第14話 招かざる同行者

 その日は朝から散々だった。

 食堂でスープをこぼすわ、髪留めは割れるわ、廊下の段差に蹴つまづいて顔面を強打して鼻血を出すわ。


 今回の仕事は今まで以上に力を尽くさなければならないのに、既に疲労困憊した気分で私は神殿前に準備された馬車に向かった。

 相変わらず馬車に寄りかかる様にしてアレンが私を迎えてくれた。


「おはようございます。今回は私とアレンさんだけらしいですね。」


 そう言いながら馬車に乗り込もうと私は扉を開けーーー凍りついた。

 バン‼

 と扉を再び閉めると、馬車から飛び退いた。


「アアアアレンさん、な、な、中にとんでもない方が乗車されてるんですけど!」


 アレンは大きな溜息をついてから言った。


「セルゲイ様の代わりに、我々とワイヤーへ行かれるそうですよ。」


 あまりの事態に二の句が告げない。

 馬車の中には大神殿騎士の制服に身を包んだ大神官が座っていた。

 なぜ自ら行くんだ。

 大神官は暇なのか。

 それともワイヤーには余程目星を付けている女がいるのか。

 現実を認めたく無い私が馬車の周りを無意味に彷徨いていると、アレンが先に乗り込んだ。見上げれば御者も私を急かす様にこちらを見ていた。


「リサ様、諦めて御乗車下さい。」


 アレンが呆れた口調で扉を中から押さえていた。

 しまった。

 アレンは早い者勝ちと言わんばかりに、既に狭い四人乗りの馬車の特等席に座っていた。すなわち、大神官の斜め向かいに。そこは大神官から一番遠いという地の利を持つ席だった。

 私は究極の選択を迫られた。

 大神官の隣か、向かいか。

 扉の前に立ち、私はスーパーコンピュータばりの速さで計算した。隣は危ない。馬車の揺れで体が接触する可能性がある。かと言ってカリスマ大神官の正面に座れば、目のやり場に困る。道中ずっと目を閉じているわけにはいかない。何より、あの無駄に神々しいオーラを全身に浴びる羽目になり、数分で根こそぎエネルギーを吸い取られそうだ。

 決めた。

 隣しか無い。

 私はずる賢い選択をしたアレンを睨みつけながら渋々大神官の隣に腰を下ろした。今度アレンにはレディ・ファーストという言葉を教えなければならない。


 馬車が動き出す前に私ははっと気づいた。


「大神官様、貴方様が行かれるなら、私は行く必要が無いのではありませんか?今回はアレンさんとお二人で行かれたらどうでしょう?」


 私は自分の素晴らしい考えに狂喜乱舞しそうになった。


「先方には秘書が行くと伝えてある。ついでに言えば候補者がいる全神殿に一昨日、大神殿から通達が出された。どの神殿も大神官付秘書をいつでも手厚くもてなせる準備を整えておくようにと。公平性を保つ為に選考者は変えられぬ。……それにそなたが行かねば誰が私の世話をするのだ。」


 それはつまり、道中私に大神官の世話をしろという事か?

 私は動き出した馬車から猛烈に降りたくなった。扉に視線を走らせた私の意図を読んだのか、アレンが目にも留まらぬ速さで扉の前に腕を出し、進路を妨害した。


 ずっと黙っているのもそれはそれで辛いので、私は気になっていた事を聞いてみた。


「大神官様、イライザとキャロンヌはどうしたのですか?」


 大神官は私の方を振り向き、無駄に妖艶な笑みを浮かべて答えた。うわっ、近いんだよ、こっち見ないで……!


「彼女達は昨日心行くまで堪能した。特にキャロンヌは最終選考に残そうと思っている。」


 た、堪能…。

 具体的に何をどう堪能したのか気になって仕方ないが、怖過ぎて聞けない。

 とりあえず、大神官はシュゼの容姿にキャロンヌの様なナイスバディがお好みだという事だけは心に刻んでおきたい。


 それにしても騎士の衣装が全く似合っていない。

 流石に長い黄金の髪は後ろで束ねられてはいたが、折角の騎士の制服がまるでコスプレの様にしか見えなかった。こうなるとアレンとセルゲイが、いかに上手に着こなしていたかが良く分かった。





 どうやら緊張のあまり、私はうたた寝していたらしい。

 斜めに倒れた身体をおこそうとして、右肩にのしかかる不自然な重みに気づき、急速に目が覚めた。

 大神官が私に寄りかかって寝ていた。

 嘘でしょ。やめてやめて!

