第8話 髪止め

「私は幸せ者だ」

「……様、私にはあなただけ。あなただけなのです」


 目の前で寄り添うのは恋人同士ではない。いや、姉様の気持ちはこの客にあるのだろう。通常の姉様ならばどんなに客に絵空事を囁こうと、その瞳には感情が映ってはいないから。でもこの客の前でだけは違う。潤んだ瞳も、赤く染まった目尻も、弧を描く唇も、この客にしか見せていないものだ。

 そしてこの客は……。


「愛しい私の……。やはり君にはこの簪が似合う」


 姉様は、この間眺めていた簪をさしていた。この客から貰ったものだったのか。


「あんた、下がっていていいよ。ゆっくり布団でお休み」


 姉様は私の方に手を向けると、その手をユラユラと振った。


 私がこの場所にいるのは、姉様の世話をするのと同じく私の仕事だ。女将からは、「よくよく勉強するように」と、姉様の側から離れることを許されていなかった。


「でも」

「大丈夫、……様がお帰りになる時にはあんたをちゃんと呼ぶから」


 お客様を店の外までお見送りするのも私の仕事。

 私は二人をジッと見て、そしてコクリとうなづいて部屋を出た。

 男のネットリとした視線が私の背中を舐めているのも気がつかずに。


 ★★★


「そのバレッタ可愛いね」


 ユルフワの花ちゃんの髪に、小花が散った髪止めがついていた。今まで見たことがないから、新しく買ったんだろうなって、軽い気持ちで誉めた。実際、繊細な小花が連なって揺れ動く髪止めは、可愛らしい花ちゃんをより可愛く見せていた。


「ウフフ、可愛らしいですわよね。似合っているでしょうか? 」


 ポッと頬を染める花ちゃんは、女の子らしくて本当に可愛らしい。


「似合ってるよ。凄く花ちゃんらしい」

「実はお土産でいただいたんです。……その、お誕生日でもあったので」

「誕生日?! そうだったの? やだ、どうして教えてくれないの」


 改めて聞いた花ちゃんの誕生日は八月八日。なんか、おめでたい。末広がり? って言うの?


「お誕生日が近いのに自分の誕生日を言うなんて、何かお祝いを期待しているみたいで……。でもそうですわね。私も琴ちゃんの誕生日が過ぎてから教えられたらショックだったかもしれませんわね」

「でしょ、でしょ。今度ちゃんとお祝いさせてね」

「琴ちゃんはいつですの? 誕生日」

「私は……一月一日」

「あら、おめでたいですね」


そう、一月一日。

小学生の時にからかわれるネタになって以来、誰にも言わなかった誕生日。なるべく誕生日ネタにならないようにしていたから、中学の友達は誰も私の誕生日を知らない筈だ。

 お互いにおめでたい日に生まれたねと笑い合った。


「琴ちゃんも冬生まれですのね」

「私も? 」

「和君は十二月ですって。あと尚武君も」


 いつ彼らと誕生日の話をしたんだろう?

 花岡君の誕生日には興味はなかったけど、花ちゃんが尚武君の誕生日まで知っていたことにモヤモヤする。


「前に和君とお誕生日の話になりましたの。それで、これお土産と誕生日プレゼントっていただいて……」


 嬉しそうに髪止めに手を添える花ちゃんは、照れたように頬を染めている。プレゼントの主が花岡君ということも驚いたが、二人で会うような関係ということも驚いた。


「もしかして二人って……」

「違いますわ、まだほら中学生でしょ。私の好意はお伝えしましたし、ありがとうとは言ってもらってますけれど、まだみんなで仲良くしようって。……その、たまに二人で会うくらいで。手を繋ぐとか……」


 可愛いッ!!!


 恥じらう花ちゃんがあまりに可愛すぎて、私はギューギューと花ちゃんを抱き締めた。発達途中の私の痩せぎすの身体と違って、出るところがちゃんと出ている花ちゃんの身体は柔らかくて気持ちが良い。しかも、フローラルの甘い香りも女子力マックスだ。


 こんな花ちゃんに好かれたら、花岡君も絶対に好きになるよね? 私に告白したのは気の迷いだって思うよね?

