第8話 王都で昼食をーーー1
次回からどこの神殿を訪ねるかの決定は、私に委ねられていた。私は部屋でリストと地図を交互に睨みながら考えた。
大神殿と中央神殿は格が高過ぎる為に、若い女性がいない。しかし王都には他に東西南北に四つの神殿があり、それらの神殿にはそれぞれ推薦されている女性が何人かいた。しかしながら、彼女達は既に何がしかの選考にかけられた後らしく、名前の上に赤い線が引かれ、『不合格』と書き添えられていた。
ダメもとでもう一度自分の欄を確認したが、不幸な事に赤線は引かれていなかった。
仕方ない。
私は手持ちのペンで自分の氏名を塗り潰しておいた。
まずは近場から攻めていきたい。私は王都から西に位置する大きな街、リガルにある神殿に目星を付けた。通常、この世界では西にいけば行くほど色素が薄くなるので、金髪フェチの大神官を満足させるには西を集中的に責める方針が賢く思われた。
そうだ、西へ行こう。
自分の素晴らしいアイディアに身震いした。
私は勇気を振り絞り、キム先生にお願いして他の神殿への書簡の書き方を教わった。キム先生は大層不本意そうな顔つきながらも、礼を欠いた文書が大神殿から発されては沽券に関わる、と丁寧かつ厳しく指導してくれた。
私と目が合うと彼女はなぜか眉間に皺を寄せるのだが、それは最早条件反射と言えた。慣れとは恐ろしいもので最近は眉根を寄せていないキム先生を見ると不安になる程だった。
早速書簡を大神殿から午前中に出る便に乗せると、私はサル村の村長に書いた手紙を出しにいこうと、大神殿を出た。村長達ももう心配していることだろう。ようやく手紙を書く時間が出来たのだが、問題はこの手紙がいつ届くのかだった。だが何もしないよりは遥かにマシだ。
大神殿から出される便にドサクサに紛れて入れてしまおうかとも考えたが、私用の郵便物を混ぜたとバレたら怖いので遠慮する事にした。日頃から慎み深く、謙虚な姿勢を見せる事は大切だ。
近況を書き連ねた手紙を手に、大神殿から小高い丘を下る道を歩いていると、後ろから声を掛けられた。振り返ると至近距離にセルゲイがいて驚いた。この男は気配を消して人の後ろを取るのが得意らしい。
「奇遇だな!どこに行くんだ?」
「こんにちは。郵便所へ行きます。」
私は歩調を少しも緩める事無く答えた。
石畳の道の両側に均等に植えられた樹木の上から、ちらちらと強い陽射しが差し込み、眩しそうに青い瞳を窄めながらも、セルゲイはこちらを爽やかな笑顔で見ていた。
「随分分厚い手紙だな。誰に出すんだ?」
「お世話になったサル村の村長です。」
「そうか。あまりに分厚いから恋人宛かと思った。恋人には書かないのか?」
恋人がいる前提で質問をされ、少々不愉快になりながら私は素直に恋人はいない、と答えた。するとセルゲイは破顔一笑した。
「そうか。それは良かった。リサみたいな可愛い子に恋人がいないなんて。そんな時にリサに巡り会えた俺はなんて幸運なんだ。」
どうしてそんな鳥肌が立つ台詞を淀みなく言えるんだろう…。もう、何て反応すれば良いのか全く分からない。私はこの一本道が早く終われば良いのに、と心底願った。
私は別に顔に自信があるわけでは無いし、サル村では数年間相当浮いた存在だった。それでもサル村は田舎過ぎて他に娯楽も無いので、何人かとはお付き合いをして貰えたが、行き過ぎた褒め言葉は時に人を傷付けるものだ。
私が黙っているとセルゲイはポツリと言った。
「リサはモテるんだろうなあ…。」
「はい?」
「だって俺の歯が浮く程恥ずかしい台詞を平然と流しているじゃないか。言っているこっちは恥ずかしくて死にそうなくらいなのに。」
私は予想外の事を言われて立ち止まり、セルゲイの苦笑する顔を見上げた。どんな台詞を言っていたか自覚はあったらしい。
「やっと止まってくれたな。リサはそんなに忙しいのか?」
「そうじゃないですけど…」
「そうか。それなら一緒に昼を食べないか?神殿の食事は飽きただろう。奢るから付き合ってくれ。」
私は反射的に断りそうになったのを堪えた。一考の価値ある提案かも知れない…。タダ食いさせて貰っている分際で生意気だが正直、神殿の食事はワンパターンで飽きていた。折角アリュース王国の王都に滞在しているというのに、まだ私はそのグルメを一度も堪能していなかった。しかも奢りだと言うではないか。不運な遭遇だと思っていたが、熟慮の結果私はこれをチャンスだと考え直すことにした。
