第20話 夢のあと
そのまま宴会が終わるまで、大神官とフェリシテの二人は中庭から戻って来なかった。広い中庭で二人きりの時間を十分味わい、将来を誓い合ってくれたと信じたい。
その夜、私は大神官の意向を確認すべく、彼が与えられている部屋に向かった。朝にはこちらを発つので、私から神殿長にフェリシテを大神殿に連れて行くとそろそろ伝えなければならないからだ。
白い木製の扉をコンコン、とノックして待つ。なかなか返事が無い。
まさか留守だろうか。フェリシテと夜を明かそうとしてどこかへ!?ーーーそれだけはやめて頂きたい。急に私は大神官がもしやセルゲイよりも軽い男なのではないかと不安になってきた。嫌な汗が手の平を湿らせた。
引き返そうかと一歩退いた矢先、目の前の扉が開いた。
そこにはゆったりとした部屋着に着替えた大神官が立っていた。
「この様な夜分に人を訪ねるものでは無い。」
「申し訳ありません。昨日ご主人様が私の部屋を訪問された時刻より早かったもので。」
「斬新な皮肉だ。そなたは毒矢を吹くのが特技なのだな。」
事実を言ったまでなのに、身勝手にも大神官は私にささやかな嫌味を飛ばして来た。だがそれは無視し、大事な質問をする。
「ご存知の通り、明朝にはワイヤーを出ます。ご意向を教えて下さい。」
私はフェリシテを妻として、大神殿に同行させる。そなたの債務はこれをもって完済されたものと見なす。村へ帰るが良い。退職金として村への旅費も支給しよう。
そんなステキな返事を期待して、私の口元がニヤけていくのを自分で止められない。
「意向も何も、予定に変更は無い。明日帰る。」
あ?
「えっと、それはそうですけど。勿論、大神殿までフェリシテさんを連れて帰りますよね?」
業を煮やしてズバリ聞いた。だが大神官はその整った眉根を微かに寄せた。
「なぜ彼女を。そのつもりは無い。」
暫しの沈黙が廊下を支配した。私は果敢に食い下がった。
「で、でも。フェリシテさんをお気に召されましたよね。中庭で濃厚な時間を過ごされたんですよね。」
というか、フェリシテが欲しい、って私に言いましたよね!?ねえ!?
「その様に私を睨むで無い。あの娘は確かに愛らしく、めでるには丁度良いが、大神官の伴侶にはふさわしく無い。」
「そんなご無体な!どんだけ期待させたと…!ご主人様はどんな女性なら満足なんですか!条件全部クリアしてたじゃないですか。」
「そなた、そのご主人様とは何なのだ。さっきから。」
しまった、心の声が無意識に口から出ていたらしい。
だがショックのあまりそれどころじゃない。何なの、あんなに二人でイチャイチャしてたじゃない。やっとこの仕事が終わると期待しちゃったじゃん!村に帰れるとワクワクしてたのに。王都のお土産いっぱい買って……。
「こんなの、あんまりです。フェリシテさんや……私の気持ちを弄んで…。」
頭の中でぷつっと何かが切れた音がした。莫大な借金があるから文句一つ言わず、頑張ってきたのに。この人、全然本気で婚活してる様に見えないよ!
