第12話 恐怖の謁見

「シュゼさん、大丈夫ですか?お顔が真っ青ですよ。」


 馬車が再び動き始めると、シュゼは俯いてしまった。

 いくら大神官に会うから緊張しているとしても、彼女の怯え様は尋常で無い。もしや彼女には既に将来を誓い合った恋人がいるのでは……。こんなに美人なのだから、交際している男性がいてもおかしくない。というよりいない方が不自然なくらいだ。

 そう思うとどんどんその可能性が頭の中で膨らんできた。あの野心的な神殿長に言い含められて、恋人がいるのに強引に推薦されたのではないだろうか。


「何か事情があるなら話して下さい。私はあなたの味方ですから、怖がらずに。」


 するとシュゼはわなわなと唇を震わせ始めた。


「……わたくし、どうしましょう。実は、今まで隠していたのですけれど、わ、わたくしには…」


 やはり、恋人が…!?

 私は身を乗り出した。


「わたくしには、神力など無いのです!!」


 ええええええ~っっ!?


「何ですって、もう一度…」


「わたくしの父はリガルの神殿長なのです。父のコネで神官になる事が出来ただけの、何の力も無い女です。」


 嘘だ、嘘であってくれ、と頭の中の私が絶叫していた。

 さっきまで世話になっていた神殿長が父親?ーーーそう言えば彼はやたらにシュゼを褒めていた。

 いやいや、待てよ。


「そんな、だって……でも石板が輝いたじゃないですか。」


 シュゼは両手で顔を覆って首を振った。

 泣かないで……こちらこそ泣きたい。


「あれは父が神力を使って光らせたのです。わたくしを大神官様の妻にするのは、父の長年の夢だったのです。」


 そんなあ、と私は喘いだ。

 今更ながら神力審査石板を持参した事を呪った。神殿長の証言と石板の光で満足せず、ちゃんと自分の目で確認すれば良かったのだ。脱力した声で私は尋ねた。いつまで嘘を突き通す気だったのか、と。


「父はわたくしの美貌があれば大神官様の御心を動かせると申しておりました。」


 ちょっと、それは自身過剰じゃないか?

 美人なのは認めるけれど、大神官だって流石に顔だけで選ぶ訳じゃない………はずだ。

 シュゼは青ざめた顔を手から上げて私を縋る様に見た。


「どうしたら良いでしょう。わたくし、大神官様にお会いするのがとても怖い…。けれど、お会いしないと、父に叱られてしまいます!」


 そんな事を言われても、神力の無い女性を連れて来たと気づかれれば、私が大神官に叱られる。私は猛烈に困った。

 今すぐ馬車を降りて欲しいくらいだ。


「目立たぬ様ひっそりとしていますから、どうか大神官様と会わせて下さい。でないと父に勘当されてしまいます。」


 シュゼは涙をその澄み切った海の瞳からポロポロと流しながら懇願してきた。キッパリ拒否すべきだ。そう頭の中では分かっている。でもこの年になるとあけすけに人に泣かれる機会などほぼ無いので、私もすっかり動揺し、迷ってしまった。

 そもそも怒らなければ神力は具現化しないのだから、大神官にだってシュゼが目の前にいたとしても、彼女の神力の有無はわからないはずだ。会わせるだけなら何とかなるだろうか……?

 いや、いけない。

 頭の隅で私を諌める声がした。

 でも、ここまで連れてきてしまったし、顔を見せるだけなら…。


 泣き咽ぶシュゼを前にして、暫し葛藤した後に私は安易な譲歩を選択した。


「分かりました。神力が無い事は黙っていて下さいね。今回限りですよ?」


 シュゼが大人しくしてくれていれば、イライザとキャロンヌが皆の視線を集めてくれるに違いない。シュゼはパッと顔を輝かせ、私の両手を握ると何度もお礼を言ってきた。








 大神殿に着くとイライザ達は化粧室へ直行し、長い事出て来なかった。どうやら化粧直しに余念が無いようだ。前回と同様に、謁見の間の準備が整うまで、私はシュゼの事が気掛かり過ぎて溜息ばかりついていた。溜息一つにつき幸せも一つ逃げて行く、と聞いた事があるが、恐らく今日の分の私の幸せはもう残りが底をついていた。