一転して都合良く愛想笑いを浮かべると、私は言った。
「是非ご一緒させて下さい。」
セルゲイは満足そうに頷くと私の手を取って歩き出した。どうして勝手に手を繋ぐんだろう。私は積極的過ぎるセルゲイに戸惑ったが、奢って貰おうとしている手前、振り払う事はできなかった。それに変な人だと思ってはいても、美形の騎士に手を握られるとなんだかフラフラと着いて行きたくなる衝動に駆られるから不思議だ。美しい男には理性や理屈を吹き飛ばす引力があった。
広場と大神殿、城を結ぶ石畳の坂道はそこを往来する数多の人々に長い年月をかけて踏み続けられ、表面が磨かれ切っていた。坂道を下っているとふとした拍子に滑りやすく、気を抜いた瞬間片足を持って行かれそうになった私は、咄嗟に繋いでいたセルゲイの手を強く握って姿勢のバランスを取った。
存外彼の手は便利だった。
丘を下った先は王都の広場になっていて、石畳が敷き詰められた大きな広場の周囲には、郵便所をはじめとして様々な施設が揃っていた。私達はまず郵便所に行き、村長宛の手紙を出した。サル村に宛てたそれを女性職員は何食わぬ顔で受け取ったが、残念ながらサル村まではこの国の郵便網が張り巡らされていない事を私は経験上知っていた。
せめて途中で紛失されない事を祈るしか無い。
広場の中には色鮮やかな屋根を連ねた屋台が立ち並び、食材から雑貨まで様々な物品を売っていた。私はその中で服を売る屋台に興味を引かれた。サル村の質素で地味な服と違い、王都で見る服はどれもお洒落に見えた。広場を行き交う女性達が着ている服と自分のそれを見比べると、ちょっぴり恥ずかしかった。隣を歩くセルゲイが手のこんだ騎士の衣装でキメているだけに余計に周囲の視線が気になった。
「服を買いたいのか?それならばこちらに店が揃っている。」
私の視線の先に目敏く気付いたセルゲイは、広場から伸びる大通りに私を引っ張っていった。大通り沿いには店構えが立派な、いかにも高級そうな店舗が軒を連ねていた。恐らく屋台とは値札に書かれたゼロの数が一つは違う服を売っている。
「私、屋台で十分なんです。サル村では服は屋台でしか売ってませんし。」
「屋台で買う服を贈り物には出来ないな。店で俺に買わせてくれ。」
「それってどういう意味ですか?」
「鈍いな。とにかく好きな服を幾つでも選んでくれ。……この店でいいな?」
セルゲイは繋いだ手を引っ張り、動揺する私を婦人服を売る店に連れて入った。
薄い橙色の絨毯が敷かれた店内は明るく、私達が入ると直ぐに美人な店員が笑顔で挨拶をしてくれた。店内を見渡すとどうやら布地から既製品まで幅広く扱っているようだ。
長い銀色のポールにかけられたたくさんの商品から、適当に可愛い一枚を選び値札を素早く確認すると私は焦った。やはりサル村の人間には縁の無い店のようだ。
店員に話し掛けられないうちに、店から出ようと足を出口の方向へ向けると、又してもセルゲイが目敏く気付いた。
「値段は気にしないで選んでくれ。」
本当に服を私に買ってくれるつもりなのだろうか。流石にそこまでして貰う事は出来ない。でもサル村で貯めた貴重な現金をこんな所で散財する訳にもいかない。
慣れない申し出は断るのが難しい。
私は頭を掻きながら話した。
「こんなに高価な服は私には着こなせません…。それに買って貰うつもりもありません。」
「これなんか似合うな!リサは桃色が合っている。」
そう言うとセルゲイは私の前に服を当て始めた。私の話は無視されたらしい。
「これにしよう。良いか?」
余りの強引ぶりにつられて頷きそうになるのを堪え、首を横に振った。
「あの、困ります。…いえ、有難いんですけれど、そこまでして貰わなくても…」
「買ってくるから待っててくれ。」
聞いちゃいない。
颯爽と会計に向かおうとするセルゲイの腕を掴んで引き留めた。腕を両手で掴まれたセルゲイは口角を僅かに上げ、気のせいかも知れないがどこか嬉しそうに見えた。
「あの……、実は私は多額の債務を抱えてるんですよ。」
そう、高級な服を貰うくらいなら現金でいただきたい。私は心の中で付け加えた。
「何の話だ?」
セルゲイは青い目を不可解そうに瞬いて私を見た。光を放っている様なその綺麗な瞳を見上げながら、私は己の冴えない境遇を明かした。
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