第13話 危険な体験

 入るなり大神官が右手を掲げたのが視界に飛び込み、デコピン神力を予想した私は思わず反射的に自分の額を庇って右手で押さえてしまった。だがそんな必要は無かった。

 大神官は私の左耳を鷲掴みにすると乱雑に引き寄せた。


「そなたの目はやはり節穴か。」


 聞き覚えのある台詞が私の右耳から入り脳を直撃した。


「申し訳ありません。ちゃんと確かめずにシュゼを…」


「あの様な麗しい女を見せつけられて、ぬか喜びしたではないか。神力が無いなど話にならぬ。それに私は無作法な人間も嫌いだ。」


 私は目を見開いた。大神官にとってシュゼの容姿はストライクゾーンど真ん中だったらしい。今後の参考にしたいが私自身が今日を限りに任を解かれる可能性も高い。

 ふいに大神官が眉根を寄せ、剣呑な目つきで私を覗き込んだ。


「そなたもしや、条件に満たぬ女を敢えて連れて来て、自分が候補に残ろうとしているのではあるまいな。だとすればそなたが候補の一人だと教えたのは私の失策であったか。」


 私は大神官が直ぐには何を言っているのか理解できなかった。理解すると、必死に誤解を解こうとまくし立てた。この大神官はどうしてそんな風に考えたんだ。


「私は真剣に仕事に取り組んでいるつもりです!……天と地がひっくりかえっても大神官様の奥様に自分がなりたいなんて思いませんから!!貴方様と結婚するくらいなら舌噛み切って死んでも良いです!」


「何と申した!?」


 何故か火に油を注いだらしい。大神官は私の耳を掴む手に一層の力を込めた。


「いたたたたっ!!」


 耳、耳が千切れるって…!

 私は遂に大神官の手をどけようと、その右手を引き剥がし始めた。すると大神官は左手で私の顎を掴んだ。


「下僕の分際で身の程知らずな事を言うで無い。そなたと結婚せねばならぬくらいなら私もそなたの舌を切らせようぞ。」


 自分の身を切ると言わないあたりが天下の大神官らしい。さすが至高の存在は発想が違う。だがその台詞に私は心底安堵した。


「そうですよね。良かった…」


「何が良いのだ!愚か者!」


 自分で言っておいてなぜそこでキレるんだ。大神官は私の顎を持ち上げ顔を上向かせた。至近距離で美形に凄まれると背筋に戦慄が走る。


「と、とにかくきちんと調べずシュゼを連れて来てしまいまして、申し訳ありませんでした。二度としません。」


 だからどうか許して欲しい。


「あと一人でも条件を満たさぬ女を連れて来てみよ。そなたの首をはねてみせよう。」


 大神官様は私の舌ばかりか首まではねたいらしい。三度めの失敗は許されないらしいが、どうやら首の皮一枚で助かったらしい。

 私はやっと顎を解放されると、逃げる様に謁見の間へ戻った。まだ他の神官達が残っていたが、私と目が合うとそそくさと逸らされた。相変わらず避けられている様だが、日増しに避けられ方が露骨になってきているのは気のせいか。


 長時間馬車に揺られて、精神的にも肉体的にも疲労を感じていた私は自室に戻ると寝台に倒れ込み、気づかない内に眠ってしまっていた。

 目が覚めると既に夕飯の時刻になっており、私は慌てて食堂へ向かった。その途中、レストラ高神官が私を呼び止めた。彼は一枚の地図を私に手渡しながら言った。


「次は大神官様たってのご希望で、ワイヤーに行って欲しい。お前がリガルに行っている間に先方には書簡を送ってあるのだ。明朝馬車が出るから今夜中に支度しておきなさい。」


 地図を見ると王都から北西にあるワイヤーという街に、赤い印が付けられていた。どうやら毎回行き先を私が決められるわけでは無いらしい。距離を考えれば途中で一泊する必要がありそうだ。今日こちらに戻ったのに明日の朝出発とは、随分しんどそうな話だ。だが次回は死ぬ気で取り組まねばならない。

 レストラ高神官はふと心配そうな顔つきになった。


「リガルでは神力審査石板がどうやらアダになったようだな。」


「はい。無理言ってお借りしたのにすみませんでした。……やっぱりお返しします。」







 ワイヤーについてあれこれ調べていたら、すっかり遅くなってしまった。荷作りを済ませて寝巻きに着替え、アンチエイジングの為に顔面マッサージをしていると部屋の窓が外から叩かれる音がした。

 手を止めて暫し窓の方を振り返る。

 風か鳥だろうか。

 気を取り直し再びマッサージに専念し始めると、今度は強くはっきりと窓が叩かれる音がした。

 何?

