第9話 王都で昼食をーーー2
「ご存知かもしれませんが、私どうも大神官様のお屋敷を壊したらしいんです。」
「ああ、知っている。」
知っているのか。
悪事万里を走るという先人の教えは、やはり正しかった。薄々気付いては居たが、神殿中の人間が皆どこかよそよそしいのは、そのせいか。いや、第五界人だからかも知れないけれど。
セルゲイは眉の間に深い影を作り、続けた。
「だが債務とは何の事だ?」
「屋敷を弁償出来る限りは、お支払いしないと。全然足りませんけど。でも可能な限りは…」
「払う様言われたのか?誰に。払いようも無いだろう。」
「いえ、帳消しにして貰う代わりにあの変な仕事頼まれたんですけど、これが又妙ちきりんな内容で……って、セルゲイさんには手伝って貰ってますけど。まあそれは置いといて。」
「ならなぜ債務だなどと言う。」
「多額過ぎるからですよ!いつやっぱり払えと言われるか分からないし……。だいたい、払えないからと弁償を免除して貰ったわけですから、言ってみれば自己破産した人が贅沢したらおかしいでしょう。」
私は胸を張った。
完璧だ。理路整然とした遠慮の仕方が出来た。これでセルゲイも納得してくれるだろう。
「ジコハサンとは何だ?」
私は質問攻撃に徐々にウンザリし始めた。
視線を移せば店員がこちらを凝視している事に気付いた。話を聞かれたかも知れない。爆破女だと知れたら…と思うと気が気でない。
「とにかく、今私は無収入ですから身の丈に合わない贅沢は出来ないんです。」
「貧困層に手を差し伸べるのは富裕層の義務の一つだ。」
どうして話がそっちに行くんだ。急にノーブレス・オブリージュの話ですか…。
見上げた騎士ぶりに答えに窮した。
初めて知ったが正面切って貧困層扱いされるのもなかなか胸にグサリと響くものだ。
「だから気にせず受け取ってくれ。たまの贅沢くらい構わないだろう。」
どうあってもセルゲイは服を私に買い与えたいらしい。これ以上断るのも感じが悪い気がした。私は困った様にあやふやに笑うしかなかった。
セルゲイはそれをみとめると、会計をしに店員のもとに言ってしまった。
会計を済ませたセルゲイが戻ってきて、私が重々お礼を言うとセルゲイは人懐こい笑顔を浮かべてヒラヒラと手を振った。
「リサが気に入ってくれれば、いいんだ。」
店を出ると私は何が食べたいか聞かれた。私は暫し考えた後に、エデュが食べたいと答えた。エデュとは地球で言うトルコのドネルケバブに似たサンドイッチで、棒に刺して焼いた肉の塊をナイフでこそげ取り、平たいパンに野菜と一緒に挟んだ物だ。王都の名物だったし何より安価なのでそれなら気兼ね無く奢って貰える。
だがセルゲイは呆れた口調で言った。
「エデュ?そんな物で良いのか?」
何か言いかけたセルゲイだったが、直ぐに思い直した様だった。
「分かった。エデュを買って川下りをしながら食べよう。王都観光と言えば川下りだからな。」
昼を一緒に食べる計画は彼の中で観光案内にすり替えられたらしい。セルゲイは私の手を握ると、大通り沿いに肉の焼ける香ばしい匂いを漂わせているエデュのお店に向かった。ハーフオープンのそのお店は中で食べても、持ち帰っても良い様に食べ物を売っていて、セルゲイはエデュを二つ買うと店員に茶色い紙袋に入れてもらい、店を出た。
私達はそのまま広場から離れる方向へ歩いた。
カラフルな家屋が並ぶ通りを抜けて何度か角を曲がり、最後にやや急な階段を下ると川岸に出た。
王都の中ほどを分断する大きなその川は、深い青色の水面をキラキラと輝かせて太く穏やかに私の眼前を流れていた。
私は思わずキレイ、と上ずった歓声を上げた。
川岸には観光客を集める船乗り場が作られており、丁度一艘の観光船が客を乗せているところだった。セルゲイは手早く切符を買うと私の手を引いて船に乗った。船に乗ると、川を渡る冷たい風に肌をくすぐられ、独特なリズムで上下左右に揺れる水の上にいる感覚が、私の気分を盛り上げ興奮させた。船には屋根が無く、景色を堪能出来るように手摺りも低く作られ、長椅子が二列ずつ十本並んでいた。私達の他には二十人ほどの客がおり、それぞれバラバラに散って座っていた。私はセルゲイと船の前の方に座り、船が動き出すのを今か今かと待ちわびた。
船が岸から離れ、川を下り出すと私達はエデュを食べ始めた。川からは王都の美しい街並みが見え、可愛らしい家々から古めかしい塔、壮麗な屋敷などが両岸沿いに視界に現れては後ろへ流れていった。時折船は石組みでできた灰色の橋の下を通ったが、その都度橋の上にいる通行人が船に向かって手を振ってくれた。
