第15話 下僕、危機一髪

 散歩?

 外はもう暗いというのに、酔狂が過ぎないだろうか。


「日頃私は神殿に籠ってばかりいるのだ。この様な機会は有効に活用せねばなるまい。そなたも一人で退屈であろう。」


 私は一人の時間を満喫していた。寧ろカリスマ大神官と二人になる方が疲れるから嫌なのだが……。


「……大神官様。夜出歩くのは安全面からお勧めできません。」


「出過ぎるでない。そなたは私に意見する立場には無い。供をせよ、と言われればただ従えば良い。それに私には神力の加護がある故、何者も恐れはしない。」


 ついうっかり自分が下僕である事を私は失念していた。

 アレンは呼ばないのか、と聞きたい気持ちをぐっと堪えて従順に大神官の直ぐ後ろをついて行った。


 王都と違い、思った通り外は街灯が少なく、暗闇に沈む静かな街は不気味ですらあった。ごくたまに、酒を提供する店だけが通りに明かりを提供していた。この世界に来て六年になるが、こういう時に元居た世界の有難さを感じる。

 私一人なら一歩も出る気にはならなかっただろう。

 私達は殆ど何も話さずにただ只管歩いた。夜の街並みに二人の足音だけが響く。どれくらい歩いただろうか。

 気がつくと私達はこの街の神殿の前に来ていた。

 街の規模と比例して、あまり大きくないその白い建物は夜の闇に浮かび上がり、小さな前庭を持っていた。大神官は前庭に設置された水盤まで進むとそこから水を両手で掬い取り、手を清めた。そのままゆっくりと背筋を伸ばして夜空を仰ぎ、長く静かな息を吐いた。


「これで生きかえった。何処の神殿であろうと神殿の気は私の精神を落ち着かせる。」


 まさかこの為にわざわざ夜中に外に出たのだろうか。

 最早凡人には理解し難い。試しに私も水盤に手を突っ込み、手を洗ってみたが、冷たい以外の感想を抱けなかった。しかも手を拭く物を何も持っていない事に後から気づいた。女として如何なものか。大神官は絹製と思しきハンカチで濡れた手を上品に拭いていた。物欲しそうな視線を送ってしまってはまずいので、努めて見ない様にした。

 これで大神官の目的は達成されたのか、彼は満足そうに神殿の敷地を離れ、元来た道を引き返し始めた。


 帰り道、私は仕事の一環のつもりで聞いてみた。


「歴代の大神官様は、候補の方々を大神殿に集めてからどのくらいの期間で奥様とする方を決められていたのですか?」


「私の父は一日で決めた。ただ神力だけを基準に選び母を娶ったのだ。しかも王都まで自費で出て来れる女達だけが集まった結果、裕福な家の娘だけにその機会が与えられた。」


「一日ですか。それは短いですね。」


 大神官の容貌を考慮すると、彼の父が神力だけで妻を選んだというのは微妙に説得力を欠いたが、それは私の心の中にしまっておく事にした。

 ややあって、大神官は抑揚の無い声で続けた。


「だが……神力のみで結ばれた両親に愛情など芽生える筈も無く、母は私を生むと逃げる様に実家に帰った。この様な妻選びの方法は正しいとは思えぬ。そなたの言う通りもっと会ってから時間をかけるべきなのだ。」


 私は黙って話を聞いた。

 自分の両親の結婚生活の失敗を見て来たから、大神官は従来のやり方を変えたのだろうか。


「私の方から足を運べば、裕福で無い女性にもチャンスが巡ってきますもんね。」


「その通りだ。上流階級の女は忍耐に欠く。いっそ貧乏で帰る家も無いほどの出自の女の方が相応しいとすら思う事もある。その方が容易に大神殿に縛り付けておける。」


 淡々と結婚観を語る大神官のその最後の一言に、突如強烈な束縛と独占欲を見出し、私はうっすら身が引き締まる恐怖を覚えた。


 その時。

 前方にパラパラと人影が出てきた。半ば本能的に危険を察知した私はその場に立ち止まった。

 15メートルほど先に現れた彼等はどう見ても所謂チンピラといった風情だった。それぞれ下卑た笑みを浮かべながら手には武器らしき物を持ち、からかう様に、或いは挑む様にこちらを視線に捉えたままゆっくり近づいて来た。素早く目で数えると全員で九人いた。

 言わんこっちゃない………!

 私は歩調を緩めず歩き続ける大神官に小声で囁いた。


「大神官様、後ろへ逃げましょう!あいつら物盗りの連中かも知れません。」


「あの様な輩、恐れるに足りぬ。私の敵では無い。」


 そんな映画の台詞みたいな事言ってる場合じゃないでしょ!