 イタ過ぎるからこの状況。

 男性の身体の重みで私の腰は悲鳴を上げ始めていた。がしかし、振り払ったりしたら殺されそうだ。起こさない様にゆっくり押し返すしか無い。

 私は腰を庇いながらも慎重に大神官を逆側に押し返していった。どうにか大神官をよける事に成功すると私は二度とこの事態が起こらぬ様に、彼の正面の席に移った。


 昼食の休憩の為に私達は途中の街に降り立った。

 アレンと私がどの高級料理店に入るべきか話し合い、この街の目抜き通りに向かおうとすると、大神官は広場にひしめく屋台を見つめたまま微動だにしなかった。嫌な予感がした。


「リサ、私は屋台の食べ物を食してみたい。」


 予感は的中した。

 大神官は此処ぞとばかりに市井の生活を体験したい、と考えているらしい。だがいくら大神官には斬新な食べ物に見えても、至高の存在に屋台なんかで昼飯を食べさせるわけにはいかない。

 私とアレンは一瞬視線を絡ませ、互いに困惑した表情を見せた。私はこの時初めてアレンと心が通じあった気がした。


「大神官様、屋台で売るのは庶民の食べ物ですよ。きっとお口に合いません。ちゃんとしたお店に入りましょう。」


「リサ、私の白い屋敷が突然消えたのだが何が起きたのであろうな。」


「た、只今買って参ります…!」


 私は弾かれた様に屋台へすっ飛んで行った。天下に名高い大神官様は流石に人を動かす手管に長けていた。

 大神官は私が破壊した屋敷をネタにきっと今後もあれこれ脅迫してくるつもりだろう。


 幾つかの屋台を大急ぎでまわり、ホットドッグやフライドポテトに似た食べ物を三人分両手に抱えて大神官のもとに戻ると、アレンが私のポケットに料金をねじ込んできた。大貴族の息子なだけあって、実費よりかなり多かったが、そこは気づかなかったフリをして有難く頂戴する事にした。


 フライドポテトを食べる大神官を物珍しく私が眺めていると、次なる指令が飛んで来た。


「喉が渇ぬか。」


 私はホットドッグをかじりながら再び屋台に向かい、超特急でビン詰めの水を買いに行った。


 軽食が済み馬車に戻ると、私とアレンは壮絶な席取り合戦を繰り広げた。死に物狂いでアレンを押し退けた私に軍配が上がり、私は無事大神官の斜め向かいを勝ち取る事ができた。




 持ち込んだ本を読み終える頃、車内には窓の外から橙色の陽が斜めにさし、夕暮れ時を告げていた。ポツポツと家が窓の外に見え始め、やがて舗装された道に馬車が乗り上げ、硬い振動がお尻に伝わり、街に入った。ワイヤーまではまだ距離があり、この街で今夜は一泊しなければならない。

 幸いアレンはこの街に来た事があり、迷う事無く高級そうな宿に向かう事ができた。

 私達は三部屋隣どうしの部屋をとると宿の中で食事を済ませて早々に部屋に散った。アレンは大神官が部屋に入る前に、一人では決して外出しないよう何度も念を押すのを忘れなかった。


 部屋に入ってほんのニ、三分が経過した頃だろう。

 私の部屋の扉が突然開けられた。驚いて私は短く叫んだ。

 施錠した筈なのにどうして、と驚愕で頭がいっぱいになった。

 扉の前には大神官がいた。……なるほど、彼に鍵など無用か。産声でクレーターを作れるくらいなのだから、部屋の鍵を開ける事など朝飯前なのだろう。

 しかしノックという手段は思いつかなかったのか。残念でならない。いずれにしても私に何の用か。私は部屋の入り口に立つ大神官を問うような目付きで見上げた。


「街中を散歩したい。供をいたせ。」

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