私は両手で抱えたエデュにかぶりつきながら、頭や目を左右に忙しく振り王都の景色を堪能した。まるでヨーロッパの歴史ある街のツアーに参加したみたいじゃないか。
船上では飲み物が販売されており、セルゲイが私に人工的としか思えない様な真緑の飲み物を買ってくれた。彼自身はこれ又どぎつい真紅の液体の入ったグラスを手にしていた。
船の上でのランチは開放的で気持ちが良かった。日頃外で食べる習慣がないだけに、尚更この非日常的な感じが楽しい。
ふいに横方向から吹き付けた風が私の硬い髪を攫い、エデュごと顔に叩きつけた。
「髪を食べてるぞ」
セルゲイが笑いながら滅茶苦茶になった私の髪を丁寧に払ってくれた。彼の手が私の髪を顔からよける度にその指先がそっと私の頬を掠め、思いがけず胸が高鳴るのを必死で抑えた。
私は照れを誤魔化そうと手にしていた真緑のジュースを飲んだ。口に含んだ途端に刺激的な甘さが舌を転がり、飲んだ後も喉に絡みつく様な甘さが残った。間違い無く糖尿病になれそうな甘さだった。
かき氷のシロップをグラスにそそいだら、きっとこんな感じになるだろう。
私は余計に誘発された喉の渇きに悩まされた。
「口に合わないか?交換しよう。」
そう言うとセルゲイが真紅のジュースと私の真緑のジュースの入ったグラスを交換した。
この人は人の挙動を実に良く観察しているな……。
感心を通り越して怖いぐらいだ。
恐る恐る真紅の液体を飲んでみると外見を良い意味で裏切る味で、程よい酸味とスッキリとした甘さがあって飲みやすかった。
なかなかイケてる。
そう思いながらゴクゴク飲み下すと、セルゲイは目が眩む様な笑顔を見せた。至近距離で視界に飛び込む美形に悔しいかな目を奪われてしまった。
うわー、すっごい、かっこいい…。
「知ってるか?川下りの船の上で飲み物を交換した恋人達は、永遠に結ばれるという言い伝えがある。」
うわー、すっごい、軽い……。
余りの軽さに、返事が思いつかない。
美形マジックにこれ以上毒されない為に、私はセルゲイの輝く青い瞳から視線を引き剥がして景色に移した。その視線の先には目を疑う異様な光景が広がっていた。
右岸から臨む街並みの後ろ側はなだらかな丘陵状になっており、かなり先まで見渡せた。その中腹にはかなり広い敷地を持つ屋敷群が建ち並び、高級住宅街を思わせた。それより後ろは緑が生い茂り、その深い緑を穿つ様に巨大なクレーターの如き穴があいていた。
隕石でも落ちたのか。
ポッカリとあいた、剥き出しの地面の茶色いその穴は、王都の綺麗な景観を著しく乱し、目立っていた。
「あの穴、なんですか?」
「ああ、産声の聖地の事か?」
「うぶごえ??……あの、丘陵地帯にある馬鹿でかい穴ですよ。」
「だからそれが産声の聖地だ。知らないか?」
私は即座に首を横に振った。セルゲイは私と交換したばかりの真緑のジュースを一口口に含み、顔をしかめて吹き出しそうになってから説明した。
「神力は通常物心つかない子供に使う事は出来ない。だが大神官級に強大な神力を持つと話は別で、代々の大神官は誕生時に一瞬だけ神力を発露させる。生まれる時は赤子も相当苦しいと言うからな。あの穴は、今の大神官が産声を上げた瞬間に空から落ちた雷があけた穴だ。」
なんと恐ろしい。
しかし一縷の望みをかけて私は聞いてみた。
「そのめでたい雷が急に落ちて来て、被害は無かったんですか?例えば瀟洒な白い屋敷が壊されたとか。」
今日の被害者は昨日の加害者だったのかもしれないじゃないか。
しかしセルゲイは不可解そうに形の良い眉を寄せた。
「産声の神力で被害が出た事は歴史上一度も無い。」
私は不謹慎にも落胆した。
「なんで埋めないんですか?あんなにでかい穴、邪魔じゃ…」
「産声の神力は神聖なんだ。有名な聖地になっている。拝みに遠方から来る者たちも少なくない。……それに産声の聖地を回復させるのは、大神官を継ぐ赤子が生まれた後という伝統がある。あの、豪勢な屋敷が並ぶ辺りが分かるか?あの辺には先代の大神官があけた産声の聖地があったんだが、今の大神官が生まれた後に埋められたんだ。」
そう言いながら彼は中腹の高級住宅街を指差した。どうやら地盤の脆さは誰も気にしないらしい。私ならそんな埋め立てた土地には頼まれても家を買いたく無い。
川下りが終わると、私達は大神殿に引きかえした。
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