 ビクビクしながらカーテンをそろりと開けると、ベランダにセルゲイがおり、私に笑顔で手を振っていて私は腰を抜かしそうになった。私は窓越しに声を上げた。


「何してるんですか!?ここ三階ですよ!?」


「そうだな。見晴らしが良いだろう。昼間なら。」


 そういう事を言ってるんじゃない。視線を落とすと彼は縄梯子を抱えていた。それで登って来たのか…。ここの警備はどうなっている。いや、彼こそが警備する側なのだから不毛な質問か。

 セルゲイは窓のロックを外から軽く叩き、辺りを見渡した。


「不審者に間違われないうちに開けてくれ。」


 立派な不審者が何を言う。無視してカーテンを閉めようかとも思ったが、彼は開けないといつまでも居座りそうな気がした。

 仕方なくロックを解除すると、セルゲイは待ってましたとばかりに部屋に入って来た。


「リサに土産を持ってきたんだ。結構これを取り寄せるのは骨折りだったぞ。」


 そう言うとセルゲイは私に布袋をくれた。やや重みのあるその中からは、葉にくるまれた柔らかい物体が出てきた。慎重に葉を剥がすと、私はあっ、と声を上げた。


「おにぎり!?」


 葉に包まれていたのは、白くツヤツヤと輝くお米で出来た日本人の心の軽食・おにぎりだった。私はこの世界に来て、米を見た事が無かった。

 感激と懐かしさのあまり、涙がせり上がりそうになる。


「これ、どうしたんですか?」


「昔第五界から来た男の子孫が東方地域に住んでいるんだ。その子孫がそれを趣味で栽培している。リサと見た目が似ているから、取り寄せてみた。」


「ありがとうございます!これ、食べたくて仕方なかったんです。」


「そうか。苦労した甲斐があったよ。」


 セルゲイは喜ぶ私を見て心底嬉しそうに目を細めた。

 食べるのが勿体無い。私はおにぎりの香りを肺いっぱいに堪能しようと吸い込んだ。


「傷まないうちに食べてくれ。気に入ったのなら、又持って来る。」


 折角のおにぎりが硬くなってしまっては台無しだ。私は六年振りのお米にかぶりついた。塩加減も絶妙だった。そんな私を見つめながらセルゲイは寝台に勝手に腰掛けると、言った。


「リサはどんな男が好みだ?」


 突然の質問に私は喉を詰まらせてむせた。すかさずセルゲイがベルトにかけていた水筒を外して私に差し出した。実に気が利く男だ。遠慮なくいただくと、又しても懐かしい味に私は目を見開いた。それは緑茶と烏龍茶を混ぜた様な味だった。


「それも第五界の飲み物だそうだ。……それでどんな男なら好きだ?」


 貢物に気を良くした私は答えた。


「そうですね。優しくて、面白くて、価値観が合う格好良い人が好きです。」


「まるで俺の事じゃないか。」


「ちなみに金髪碧眼の凹凸ある肉体の美女が好きな男は大っ嫌いです。」


「そ、そうか。」


 私はセルゲイに水筒を返せと言われる前にゴクゴクと茶を飲み干した。するとセルゲイが私の目の奥を覗き込む様な意味深な眼差しを私に向けた。


「そんなに無防備に飲んで良いのか?何か良からぬ薬が混ざっているかも知れないぞ。」


 えっ…。

 私は思わず喉を押さえた。いつもは豪胆であたたかい瞳が、一瞬冷徹な知らない人のそれに見えた。


「即効性の惚れ薬を入れたんだ。」


「なんだ、冗談ですか。おどかさないで下さいよ。」


 指に付いた米粒すら勿体無く思え、私は一粒も残さず食べ終わると、水筒を返した。続けてそろそろお引き取り願おうと口を開いた。


「明日も早いのでもう寝ましょうよ。」


「そうだな。添い寝をしてやろう。」


 馬っ鹿じゃないの、と怒鳴りたい衝動をどうにか堪えた。からかわれているのだから、ここは見くびられぬ様にオトナな切り返しをしなくては。


「子供じゃないので添い寝は結構です。」


「大人の添い寝をしたくはないか?」


「したくありません!」


 しまった、ムキになってしまったではないか。セルゲイは愉快そうに笑うと寝台から立ち上がった。そのまま私の方に首を傾けて熱っぽい視線で私を見た。


「そう怒るな。出て行くから、お休みのキスをくれないか。」


 誰がキスなんてするか、と顔を背けようとした矢先、セルゲイの長い腕が私に伸ばされ、両肩を押さえると彼の顔が素早く近づいて来た。


「…んっ…!」


 ぎゃーーっ!?

 何て男だ!!

 私の唇に柔らかな感触が押し付けられた。抵抗する間も無く私は唇を奪われ、怒った私が腕を振り回すとセルゲイは逃げる様に窓の外へ出て行った。


 信じられない……。

 キスされたーーー!

 私は怒りからか恥ずかしさからか、どちらとも分からず火照る顔を手の平で押さえた。

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