


 この大神官はどうしても私の目を節穴にしたいらしい。どうもさっきから話が通じていない様だ。やはり酔っ払っているのだろう。酔ってもそれが顔に全く出ない人もいるというから、大神官もそのクチなのかも知れない。

 私は飲み物が並んだテーブルへ舞い戻り、赤い色をした果実酒のグラスを選ぶと大神官に手渡した。


「まだ何かご所望でしょうか、ご主人さ…大神官様。」


「フェリシテが欲しい。」


 うわっ、キタよ。

 言っちゃったよ、大神官様。

 私としては喜ぶべきところなのだが、大神官の直球過ぎる言い方に、かなり引いてしまった。酔っているのではないかとの私の疑念は確信に変わった。

 私としては、手を出すなら是非とも大神殿にフェリシテを連れて帰ってからにして欲しい。それが国民から崇拝を一身に集める立場にいる人に求められる高潔さだと思う。というか、どうか犯罪にだけは走らないで欲しい。合意があったとか主張されても相手が16歳では納得し難いものだ。


「ご主人様、暫しお待ちを。今連れてきます。」


 私はそそくさとフェリシテのところへ言った。彼女は私が声を掛けると嬉しそうに微笑んだ。青く澄んだ大きな目に吸い込まれそうだ。何かしら、と語る様にパチパチと瞬きする仕草がまた、堪らない。クルリと天を目指す長く豊かな睫毛が華を添えている。


「フェリシテさん。今日一日、素晴らしい観光を案内してくれたお礼を私達から言わせて下さい。こっちへ来て!」


 我ながら強引な理由付けでフェリシテを大神官の方へ引っ張って行った。彼女は大神官の前まで来ると、白い頬を薄紅に染めた。大神官を見上げる上目遣いの瞳は、恋する乙女そのものだ。視線を絡ませる二人を見ていると、こちらまで照れてしまうくらいの熱が感じられる。

 私はそそくさと身を引いた。邪魔者は消えよう。

 しかしながら、こちらへ真っ直ぐに向かって来る神殿長の姿が視界に飛び込んで来た。彼は青筋を立てながらフェリシテを睨んでいた。立場をわきまえずに騎士の一人に現を抜かすフェリシテをまた叱るつもりなのだろう。それは阻止しなければ。

 私は神殿長の進路を妨害する様に彼の目の前に立ちはだかり、作り込んだ笑顔で語りかけた。


「この様な席をありがとうございます。今日のワイヤー視察は大変有意義でした。ワイヤーは素晴らしい街ですね。」


 神殿長は私に対して会釈をしているものの、目線は騎士と又しても良い雰囲気になっているフェリシテに注いだままだった。叱ったばかりなのに、衆人の前ですら恋の魔力に抗えずにいるフェリシテに対して怒りを抑えきれず、左頬をピクピクと引きつらせている。爆発数分前、といった様子だ。神殿長の気持ちは痛いほど理解出来るし、気の毒だが、実際には彼は怒る必要など無いのだ。私は彼の注意を自分に向けさせるべく、力を込めて言った。


「大事な話をしたいのですが。選考に関する事です。」


 案の定、神殿長はハッと我にかえり私と視線を合わせた。良かった。


「今、選考は大変重要な段階に来ています。パウラとフェリシテは私が今まで会った女性の中でも、極めて優れた候補の一人だと確信しています。」


 私が話を進めるうちに、神殿長の強張った顔はみるみる緩み、最後は満面の笑みを浮かべて嬉しそうにしていた。


「お褒めに預かり光栄です!二人とも私が神殿長として長年勤めてきた中でも、傑出した神力を持っております。それに、大神官様に差し出しても何ら恥ずかしくない容姿に恵まれていると自負しております。」


 私は神妙な顔を装い、神殿長が言う事にコクコクと頷き返し逐一同意を表明した。

 微妙に立ち位置を変え、熱弁をふるう神殿長にバレない様に慎重に横目で大神官達を盗み見た。二人は広間から中庭に出るガラス扉に向かって歩いているところだった。大神官は私の提案を受け入れてくれたらしい。中庭を散策するのだろう。大神官の手がそっとフェリシテの腰に当てられている。どこからどう見ても、身を寄せ合う恋人達だ。期待以上の出来栄えに、狂喜乱舞した。アレンに見せて、まだ意見は変わらないか聞いてみたいくらいだ。

 間違いなく、私が大神官付秘書としての地位を返上する日が近い……。

 私は二人が中庭に出て行き、広間から見えない場所に行くまで勿体ぶった話を続けて、制御不可能なティーンエイジャーに手を焼く神殿長の注意を自分に向けさせ続けた。


 秘書の仕事は色々と気をつかう。

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