第9話 帰り道

「……起きて。……様のお見送りを」


 夢の中で目覚めるというのは不思議な感覚だ。


「はい、姉様。今すぐに」


 私は着物のまま床についていた為、眠い目を擦りながら重い身体を起こした。

 部屋を出ると、穏やかな笑顔を携えた客が壁に寄りかかっていた。


「お待たせいたしました」

「起こして悪かったね」


 私は小さく首を横に振り、客の前に立って歩き出した。客の視線が傷跡だらけの私の手足や首もとに落とされ、酷薄な笑みが浮かんでいたが、前だけを見て歩いていた私は気がつかなかった。ただ、背中をゾクリとした嫌な感じが這い上がり、ただ小さく身体を震わせるしかなかった。


「おまえは幾つだい? 」

「……十になりました」


 本当の年齢はもっと上だが、姉様に言われた通りに答えた。


「ふーん、女の匂いはするんだがな」


 客の口調は穏やかだが、上部だけを滑って落ちてなくなるような穏やかさに感じた。

 客はスルリと私の肩上の髪を持ち上げて首筋を露にさせた。髪の毛を結い上げるように顔を出させ、ジッと顔を覗き込んできた。

 優しげなその客の表情が、まるで能面のように見えて、知らないうちにガタガタと震えていた。


「おや、ずいぶんウブなんだね。君の御披露目が楽しみだよ」


 客は私の頬を指の背で撫でるようにすると、「また来る」と店を出て行った。


 ★★★


 困った。


 これ以上ずれるとベンチから落ちるというところまで移動した私は、何とか花岡君が帰ってくれないものか、花ちゃんが早く戻ってきてくれないものかとばかり考えていた。


「あれ? もしかして髪の毛切った? 」


 花岡君が私の髪の毛に触れそうになり、私は耐えきれずに立ち上がってしまった。


「うん、そう。花ちゃんの行きつけの美容院でね」

「良く似合ってるよ」

「ありがとう。あ、あれ花ちゃんかな?! 」


 わざとらしく花ちゃんを探すふりをする。


「違うんじゃん。座れば? 」

「ごめん、荷物番頼める? トイレ行ってくる! 」


 私は荷物を花岡君に押し付けて公衆トイレに駆け込んだ。でも、場所がトイレだけに長居する訳にもいかない。

 なるべくゆっくり手を洗いトイレを出ると、花ちゃんが花岡と話しているのを見てホッとした。しかも、何故か尚武君までそこにいる。


「花ちゃんお帰り」

「琴ちゃんお待たせ。尚武君に途中で会ってね、運んでもらえたのよ。まだあるって言ったら、荷物持ちにつきあってくれたんですの」

「こいつ、力だけはあるからな」


 力だけじゃないよ。頭だっていいし、優しいし、カッコいいし!


