第16話 大神官は恋の予感…⁈

 ワイヤーはアリュース王国の中では有名な観光地であり、温泉が豊富に湧く街として広く知られていた。その為街中には観光客が多く、観光地独特の明るい賑やかさが街全体を包んでいた。

 街の真ん中にある神殿は高さはそれほどないものの、横に大きく敷地を贅沢に使った作りをしていた。

 異彩を放つ大神官と一緒のワイヤーまでの旅で、心身がすっかり疲弊していた私は、自分を叱咤激励して気力を総動員させ神殿の前に立った。私の頭の中でゴングが鳴らされた。大事なお仕事の始まりである。

 私達は神殿の人達に丁重に迎えられた。先頭に立って挨拶をしてくれたのは初老の神殿長で、彼は真っ先に私に自己紹介をした。


「高神官見習いのギュストです。大変お若い秘書様がいらして驚きました。私は以前王都の中央神殿にいたこともあるのですよ。」


 神殿長が高神官見習いであると聞いて私は驚いた。余程大きな街の神殿長であっても大抵は中神官止まりだからだ。彼は私との挨拶が済むと後ろにいた二人の騎士達を見て、僅かに首を傾けた。不思議そうに目を瞬いている。


「はて。どこかでお会いしたかな……」


 そう呟きながら神殿長は大神官を見ていた。

 マズい。

 中央神殿にいたことがあるならば、もしかしたら大神官の顔を知っているのかもしれない。そもそもこの大神官は自分の顔が異常に人目を引くという事実を軽んじている。騎士の制服を着ていれば変装が完璧だと思っているのか、他は何の工夫もしていなかった。せめて髪を染めるくらいできないのか。それともご自慢の金髪に手を加える気はさらさら無いのか。私は慌てて神殿長の視線を遮る様に動いた。


「早速ですけれど、候補の方々に会わせて頂けます!?」


 ワイヤーの神殿は口の字形をしていて中心には大きな中庭があった。全ての窓が大きく、あまり壁や扉等の仕切りが無い代わりに、白く繊細な装飾が施された柱が区画を分断していた。全体的にとても開放的な神殿だった。


 私達は広間の様な所で推薦を受けている女性二人を待った。彼女達の事前情報は既に暗記済みである。

 フェリシテとパウラ。

 フェリシテはリスト最年少の16歳。貴族階級出身である。

 パウラは23歳。なんとシングルマザーなのだという。実家はワイヤーで食堂を経営しているらしい。

 私は隣の席に座る大神官のすました横顔を見た。今回自ら足を運んだ限りは、彼女達の経歴か何かに関心があるからだろう。フェリシテの若さに惹かれたのか、それともパウラが経産婦である点に魅力を感じたのか。子供が出来る体だと保証されている事は、大神官の職務と年齢を考えれば大事なことだ。


 広間に二人の女性が入って来た。

 まず艶やかな緩いウェーブを描く茶髪の背の高い女性が口を開いた。


「お初にお目にかかります。パウラと申します。」


 黒々とした長い睫毛が自信に溢れた力強い瞳を縁取り、とりわけ目を引くのはその官能的な体型だった。ボンキュッポンをそのまま身体にした様ではないか。何の変哲も無い神官見習いの服が、物凄くセクシーに見えるから不思議だ。


「フェリシテですっ!お会い出来て嬉しいですっ。フェリって呼んで下さいね!」


 私はいろんな意味で衝撃を受けた。愛らしく小首を傾け上目遣いにこちらを見るその少女を見て率直に、若いな、と感じた。

 クルクルと巻かれた金の髪に大きな青い瞳。小さな赤い唇は瑞々しく頬は磁器のきめ細やかな白さで、まるで西洋人形だった。

 ピッチピチのキラキラである。

 私も年を取ったものだ。なぜか哀愁を感じて心の中で溜息をついた。若々しい弾ける様な少女は、年寄りの目には殺人的に眩しかった。


 全員が席に着くと私は彼女達に幾つかの質問をした。彼女達自身の事や家族構成など。

 リガルで行われた様な苛烈な蹴落とし合いはなく、和やかな会話が進んだ。パウラは魅惑的な笑みを浮かべて他の人々の話に丁寧に相槌を打ち、年齢よりも大人びた落ち着いた印象を与えた。

 フェリシテは目を輝かせて生き生きとした仕草で話に加わり、いちいち人の話す事に大仰にかつ素直に反応し、良くクルクルと表情が変わる子だった。どちらもとても感じの良い女性だった。

 ひとしきり会話が済むと、神殿長の提案で彼女達がワイヤーの中を案内してくれる事になった。この手の提案は賄賂に繋がりやすいので、私は毎回断り、仕事だけを早々と終わらせ大神殿に帰る事にしていたが、ワイヤーは名高い観光地であるし肝心の大神官が行きたそうにしていたので、お言葉に甘える事にした。