 髪を結い直し、化粧品の香りを辺りに撒き散らすほど顔を作り込んできた彼女達を先導し、私は謁見の間に入った。

 視線を奥にやると、既に大神官が長い足を組んで席に着いている事に気が付いた。所定の位置まで進むとイライザ達は膝をつき、軽く頭を下げた。私は軽く咳払いをしてから奏上した。


「リガルの神殿から連れて参りました。イライザ、キャロンヌ、シュゼです。是非お見知りおきを。」


 すると大神官は柔和に笑った。


「皆、顔を上げよ。………まるで美の女神達が大神殿に降臨したようではないか。」


 ご満悦そうに極上の笑みを浮かべる大神官を見て私は心から安堵した。イライザ達は目から星を飛ばしながら恍惚とした表情で大神官を見上げていた。

 その時。

 シュゼが突然大神官の足元に身を投げ出す様に進み出て、直訴した。


「大神官様!!どうかわたくしをお召し下さいませ。ずっとお慕い申し上げていました!」


 一瞬何が起こっているのか展開に着いていけず、静まり返った謁見の間で私は息をするのを忘れて固まった。シュゼは更に言い募った。


「わたくしは神力には全く恵まれておりませんが、大神官様をお慕いする気持ちは誰にも負けません!」


 信じ難いその裏切りに、私は暫時目の前が暗くなりよろめきそうになった。シュゼを見つめる大神官の金茶の双眸がすがめられ、私は弾かれた様にシュゼに駆け寄り、大神官の右手を両手で取ろうとしていた彼女の手を奪い、抱え込んで後ろへ下がらせた。

 居合わせた神官達の驚愕と怒りが渾然一体となった痛いほどの視線と、呆気に取られて見開かれたイライザとキャロンヌの視線を一身に浴びながら、私はいまだ大神官に近寄ろうと私を振り払うシュゼを懸命に押し留めた。

 表情がかき消えた冷ややかな大神官の眼差しとぶつかり、緊張と恐怖から私は自分の臓腑がせり上がるのを感じ急激な吐き気を催した。


「わたくしはお気に召しませんか?大神官様…」


「シュゼさん、下がって…!」


 なりふり構わず自分を売り込むシュゼを、私は自分でも驚くほど掠れた声で制止した。人間何をするか分かったものじゃない。強烈な後悔が襲うが全ては後の祭りだ。

 焦りと怖れから速くも全身汗だくになりつつあった私に助け舟を出してくれたのはセルゲイとアレンだった。セルゲイは私をそっと押し退けてからシュゼの両手首を捕らえて彼女の背後にそれを素早く捻り上げて言った。


「大神官様に対する数々のご無礼、許されると思ったか?もとより神力が無い女がここへ踏み入る事はまかりならない。」


 セルゲイの片手であっけ無く拘束され、うつ伏せに倒れかかったシュゼをアレンが軽々と肩の上に担ぎ上げた。そのまま二人は謁見の間を出て行った。


「そなた達は大神殿に暫し滞在しなさい。王都観光をゆるりと楽しんでいくが良い。」


 大神官が穏やかな声で残されたイライザとキャロンヌに言った。何事も無かったかの様な慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。声を掛けられた二人は歓喜に打ち震えていた。

 大神官と二人が他愛ない会話をする中、私は謁見の間の出口付近で棒立ちになっていた。

 彼等の会話を聞くゆとりなど私には全く無かった。

 イライザとキャロンヌは気に入られたらしい。しかしシュゼの暴挙を皆が忘却した筈が無い。後で土下座するしかない。……解雇されたらどうしよう。逃れたと思った弁済が再び私を押し潰し、更に何がしかの刑罰があるかもしれない。

 やがてイライザとキャロンヌが退出する為に私の目の前を通り過ぎると、私はやっと現実に意識が戻った。

 振り返ると大神官はもう席にいなかった。白いカーテンが揺れており、その後ろへ既に下がったのだと分かった。

 ほど無く、リサ、と私を招く声がした。


 子犬の様に怯えつつ私はカーテンの向こう側へ行った。


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