 私は一人で逃げようか迷った。だがあっという間に距離は詰められ、私達は建物を背に取り囲まれる形になった。

 ヤバい。

 彼等は剣や棍棒、槍といった武器を手にしているのに、こちらは手ぶら同然だ。先頭にいたガタイの良い男が両眉を釣り上げて言った。


「よぉ〜。随分綺麗な顔した兄ちゃんじゃねえか。」


 全員の目が大神官に注がれていた。その後、チラリと私を一瞥すると彼は片方の口角を上げてニタニタと笑いながら言った。


「これ又つり合わねぇ二人だなぁ。そっちの女は俺らが可愛がってやるよ!」


「妙な誤解をするで無い。私に失礼だ。」


 淀みなく口を開く大神官に、彼等は瞬時に不機嫌そうになった。私の身に危機が迫りそうだったが、そこは大神官にとっては反論する価値が無かったらしい。


「ああん?生意気言ってっと痛い目にあわすぞぉ!とりあえず金出しな!」


「そなた達、私の進路を塞ぐな。道を開けよ。」


「てめえボコボコにされてぇか⁈」


「下手に出りゃイイ気になりやがって!」


 更に詰め寄って来る彼等に私は一層の恐怖を覚え、それ以上後ずさりが出来ない所までぶつかると身を硬くした。


「女はこっちに来な!」


「やめて!離して!」


 男達の手が私に向かって伸ばされ、私は腕を掴まれると数人がかりで引き摺られる形で通りの真ん中に連れて行かれ、そのまま肩に猛烈な力をかけられて地面に押し倒された。

 私は全力で抵抗しようと叫びながら暴れたが、男達の力に叶う筈も無く、凶暴な光を目に浮かべた男が私の上に馬乗りになった。そのまま男の手が私の腰帯にかかる。全身に悪寒が走る。


「何すんのよっ!離せっ…」


 がむしゃらに手足を動かしていると視界の端に大神官が見えた。こちらへ優雅な足取りでやって来ている。何の感情も伺えない金茶の瞳のまま大神官はその酷薄そうな薄い唇を開いた。


「私の持ち物に勝手に触れるでない。」


 まさかと思うが持ち物とは私の事だろうか。それは下僕よりランクは上なのか下なのか。いまだ傲然と私を見下ろすだけの大神官に苛立ち、私は怒鳴った。


「見てないで助けて下さいっ!!」


 横目に大神官が右手を構えたのをとらえたと思った直後、そこから鋭い閃光が走り私の周りにいた男達の体が木の葉の様に吹っ飛んだ。彼等は声を発する間も無く周囲の家屋の屋根の高さまで宙に浮き、そのまま鈍い音を立てて地面に落下した。


「な、なんだ、今のっ!?お前、何をしたっ!」


 難を逃れた数人の男達が先ほどの自信が嘘の様に怯えた様子でジリジリと後退した。大神官が彼等に向けて再び手を上げかけると彼等は間抜けな叫びを上げながら脱兎のごとく逃げていった。

 助かった……。

 私は服についた砂埃を震える手で払いながら身を起こした。大神官はそんな私を咎める様に見ていた。


「あれしきの輩をなぜ追い払えぬ。そなたの神力は何の為に有るのだ。」


「ええっ、だって……私の破壊的な神力は大神官様が封じているんじゃなかったんですか?」


「風圧くらいは出せるであろう。みなまで封じているわけでは無いのだから。」


「出せませんよ!私は神力の出し方が分からないんですから!」


 そもそもだからって、人の危機を眺めているだけだなんて。大神官に正義感は無いのか。

 すると大神官は私の前に来ると私の右手首を取り、前方に突き出させた。


「手の平に風を感じるであろう。肩から力を噴出させる感覚で、手の平全体の空気を強く押し出す事を意識してみよ。強く、短く。」


 私は言われた通りにやってみた。

 突然大神官が後方に飛んで行った。

 緩やかな放物線を描いて大神官の身体は五メートルほど先に投げられた人形の様に落ちて数回転がった。

 大神官の行動がいつも以上に理解し難い。なぜ急に飛び退いたのか。

 訝しく思いながら近づくと、唸りながら地面から起き上がる大神官に目線だけで殺されそうな物凄い形相で睨まれた。

 まさか……?

 これやったの私?


「油断した。そなたの正面になど立つのではなかった。」


「あの…。今もしや私が大神官様を…?」


「リサ、そなた何と恐ろしい……。」


 私も自分が怖いが、産声でクレーターを開ける人間には言われたくないものだ。

 大神官は乱れた衣服を軽く整えると溜息混じりに戻るぞ、と言って歩き始めた。

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