第11話 三人の女性達

 散り散りに動く彼女達を如何にして落ち着かせよう、と首を捻っていると私はダンスに混じらず座ったままの一人の女性に気づいた。彼女の髪は金糸の様な輝きがあり、目は南国の海の様な澄んだ青だった。右端に座るその女性は先ほどからあまり発言しなかったので、目立たなかったのだが、きちんと見れば一番美人かもしれなかった。私は急に彼女に興味がわいて話しかけてみることにした。


「シュゼさん。お若いのに神官なんですね。神官修習生ではなく。」


 神官としてはまだ最下位であったが、それでも出世が速い方だろう。

 すると彼女は恥ずかしそうに言った。


「いえ、たまたま運が良かっただけですわ。秘書様こそ、わたくしからすれば雲の上のお方ですわ。……わたくし踊りが得意ではありません。何もお見せできるものがなくて、すみません。」


 どうやら他の女性達とは違い、随分謙虚なようだ。


「いえ、お気になさらず。ダンスを見にきた訳ではありませんから。……皆さんも、どうか席に着いて下さい。皆さんの踊りの素晴らしさは十分分かりました!」


 七人の女性達がぞろぞろと席に戻って来ると、神殿職員がバケツを重そうに抱えて応接室に入ってきた。バケツにはなみなみと水が張られ、動きに合わせてチャプチャプと音を立てている。それは待ち時間に先ほど私が頼んでおいたものだった。

 職員は女性達の後方に立つと私を怯えた目付きで見た。私は力強く頷き、頼んでおいた仕事を完遂する様促した。

 女性達の神力は怒らせないと見えないのだ。私の発想力が貧困だと非難されようとも、一度に全員を確実に怒らせるには、これが一番手っ取り早い方法に思えた。

 職員は大きく深呼吸するとバケツを抱え直し、並んで座る女性達の頭から水をブチまけた。

 ザバッ!

 と迫力ある水音がしたのに続き、黄色い悲鳴が上がった。


「きゃーっ!冷たっ!」


「何するのよお前!!」


 髪から大粒の雫を垂らしながら一斉に立ち上がった彼女達の怒りをよそに、心の中で詫びつつも一方で密かに私は歓喜した。まるで芸術的なイルミネーションの様に十人十色の神力による炎が女性達の背後に見えたのだ。とりわけキャロンヌとイライザの背中から立ち昇る炎は大きく、どぎついピンクと黄色いそれは実に的確に持ち主の個性を表現している気がした。

 あれっ…。

 おかしいな。


 シュゼの背後には何も見えなかった。

 そんなはずは無いのに。選出されたからには、何がしかの神力があるに違いないのだから。

 あまり水がかからなかったから、怒らなかったのかもしれない。座っている位置の関係上、彼女は肩しか濡れていなかった。

 困った。


 意図的に怒らせるというのはなかなか難しい。今後の人間関係を考慮すると使える手段も限られる。特に心が広い人物であった場合、思う様に怒ってくれない可能性もある。

 濡れた服を着替える為にシュゼ以外の女性達が中座すると、私は神殿長に尋ねた。


「神殿長様から見て、彼女達の日頃のおつとめや修行の中で、どなたの神力が一番高いと思われますか?」


 神殿長は間髪いれずに答えた。その口調は自信に満ち溢れ揺るぎなかった。


「シュゼです。あの娘の神力が最も高い。次いでキャロンヌとイライザでしょうか。皆、器量も良いでございましょう?」


 どうやら怒らせるのに失敗したらしい。あの若さで神官なのだし、シュゼの神力が見えない、なんて事があるわけないのだ。

 こんな事もあろうかと神力審査石板を持って来て良かった、と私は心底思った。


 神力審査石板では神力の大小を見極めることは出来ないが、石板は神力に反応して光り輝くらしいので、素人の私でも神力の有る無しは判別できるはずだ。私は恭しく石板を鞄から取り出すと、シュゼの前に掲げて言った。


「思念波をこの石板に送ってみて下さい。」


 エルンデの猿真似だった。思念波が何かまだ良く分かってもいない私が言うのもおかしな話だが、ここの神殿の人々はまさか私が『なんちゃって秘書』だとは思っていないだろうから、それっぽく振る舞う方が賢明だ。

 石板は光らない。

 どうしてだ。


「シュゼさん、石板の粒子に念じて。」


 遂に私はエルンデの理解不能な助言まで盗用してみた。

 その時ーーー石板の中央にボンヤリとした明かりが灯ったかと思うと、石板全体が強く輝いた。石板自体が発光している様な、クリーム色の光だった。……こんな風に光るのか。

 やはり神力はあるんじゃないか。私はホッと息を吐いた。


「ありがとうございます。もうけっこうですよ。」


 私は神殿長に向き直った。


「今夜は遅いので、こちらに泊めて下さい。明日早朝に出発したいので馬車を一台貸して頂けますか?私は三人の方々を大神官様に推挙します。イライザ、キャロンヌ、シュゼの三人です。明日この三人を大神殿に連れて行かせて下さい。」







