第34話 彼女との出合い〜尚武サイド 5

 琴音と付き合いだしてから数ヶ月、いまだに名前さえ呼べないヘタレな俺は、まともなデートにすら誘えていなかった。もちろん手すらつなげていない。


 男性恐怖症の琴音にヘタレの俺。


 琴音が怖がることなく俺の隣にいられるのは良いことだけど、さすがに名前を呼びたい。手つないだら嫌がられるかな?


 そんな中、初めて行ったカラオケが、まさかあんな場所だなんて知らなかった。

 周りの部屋ではカップルが何やらイタしており、誰も歌なんか歌っていなかった。周りにつられて……なんてあり得る訳もなく、二人でとにかく歌いまくり、最近の歌なんか知らないから、昔見ていたアニメソングを熱唱したのはもしかしなくてもダサかったかもしれない。琴音もそんな俺に合わせてアニソン歌ってくれたから良かったけど。


 そろそろ終了時間かって時、琴音の鞄から何やら小さな物体が落ちた。


「なんか落ち……」


 お守り袋?

 拾ったお守り袋からポロリと落ちた正方形の小さな物体。

 ゴム……だな。いわゆる避妊具。


 つけたことがあるかないかと言われたらある。もちろん正式な使用目的じゃない。男子ならば誰だって一回は練習してみたことがあるんじゃなかろうか。キツくて痛くて、こんなもんつけられっかと思ったけどな。(この時はまだゴムにサイズがあるなんて知らなかった)


 防音の筈の部屋に沈黙が広がり、二人して視線はゴムに集中する。

 

「ウワッ! 違うの! 私のじゃないから! 花ちゃんにお守りって貰って、困ったら開けてって、役に立つといい……って、ウェッ?!」


 金沢か、まぁそうだろうな。男性恐怖症の琴音が、積極的にこういう物を購入して持ち歩くとは思えない。

 正直、俺だって思春期真っ只中の男子だ。可愛い彼女ができたら、そりゃ考えない訳ない。でも、今すぐはないなってわかってる。第一、ここはナシだろ。いくら周りではイタシてるようでもだ。

 一ミリだって怖がらせたくない。徐々に慣らして、数年計画だ。


 っつうか、まずは俺が慣れろよって話だよな。手さえつなげないどころか、満足に名前すら呼べてない自分のヘタレ具合に失笑さえ浮かぶ。


「大丈夫、わかってる。これはまぁ……金沢に返しとけ」


 ゴムを拾ってお守り袋にしまうと琴音の鞄の中に押し込んだ。まぁ、そういう行為を連想させる物体は目に毒だからな。


「学外で返せよ。見つかったらえらいことになるから」


 そろそろ帰る時間かと腰を上げようとした時、いきなり琴音が俺らの間に置いてあった鞄を逆側にドンッと移動させると、鞄があったスペースに座り直した。膝が触れる……というか、左半身がくっつくくらいの距離だ。


「どうした? 」


 意識が若干触れている左側に集中する。シャンプーか柔軟剤かわからないが、無茶苦茶良い香りが俺の鼻を刺激する。多分無表情はキープできているとは思うが、心臓はバクバクだ。声がどっちらからないように、わざとゆっくり喋った。


「まだ、アレを使う度胸はないけど、私はいつもこれくらいの距離にいたい」


 もちろん俺だって! でも、怖くないか? 


 俺は琴音の表情を見逃さないように、しっかりと琴音の顔を注視する。


「……大丈夫なのか? 」

「尚武君限定で全然大丈夫」


 膝にのせていた俺の手に、小さくて柔らかい琴音の手が重なった。震えてる様子もないその手を、手のひらを上に向けるようにして握り込んだ。


 ヤバイ! 俺、手汗大丈夫か?! 

 

 手をつないだまま、琴音がもたれかかるように寄り添ってきた。

 完璧に密着した左半身。肩をくすぐる琴音のショートの髪がすぐ目の下にあって、抱きしめたくてしょうがない。でも!

 頑張れ俺の理性!


 駄目だ駄目だと思いつつ、つい口からは欲求が駄々漏れる。


「……抱きしめてもいいか? 」


 俺の肩口にグリグリ頭を擦り付けてくる琴音は、拒絶の言葉を吐かなくて……。


 いいのか?

 こんな可愛い仕草で、まさかNOじゃないよな? これで抱きしめていきなり平手打ち(いや、琴音なら正拳突きか)してくるとかしたら、マジで泣くからな。厳ついデカ男の号泣姿とか、ホラー映画の恐怖映像より怖ぇーぞ。


 くだらないことを考えたら、少し頭が冷静になった。


 馬鹿だな、俺。どんだけ情けないんだか。告白も琴音。手をつないでくれたのも琴音。こんなに大丈夫だっくっついてアピールしてくれてるんじゃないか。緊張してガチガチだけどな。


 琴音が可愛すぎて笑みが溢れた。琴音を宥めるように背中に手をやり、ポンポンと叩いた。軽いハグのような抱擁に、琴音の身体の緊張もほぐれた。


「嫌じゃない? 」

「全然嫌じゃない。っていうか、私の指定席かってくらい落ち着く」

「まぁ、あんたにだけだよな。こんなことすんの」


 琴音、琴音、琴音。


 名前を呼ぶんだと決意した瞬間、つい抱き寄せる腕に力が入ってしまう。


「……琴音」


 凄え情けない声が出た。

 驚いたように顔を上げた琴音に、再度その名前を呼ぶ。


「琴音」

「初めて名前呼んでくれた」


 花が綻ぶようなその笑顔に、俺の中でブチッと何かが弾けた。その途端、俺の雰囲気が変わったんだと思う。不思議そうに首を傾げ、でも蕩けるような笑顔のまま俺を見上げる琴音は、完全に安心しきっている。この信頼を裏切りたくない。それが俺の最後の理性の細い糸になる。


「うん? 」

「そんな顔で笑うなよ」

「あ、ごめん。ニヤケ過ぎた? やだなぁ、つい名前呼びが嬉しくてヘラヘラしちゃった」

「俺の前だけにして。可愛いすぎるだろ」

「……可愛くなんかないよ」


 女子に可愛いすぎるなんて初めて言った。自分で自分の口が信じられなかった。でも理性のブチ切れた俺は、いつもなら言わないような心の声を吐き出す。


「見た目は儚げな美人系だよな。うちの学校でも琴音は有名だぞ。無理やり脅して付き合ってるんだろってよく言われる」

「はぁ? そんな訳ないじゃん。脅されても付き合わないし」

「あぁ、実際は全然儚くなんかないしな。嫌なことはしっかり嫌って言うし、見た目と内面のギャップが面白い」


 面白いと言ったせいか、拗ねたように頬を膨らませる琴音が本当に可愛い。俺の言葉でコロコロ表情を変えるところが愛しくてしょうがない。


「ほら可愛い」


 顔を真っ赤にして、琴音が俺の胸元に顔を擦り付けてくる。

 こんなの我慢できる訳がない。


「琴音、顔上げて。琴音」


 恥ずかしそうに、でも潤んだ瞳は決して嫌がってない。そんな琴音の顔を見たら、もう理性は決壊してしまう。

 でも嫌がったら、その顔に少しでも恐怖が浮かんだらすぐにでもストップできるように、最大限ゆっくりと、琴音の目を見つめて顔を寄せた。あと数センチという瞬間、琴音の瞼がゆっくりと閉じてきた時、電話の音が鳴り響いた。


 タイムオーバーだった。







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