 いまだにたまにラインで好意の押し売りをしてくるのは、引くに引けなくしょうがなくってやつだよね?


 私に「好きです、付き合ってください」と言ってきた花岡君が、「まだみんなで仲良くしよう」なんて断り文句みたいなことを言うなんてと、一瞬不安になったけれど、私に最初告白してしまった手前……みたいなものがあるのかなって考え直す。

 だって、好意がなかったら手を繋ぐとか無理だと思うし、花ちゃんから手を繋ごうとするとは思えないから、花岡君の好意を態度で示した……と思いたい。


「ね、ね、パジャマはお揃いにしましょうよ。ほら、これなんか可愛いですわ」


 私が思い悩んでいる間に、花ちゃんは今回のお出かけの目的である買い物を着々と済ませていたらしかった。

 尚武君の道場の夏合宿は明後日からの二泊三日。女子はお泊まりをするには必要な物が沢山あるのだ。細々した物から寝間着や部屋着、下着に至るまで。今回の合宿は海の近くということもあり、水着も必須だろう。

 さすがに、私も小学校のスク水じゃどうかなと思うしね。

 ちなみにうちの女子校には中学高校共にプールがない。だからあるのは小学校の紺色のスクール水着で、胸にはバッチリ名前が張り付けてある。残念ながら身長体重共に成長が停滞している私は、いまだに着れてしまうのだ。

 水着と寝間着、私が買いたいものはこの二つだった。


「確かに花ちゃんには似合いそうだけど……」


 ピンクのフリフリ。しかも、キャミソールに短パンって、露出過多でしょう。


「じゃあ、こっちのタオル地のはいかが? 」

「それならなんとか」


 太腿の半分くらい隠れるキュロットスカートに、肩紐太めのタンクトップ。上にカーディガンを羽織れば部屋着にもなりそうだ。花ちゃんはピンク、私は紫を選んだ。水着はお揃いにはせず、花ちゃんは白の花柄のタンキニ(中はビキニ)、私は青のスカート付きワンピースにした。首の後ろで結ぶタイプだから、胸に谷間がないことはバレない筈だ。


「ふー、重いですわ」


 花ちゃんは両手に買い物袋を持ち、フラフラと歩いている。一つ私が持ってあげているけど、それでもいっぱいいっぱいだ。


「もう一つ持とうか? 」

「だ……大丈夫ですわ」


 毎回思うけど、花ちゃんの買い物は豪快だ。あれもこれもと手に持ちきれないくらい買って、「あらどうしましょう。持ちきれませんわ」と頭を悩ませる。内部生(小学校から桐ケ谷女子校の生徒)の中には、こんな花ちゃんをあまり良く言わない人達もいるけれど、可愛くてナイスボディでお金持ちの花ちゃんへの僻みもあるんだと思う。


「そうだわ。琴ちゃんあそこの公園で待っていてくれないかしら。私、数回に分けて荷物を運びますから」

「それなら私も手伝うよ」

「いえ。私の荷物ですし、帰り道も反対方向じゃないですか。ちょっとお待たせしちゃうのが申し訳ないんですけど」


 眉尻をヘニョンと下げる花ちゃんは、「頑張って二往復で運びますから待っていて下さいませ」と、私に缶ジュースを買って渡すと、荷物を半分持って早足で公園を出て行ってしまった。私は足元に置かれた花ちゃんの荷物をベンチに置き直すと、ベンチに座って貰った缶ジュースのプルトップを開けた。

 風が吹いているから、日陰のベンチはなかなか居心地が良かった。冷えた缶ジュースでお腹の中からヒンヤリする。


「あれ、琴音ちゃん? 」


 公園の入り口の方から、手をブンブン振った花岡君が走ってやってきた。


「買い物? すげえ偶然。部活の練習試合見に来てくれたぶりだね」

「そうね」

「あ、道場合宿の買い物? ずいぶん買ったね」

「ほとんど花ちゃんのだから」

「だよね。花ちゃんは? 」

「荷物が多いから、運べるだけ運んでる。私は荷物番」

「そっか、じゃあ僕も一緒に待っていてあげるよ」


 頼んでないのに、ベンチの上の荷物を端にずらすと、私のすぐ真横に花岡君は腰を下ろした。毎回思うけど、花岡君のパーソナルスペースは狭い。男子と触れるか触れないかくらいの距離は、私には不快感しかない。