 神殿が六人乗りの馬車を用意してくれたので、私達五人はまずそれに乗車して温泉公園に行った。開けた広い土地に沢山の温泉が湧き出しており、あちこちに湯気を立てる小さな池が出来ていて、土地が虫食い状態になっていた。池の中心では地中から気泡が絶える事無く吐き出され、この世ならぬ一種不気味な光景を作り出していた。池は熱いのかと思いきや、手を突っ込んでみると池自体は意外にもぬるかった。

 それぞれの池には名前が付けられていて、フェリシテとパウラは歩きながら添乗員よろしくそれらの由来を説明してくれた。一番大きな池の周りにはひときわ大勢の観光客がいた。その前まで来るとフェリシテが凄く嬉しそうに話してくれた。


「この温泉はトレービの泉と言って、コインを後ろ向きに投げ入れると、いつかもう一度ここに来れるという伝説があるんですよ!」


 なんだかどこかで聞いた様な話だ。

 他の観光客達が一様にその池目掛けてコインを投げていた。覗き込むと池の底は金銀銅様々に光が乱反射していて、投げられたコインの一部が見えていた。折角フェリシテがはち切れんばかりの笑顔で説明してくれたのだ。ここはのっておこうじゃないか。私は財布から硬貨を一枚取り、池に背を向けてそれを投げ入れた。

 向き直ると、私の様子を大神官が何やらもの言いたげに見ていた。もしや大神官もやりたいのだろうか。この道中、大神官が財布を持っているのを私は見た事が無かった。普段買い物を自分ですることなど無いのだろう。

 私は気を利かせたつもりで財布から硬貨を更に一枚取り出し、それを大神官に差し出した。


「やりますか?どうぞ。」


「結構だ。私はここに二度来たいとは思っていないのだから。」


 そ、そうきたか………。

 誰もそんな伝説を本気で信じているわけでは無いのに。するとそれを聞き逃さなかったフェリシテがすかさず反応した。


「まあっ!そんな事仰らずに。ね?やりましょう騎士様。」


 鈴が鳴る様な軽やかな声音でそう言いながら、彼女は上半身を傾けて小首をかしげ、大神官をその純真そうな瞳で見上げた。

 かっ、可愛い……っ。

 女の私ですら鼻血が出そうだ。高校生なら一発で恋に落ちしまうに違いない。

 大神官は硬直していた。

 アレンは見ていなかった。彼はそもそもフェリシテの話すら聞いていなかった。流石に人混みの中にいるので、彼は終始隙無く周囲を警戒し、全神経をピリピリと緊張させているらしかった。大神官がいるからか、ようやく自分の存在理由を思い出してくれたらしい。ありがたい事だ。


「フェリ、騎士様が投げるとこも見たいなぁ…」


 そう付け加えながら彼女は、はにかむ様に微笑した。もう抱きしめてしまいたい愛らしさである。その辺を歩くだけで犯罪に合うんじゃないかと段々心配になってくる。

 大神官はフェリシテを見つめたまま手を私の方へ伸ばし、私の手から硬貨を強奪するとそれを池に投げ入れた。その瞬間フェリシテはこれ以上ないほどの笑顔を浮かべ喜んだ。


「これでみんな又ワイヤーに来れますね!」


 大神官は目を彼女に釘付けにしたまま無表情に頷いていた。来たいと思っているわけじゃないとか言っていたのは私の気のせいか。

 これに気を良くしたのか、フェリシテは大神官にすっかり懐き、公園を散策する間中大神官にまとわりついていた。仲人である私は二人の間を邪魔しないように、少し距離を置いて彼等を見守った。

 天真爛漫なフェリシテは案外大神官と馬が合うのかも知れない、私はそんな事を考えながら二人を見ていた。


 馬車の中でも大神官とフェリシテは二人の世界を作り上げていた。二人は最早お互いの姿しか目に映らない、といった様子で移動の間中見つめ合っていた。私はパウラと話をするうちに、落ち着きのあるパウラの方に好意を感じる様になったのだが、大神官本人がフェリシテを気に入ったのであれば仕方が無い。

 いや、仕方が無いどころではないかもしれない。二人の様子を見ていると、もしかすると大神官はかなりフェリシテに惹かれているのかも知れない…とすら思えてきた。

 そう、…そうなれば、私の仕事が終わる日も近いのかも知れない…!

 となれば、私はじきに晴れてサル村に帰れるかもしれない、ということだ。一気に懐かしい人々の顔が脳裏に蘇る。村長に奥さん、クリス兄さん…。期待に胸が膨らむ。

 楽しくて仕方が無い、といった風情で一生懸命話しているフェリシテに、大神官は私が見た事も無い優しく甘美な表情を浮かべて相槌を打っていた。年齢差が気にならないわけではないがーーー現代日本人の感覚からすれば、大神官が犯罪者に見えなくも無いけれどーーー、二人が並ぶ絵図は目の保養になる。この仕事はもっと長期戦になると危惧していたが、杞憂であったらしい。いい感じだ。この地まで精力を奪われながらも大神官を連れて来た甲斐があった。私は仄かな達成感すら感じていた。

 私はワイヤーが最後の訪問地となる事を祈った。





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