 花岡君の余計な一言に、私は盛大に心の中で反論した。


「荷物、これか? 運べばいいのか? 」

「あ、その二つは私の」

「なら、それは僕が運んであげるよ」


 花岡君に取られそうになり、私は慌てて自分の荷物を確保した。


「私は大丈夫。軽いから」

「なら、私の荷物をお願いしますわ。和君はうちと同じ方面ですし」

「そうだね、それがいいよ。私は一人で大丈夫だから」

「あら、尚武君は琴ちゃんの家の方面に御用事があるんですわよね? 琴ちゃんを送ってくださる?」


 花ちゃんは花岡君と二人っきりになりたいんだろう。何となく戸惑っている尚武君に、必死に目配せをしている。


「なら、尚武君に荷物持ち頼んでいいかな? 花岡君、花ちゃんをよろしくね。じゃ、合宿で」


 私は尚武君に自分の荷物を手渡すと、尚武君の腕を引っ張って公園から出る。

 花ちゃんちとは逆方向に歩いて、角を曲がって立ち止まった。


「ごめん。荷物ありがと」


 つかんでいた腕を離し、自分の荷物を回収しようとする。でも、尚武君は返してはくれなかった。


「別に、重くないから。家まで運ぶ」

「でも用事があるんじゃ? 」

「特にない」


花ちゃんが花岡君と二人になりたい気持ちを汲んでくれたのね。やっぱり優しいな。


「花ちゃんがごめん」

「別にかまわない」


 淡々とした口にだけれど、尚武君の優しさは染々と伝わってくる。


「今日は髪の毛フワフワしてないんだな」

「あれね、なかなかやっぱり自分でやるのは難しいんだよ。やっぱり美容師さんは偉大だね」

「そうだな」


 僅かに目尻を下げた尚武君は、どうやら笑ったらしい。その笑顔が嬉しくて、ついつい尚武君を見上げてしまう。


「尚武君は大きいね」

「そうだな」

「見上げてると首が痛いよ」

「首がつるぞ」


 私のペースに合わせてくれているのか、尚武君はゆっくり歩いてくれる。拳一つくらい離れた距離。女友達ならアリだけど、男の子とは微妙に警戒しちゃう距離だ。でも、尚武君なら何故か大丈夫。嫌悪感のケの字も感じない。


「花ちゃんはさ、花岡君のことが好きなの」

「ああ」

「知ってた? 」

「わかりやすい」

「だよねぇ。凄く花ちゃん可愛いんだよ。女の子しててさ。花ちゃんの気持ちは応援したいんだけどさ……」


言外に、相手が花岡君なのが問題なんだとため息をつく。


「花岡は……まぁ、あんな奴だからな」


 尚武君の口から花岡君を貶す言葉はでなかったけど、言い淀んだその間に全てが凝縮されていた。


「私さ、男の子って苦手なんだよね。小学生の時とか、虐めっ子が多くて、だから女子校選んだの」

「おまえ、虐められっぱなしじゃないだろ」


 軽く尚武君を小突くと、尚武君は「悪い」と頭をかいた。


「まぁね、やられたらやり返すよ。でもさ、いきなり知らない人から攻撃されたらストレスだよ。虐めといて、実は好きだったとか言われても意味わかんないし」

「それはわからないな」

「でしょ? 回りには愛想良いくせに、誰もいないとこで意地悪したり物を隠したりするの。私があの子にやられたって言っても、あんな良い子がそんなことする訳ないでしょとか言われて」


 小学生時代の虐めっ子達を思い出して、今更ながらに怒りが沸いてきてしまう。


「そんな時のあいつらの薄ら笑い。心底嫌い。で、卒業間際に、実は好きだったから気を引きたかったんだとか、あの時はごめんなこれからよろしくなんて言われて握手求められても、そうですかって握手できる訳ないじゃん」

「そうだな」

「だからね、作り笑いの上手な男の子って、基本的に苦手なの。生理的に無理ってやつ」

「それは花岡には難儀だな」


 眉尻を下げて言う尚武君を見て、私はさらに大きなため息をついた。

 花ちゃんは花岡君が好き、花岡君は私が気になる。私は花岡君だけは好きにならない。

 つまりはそういう話だ。尚武君は、みんなの心情がわかっているようだった。


「ごめん、尚武君には関係ないのにさ」

「聞くくらいならな」

「私、尚武君は苦手じゃないよ。何でかな? 男の子っていうより、もう友達って感じなのかな?」

「大抵の女子は俺が苦手だけどな」

「自虐? 」

「いや、真実だな」


 私は半歩尚武君に近寄った。

 腕がギリギリ触れるか触れないかぐらいの距離だ。全然嫌じゃない。


「私は大抵の女子じゃないのかな。尚武君の側は安心するよ。守ってもらえそう? 強そうだからかな。虐めっ子が来ても、一睨みで撃退しそうじゃない? 」

「まぁ、同級生には負ける気はしないな」


 私はクスッと笑った。

 同級生どころか、下手な大人にだって負けないよね。


「なら、虐めっ子が来たら撃退してもらおうかな。私がどうにもならない相手がいたら、尚武君に助けてもらおう」

「あんたは友達だからな。困ったことがあったら、何でも言ってくれ。まぁ、あんたにかなう男子も滅多にいないかもだけどな」


 友達……。


 私から言った言葉の筈なのに、何でこんなに胸が痛いのかな。

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