 花岡君は、合宿の話や祖父母の家に帰省した話などを、一人楽しそうに話した。


「そうだ、琴音ちゃんにお土産買ってきたんだ。今度二人で会えないかな。今持ってきてなくて」

「お土産なんかいいよ。悪いし」

「でも、琴音ちゃんをイメージして買ったんだ。それにアクセサリーだから僕は使えないしね」


 アクセサリー……、花ちゃんと同じくバレッタだろうか?

 もしそうなら、余計に貰えない。

 花ちゃんのは誕生日プレゼントも兼ねてって言ってたから、あそこまで立派なのじゃないだろうけど、それでも似たような物を私がつけていたら、花ちゃんの特別感が薄れてしまうだろう。


「アクセサリーって? 」


 ちょっとしたピン止めとか、ご当地の缶バッチのような物を想像して聞くと、花岡君はスマホを出して画像を見せてくれた。

 それは華奢なチェーンに音符型のトップがついたネックレスで、音符には紫と黄色の石がついていた。


「これって? 」

「可愛いでしょ? 琴音ちゃんに似合うと思って。これ、小さいけど本物の宝石なんだよ」


 本物?

 たかだか友達のお土産に?


「ごめん。これは貰えない」

「別にただのお土産だよ? お返しとか期待してないし。ただ、毎日つけてくれたら嬉しいな」

「ごめん……私、金属アレルギーだから」


 とっさについた嘘だった。花岡君の目が、私の全身を確認するように見た。元からアクセサリー類はつけない質だから、嘘だとはバレないだろう。イヤリングもネックレスも指輪もしていないのだから。


「そう……なんだ。シルバーが駄目なの? 」

「わからないけど、ゴールドもたまに痒くなる……かな」

「ふーん、14Kとかが駄目なのかな? メッキもかな。18K以上とかプラチナなら大丈夫なんじゃない」

「調べたことないから……」

「そっか、わかった。つけられない物を貰ってもしょうがないもんな。……こんなことならバレッタを琴音ちゃんのお土産にすれば良かった」

「えっ? 」


 最後はつぶやきのような小さな声だったけれど、私にはしっかり聞こえた。


 バレッタって、花ちゃんにあげたやつだよね? 花岡君に貰ったって嬉しそうにしていたアレだよね。


「何でもない。あーぁ、けっこうお小遣い奮発したんだけどな」

「ごめんなさい」

「いいよ、妹にでもやるから」


 とりあえず受け取らなくてすみそうでホッと息を吐いた。


「ね、ところで琴音ちゃん」


 花岡君の手が、膝の上で握られていた私の手に僅かに触れた。


「な、何?! 」


 私が手を振り払うように自分の手を後ろに隠すと、花岡君はちょっと困ったような怒ったような顔つきになった。


「あのさ、僕達、もう友達だよね」

「そう……かな」


尚武君に友達だって言われたら、そうだねってうなづけるけど、いまだに花岡君は尚武君の友達か花ちゃんの想い人止まりだ。私の……知り合いくらいの位置付けでしかない。


「だってさ、四人で勉強したりお茶したりしてるじゃん」

「そうだね」

「そろそろさ、二人で遊びに行ったりしても良くない? 」

「……」


 花岡君の右手がベンチの背もたれに添えられる。少し動かせば、私の肩を抱き寄せられる距離だ。


「ごめんなさい、二人っきりは無理なの」


 花岡君は「チッ……」と小さく舌打ちをする。そして、それを隠すように作ったような笑顔に変わった。


「うん、僕の方こそゴメンね。気長に待つつもりがつい焦っちゃったよ」


 気長に待たれても困る。

 というか、花ちゃんと二人で出掛けたり、手を繋いだりしてるんだよね?

 花ちゃんとのことはどうするつもり?


 私はギリギリまでベンチの端に寄って花岡君から距離を取ろうとした。

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