 翌朝、朝食まで御馳走になってから出発しようとすると、私は神殿長に引き止められた。何だろう、と思っていると彼は三人の女性達がいかに優れた人物であるかを切々と訴え始めた。中でも彼はシュゼを贔屓にしているらしく、シュゼを褒めちぎった。グノーの神殿長もそうだったが、自分の神殿から大神官の妻が選ばれるというのはかなり名誉な事なのだろう。


 ようやく神殿長に解放されると私は馬車に向かった。神殿の前には私達が乗って来た馬車と、借りて行く一台の計ニ台が並んでいた。

 アレンは御者と何やら話し込んでおり、セルゲイは三人の女性達と歓談していた。美男美女が集う姿は実に絵になっていた。

 その時一陣の風が吹き、キャロンヌの柔らかそうな金の髪が弄ばれて彼女の顔を覆った。セルゲイは手を差し伸べてごく自然な仕草でキャロンヌの顔にかかった髪を払ってあげていた。

 なぜかチクリと胸が痛んだ。

 王都の川下りで私にやった事と同じ事をセルゲイはしていたのだ。そう、それだけのことだ……。

 セルゲイを見上げるキャロンヌの顔は上目遣いで、口元はだらしなく開いていた。私もあんな顔をしたのだろうか…?そう思うと恥ずかしくなった。


 馬車は四人乗りだったので、私は昨夜からどう別れて乗るべきか頭を悩ませていた。

 だがその必要は無かった。

 私達が乗って来た馬車には早々と騎士達二人とイライザ、キャロンヌが乗車し、残された私とシュゼが必然的にもう一台に乗り合わせる事になったのだった。

 どうやら逞しい彼女達のことだから、選出終了後は私におもねる必要は無いと考えたのだろう。二人の見目麗しい騎士達と旅を楽しむ方がそれは良いだろう。

 それにしても、彼等が私の警護の為にいると言ったのは誰だったか。彼等が職務を全うしている様にはあまり思えない……。


 最初はシュゼと軽やかに世間話をしていたが、目的地が近付くに連れて、彼女の口は重く白い顔は神殿の壁みたいに更に白くなっていった。緊張の為だろう。

 途中一度休憩を取る為に馬車は小さな街で止まった。今や石像の様に身をかたくし、馬車の壁と一体化しているシュゼをどうにか降ろすと、先に降りていた他の四人と合流した。

 丁度昼過ぎだったので手頃な店に入り、昼食を取ることにしたのだが、六人席が無く、又しても私は石像のシュゼと二人だった。

 気になって他の四人を見ると、お喋りに花が咲いた様で、楽しそうに食べていた。イライザやキャロンヌが時たま体を揺らして笑いながら、セルゲイの腕や肩に触れているのが目について仕方なかった。

 最近の若い子はこれだから。

 彼女達は自分達の立場を分かっているのだろうか。

 やれやれ、と私はオバサン臭く眉をひそめて彼等を見ていた。万一過ちが有ってからでは遅い。後でセルゲイには釘を刺しておこう。


 例え私がにわか仕立ての大神官付秘書とは言っても、この場は私が支払わなくてはいけない気がした。私はまだ他の四人が食事を楽しんでいる隙に、会計を済ませようと店員の所へ行って財布を渋々開いた。全財産が入った財布だ。断腸の思いで六人分の食事代を財布から出して店員に渡そうとすると、やにわに手首を背後から掴まれた。


「ジコハサンなんじゃなかったのか?」


 振り返るとセルゲイが大真面目な顔で私を見ていた。彼は私が答えるのを待たずに自分の財布を取り出し、私の代わりに支払おうと財布を開けた。

 いやいや、この場まで奢って貰ってはにわか仕立てとは言え、秘書としてのポリシーに関わるーーーそう思った私の目にセルゲイの財布の中身が飛び込んだ。見慣れぬ色の紙幣がぎっしり入っていた。存在は知っていたが、私は今までお目に掛かった事が無い最高額紙幣だった。

 ざっと見ても、彼は新車を余裕で購入出来る金額を持ち歩いていた。

 強盗にでもあったり、財布を紛失したらどうするんだろう。私は目の前の騎士と自分の経済状況の格差に愕然とした。あまりの懐事情の違いに私のささやかな面子は跡形も無く吹き飛んだ。


 私は礼を言いつつも、他に言わねばならない事を思い出した。


「あの、イライザさんとキャロンヌさんと随分親しくされてましたけど…。」


 言った後で激しく後悔した。何だか嫌味っぽくなってしまった。

 だがセルゲイは一瞬眉をはね上げて、からかう様な笑顔を見せた。


「リサ、妬いているのか?」


「ち、違います!……彼女達は大神官様の為に私が選んだんですから、間違えて他に気持ちを移したりしたら、と大神官付秘書として危惧しているんです。」


「そうか。俺はそんなに女性を誘惑できそうに見えるのかな?」


「えっ…と、…まあ…」


「まあ何だ?まあまあ魅力的、とか?」


「と、とにかく!私は忠告しましたからね!何かあったら大神官様に怒られるのはセルゲイさんですよ!」


 私は自分の顔が赤くなるのを感じながら、今度は座席と一体化しているシュゼの所に戻った。




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