第18話 ワイヤーの夜

「私が間違っていたんです。私がこの子をここに置き去りにする事はきっとどんな目的があっても、それは正しくなんてないんです。子供には母親が必要ですもの。……今更辞退できますでしょうか。それを、お聞きしたくて……。」


 私は諸々の理由で、既にパウラを選ぶつもりはなかったし、肝心の大神官本人がフェリシテの方を気に入っていたみたいなので、辞退したいと言われて困る事は無かった。

 しかしパウラは大神官がまさか今回、騎士の一人として来ているとは夢にも思っていないのだから、私に辞退を宣言する必要があると思ったのだろう。


「わかりました。辞退となるとワイヤーの神殿の中で後々厄介な事になるかもしれませんから、単に私が選考から落とした事にします。」


「ありがとうございます!一度は推薦されながら、すみません。私が、余りにも浅はかでした。」


 パウラは何度も私に謝って来たので、逆にこちらが申し訳ない気分になった。


「いえ、私なんかに謝らないで下さい。」


 大神官の嫁選びの基準の方が余程浅はかだ。必死に子育てしているシングルマザーの方が数段尊敬に値する。子供はパウラの膝の上で、至極満足そうな笑顔を浮かべてテーブルの上に落ちた水滴を小さな指先でいじっていた。その満ち足りた表情を見ると私まで幸せになれた。

 ふいにパウラがポツリと言った。


「それにしても、噂に名高い大神殿騎士様達は本当にお綺麗な方々で驚きました…。」


「ああ、そうですねえ。見てくれだけは、良いですよね。見てくれは。確かに。」


「特にフェリシテったら、金色の瞳の騎士様を密かに『黄金の騎士様』と呼んでるんですよ。」


 私は吹き出してしまった。なんだその面白いあだ名は。大神官に教えてあげたい。どう反応するのか見ものだ。


「あの二人、なんかやたら良い雰囲気ですよね!?」


 私達は一瞬黙って見つめ合ってから、爆笑した。それに呼応して膝の上の子供までケタケタと笑い出したのが、更に笑を誘う。


「あの子、自分の立場を忘れちゃって、目の前の騎士様にすっかり夢中なんです。実はさっき、神殿長にそれを怒られたんですよ。リサ様も色々気を揉まれたのではありませんか?」


 私達は神殿に戻る間仲良く笑い、良く話した。大神殿で話相手がいなかった私は、久々の同世代の女性とのおしゃべりがとても楽しかった。私の中でカチカチに固まっていた何かが、気持ち良く溶解していくようだった。それは笑い声と一緒に吐き出され、後には純粋な爽快感だけが残った。


 神殿の広間に行くと、予想以上に沢山の人々がいて、賑やかだった。大きなテーブルに飲食物が並べられていて、まるでホテルのバイキングのようだった。私は目を輝かせて皿の上にこれでもかと料理を乗せ、ホクホク顏で空いている席に着いた。私が座るなり、アレンが真っ先に私に気づき、素早くこちらにやって来た。私の横に立った彼の瞳が一瞬私の皿の上に落とされ、微かに見開かれたが、直ぐにいつもの無愛想な表情に戻った。