そう思うと泣けてきた。
「そなた……」
「貴方なんて一生結婚出来ませんよ!!もう知りません!」
私は溢れそうになる涙を大神官に見られまいと、踵を返してその場を離れた。
走って自分の部屋に戻り、枕を寝台に投げつけ、枕に顔を押し付けて泣いた。
帰りたい。帰りたい。もう帰りたい。
そう嗚咽しながら呟いていると、ふいに肩に手がかけられ、驚いて顔を上げた。
大神官が私の寝台脇に立っていた。
どうしてここに。何時の間に。……鍵…には彼には何の意味も無いのは承知していたけど。でも黙って入って来るのは反則でしょ。
「泣くな。……そなたそんなにもサレ村に帰りたいのか。」
大神官はまだ村の名を間違えている。大神官は寝台脇に膝をつくと、絹のハンカチを私に差し出した。私は受け取らずに袖でゴシゴシと涙を拭った。これ以上借りは作りたくない。
「いくら下僕でも、女性の部屋に勝手に入って来ないで下さい。」
「……女性、か。」
今気づいたみたいな言い方をしないで欲しい。私は大神官を睨みつけた。
彼はどこか遠い目をして呟いた。
「そなたはいつか、私を恨むであろうな。」
もう恨んでる。
そしてよりによって大神官の屋敷を破壊した自分自身をもっと恨んでる。
目の奥から溢れてきていた物が止まると、急速に頭が冷えてきた。私は冷静さを取り戻し、深く息を吐くと、大神官を見た。
「先ほどは礼を欠いた発言をしてしまい、すみません。以後気をつけます。」
アレンに期待し過ぎない様にと忠告されていたのに。
「休む間無くあちこちに行かせた事は反省している。ワイヤーから帰ったら、少し休むと良い。」
そう言うと大神官はゆっくりと立ち上がった。そのままじっと私の顔を覗き込んだ。
「そなたはやはり、私を恨むであろう。私はただ、それが今から恐ろしい。」
私が何と言って良いか分からず、大神官を見上げていると、彼はすまない、と小さな声で詫び、部屋を後にした。私は大神官が閉めていった扉を暫くぼんやりと眺めていた。
朝を迎え、期待に満ちた様子の神殿長と顔を合わせるのは思いの外辛かった。彼は私が誰も大神殿へ連れて行くつもりが無いと分かると、大層落ち込んでいた。私が期待をもたせる様な事を昨日言ってしまったから、心苦しさはひとしおだった。
大勢の神官や職員達が神殿の前庭まで私達を見送りに出てくる中、フェリシテの姿が無かった。私はパウラにフェリシテはどうしているのか尋ねた。
「彼女は自分が選ばれると信じていたみたいです。結果がなかなか受け入れられないのだと思います。落胆のショックで、祈りの間に籠ってしまいました。見送りに来れずすみません。」
いいえ、と私は頭を横に振った。まだ挫折を知らぬ年頃だ。しかも私も、彼女と同じく昨夜落ち込みまくったのだから。
パウラは少し微笑むと言った。
「大神官様の奥方が駄目でも、黄金の騎士様が自分を連れて行ってくれる、と考えていたみたいですよ。」
私は引きつった笑いを浮かべるしかなかった。両者は同一人物だったのだから。
「パウラさん。昨日とても楽しかったです。ご両親に宜しくお伝え下さい。………お仕事に育児に、大変だと思いますが、応援しています。」
「ありがとうございます。リサ様も、お幸せに。」
お幸せに。
私はその祈りに似た言葉を噛み締めながら、騎士と偽騎士の待つ馬車に乗り込んだ。
昨夜の事がまるで嘘の様に大神官は尊大に振舞っていた。彼は私が大神官の斜め向かいというベストポジションを獲得すると、何を思ったか、自分の正面に座るよう私に命じてきた。とりあえず昼食の休憩までの辛抱だ。昼まで爆睡するしか無い。
ところが、昼食後に馬車に乗り込んだ席も、大神官が座る場所を指定してきた。学校の席じゃあるまいし、なぜ自由に選べないんだ。再び大神官の正面席という最も不幸な席に座る事を強制された私は、午前中寝すぎた為にもう目をどれだけ閉じていても寝付けなかった。更に緊張を強いられる事に、いつ目を明けても大神官は真っ直ぐこちらを見ているのだ。
なぜ車窓を見ない。なぜ昼寝ぐらいしない。なぜずっとこの狭い車内で只管私をガン見しているのだ。
それに気づくと、もういても立ってもいられず、落ち着かなかった。おまけにたまにふとした拍子に目が合うと、大神官は妙に艶っぽく微笑を向けて来て私を困惑させた。何かの嫌がらせだろうか。正面に座る美貌のカリスマ大神官の視線から逃れられないというだけで、十分暴力を振るわれるに等しい痛手を受けるのに、更に妖艶に微笑まれるというのは、最早それは拷問に値する。
アレンの膝の上にでも座る方がまだマシだろう。
早く大神殿に着いて欲しい。
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