「外出されていたそうですね。次回からは必ず私も同行しますから、私に黙って外へ行かないで下さい。よろしいですね?」


 彼は珍しく少し怒っているようだった。まさか私が他の人の分など考えずに料理を欲張った事を怒っているわけではあるまい。一応、彼なりに私を心配してくれたみたいだ。

 私は早口に詫びてから、アレンに小声で耳打ちした。


「アレンさん、大神官様とフェリシテさんって凄くお似合いだと思いません?」


 ウキウキと若干興奮気味に話す私を尻目に、アレンは怪訝な顔で言った。


「フェリシテ……。どの女性の事です?」


 私は絶句した。興味が無いにしてもほどがある。ここには候補が二人しかいないし、観光案内までしてくれたではないか。


「昼間ずっと一緒にいたじゃないですか!なんで覚えていないんです!」


「私には今リサ様しか見えていませんから。他の女性などどうでも良いのです。」


 ボンッと自分の顔が赤くなったのが分かった。なんて際どい言い回しをしてくれるんだ。誤解してしまうじゃないか。


「だ、大神官様の事も、見えてますよね…!?」


 するとアレンは首を動かして、少し離れた所で神官達と談笑している大神官を見やった。


「ああ…。そうですね。しかし、あの方はご自分でご自分の身を十分守れますからね。私など不要でしょう。」


 私は皿の上の肉を切る手を止めて、考えた。

 では、温泉公園で周囲を警戒していたのは大神官の為ではなく、私の為だったという事か…?

 ドキドキと急に胸が高まる。

 私は突然アレンを一人の男として意識し始めた。そう言えば、バケツ試練も代わってくれた。もしや、アレンは私をちょっと良い感じの女性として見てくれているのだろうか…?

 そんな、真っ直ぐに私を見つめないで欲しい。恥ずかしくなってくるではないか。

 いくら無愛想でも、元々ハリウッドスターや外国の男性モデルの様に、素晴らしく顔立ちは綺麗だし、均整の取れた鍛えたカッコ良いスタイルをしている彼が、見栄えする騎士の衣装に身を包み、私を守る、と言っているのだ。

 もう、女子として感無量だ。

 私もフェリシテを見習い、氷崖の騎士様!と甘い声で叫び、その広い胸に飛び込んでみたい。

 そんな妄想にひた走っていた矢先。


「リサ様に何かあったら、私がセルゲイ様に殺されるでしょうから。」


「………はい?」


「いえ、それ以上にリサ様に何かあって、悲しむセルゲイ様を私は見たくないのです。あの方はああ見えてとても繊細なところがおありですから。」


 私の妄想は瞬時に霧散し、厳しい現実が突きつけられた。どうやら私よりセルゲイの方が大事らしい。上官思いで大変結構だ。

 私は気恥ずかしさを誤魔化そうと、話を元に戻した。


「大神官様は、フェリシテさんを凄く気に入ったみたいでしたよ。もしかしたら、私達の旅もこれが最後になるかも知れませんよ!」


 そう考えるだけで嬉しくなる。しかしアレンは冷めた表情を変えず、呟く様に言った。


「あまり期待し過ぎない方がよろしいかと。期待が大きいと叶わなかった時に精神的にお辛くなりましょう。」


「でも、私には二人の視線の間に飛び交う甘ったるい何かが見えましたよ。」


 何かってなんだ。

 言ってから自分で自分に突っ込んだ。


「幻覚でもご覧になったのでしょう。賭けても良いですよ。大神官様は誰も連れ帰りませんよ。」


 いっそ、その賭けに乗りたいが、資金が乏しい。しかもあまりにアレンが自信満々に言うので、私は幾らか不安になって来た。

 大神官を見ると、彼は丁度一人になったところだった。私は大神官のところへ行くと、周囲に聞かれないように注意を払いながら尋ねた。


「大神官様。パウラさんが候補を辞退しました。」


「彼女が金色の髪ではなかったことだけが残念でならない。神は残酷だ。」


 私は貴方様が残念でならない。髪と神は意図して引っ掛けているのだろうか。畏怖のあまり確かめられない。


「フェリシテさんは、どうですか?……って、彼女こっち見てますよ!お二人で中庭でも散歩してきては?」


 私は見合いの席で出しゃばる仲人の様に、懸命に二人をくっ付けようと頑張った。


「フェリシテは実に愛らしい娘だ。あの様な娘も世の中にはいるのだな。」


 私は歓喜に震えた。


「そうですよね!!お二人、とてもお似合いですよ。お二人が話していると、そこだけ別の世界が出来上がるので、どこかに消えて欲しいくらいです!年が違い過ぎるのも全然気になりません。」


「そなたほど失礼だと怒る気にもならぬな。」


「私、フェリシテさんを呼んできましょうか?」


「……気が利くではないか。そなた本当にリサか。」


 そこへ一人の男性が話しかけてきた。

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