第7話 髪を切る

「綺麗な簪だろう」


 姉様は、キラキラと花が散ったような簪をうっとりと見つめていた。


「姉様にとっても似合ってる」


 多分、昨日の客に貰ったんだろう。姉様はこの花街でも一・二を争う売れっ子で、贈り物なんか珍しくない。珍しくはないが、贈り物にこんなに執着している姉様は珍しいことだ。

 いつもは貰い物は売りに出すか下の娘達にあげるかして、手元には残さない。それが大切そうに眺めた後、箱にしまって机の引き出しにしまった。


「つけないのですか? 」

「ああ、見てるだけでいいんだよ」


 それは簪をだろうか、その客をだろうか?


 姉様の唇はゆっくり弧を描き、穏やかな表情で窓から外を眺めていた。窓から見えるのは、けして綺麗な風景ではないだろうに、その目には何が映っているのか、私にはきっと見えない何かなんだろう。


 ★★★


「凄い、可愛いですわ」


 鏡の中の自分は、ユルく巻かれた髪が無造作に跳ね、いつものただのストレートショートが、丸みのあるエアリーなショートボブに変身していた。女子力が破壊的に上がった気がするけど、きっと自分じゃ決して出来ない髪型だろう。


「顔立ちがシャープだから、少し前髪多めで長めにして横に流すと、柔らかい雰囲気になりますよ。あと、ここだけ編み込んでとめると、女の子らしさアップです」


 花ちゃんお気に入りの美容師さんが、髪の巻き方からアレンジの仕方まで丁寧に教えてくれた。女性だったのもあり、緊張することなくお任せできた。


「琴ちゃんショート似合いますわよね。顔も小さいですし」

「花ちゃんも今度短くしてみる?似合うようにしてあげるわよ」

「えぇっ、似合うでしょうか? 頬っぺた丸いのが目立ちそうですし。それに似合う洋服も変わってしまいそうで。失恋でもしたら考えてみますわ」

「アハハ、花ちゃんを振る男子なんかいないでしょう」


 花ちゃんが今好きな人、それはきっと花岡君。花岡君は前に私に告白してきた人で、いまだに花ちゃんがいないところでは猛烈にアピールしてきて……。花岡君のことを好きになることは絶対にない。どちらかと言うと花岡君とは距離を置きたい気持ちが強い。個人的には二人では会いたくない。でも花ちゃんの気持ちを考えると今の四人の関係を崩せないし、崩したくない。

 花ちゃんと花岡君と尚武君と私。

 誰か欠けてもきっとぎこちなくなって続かないと思う。話をするのは大抵花ちゃんか花岡君で、尚武君と私は相槌を打つくらいだからだ。


「琴ちゃん、どうかしました? 」


 いつの間にか美容師さんと花ちゃんの会話が終わっていたようで、花ちゃんが黙り込んでいた私をジッと見ていた。


「ううん、ほら、自分でこんなにちゃんと出来るかなって」

「練習あるのみですわ」


 ムンッと力瘤を作る花ちゃんは本当に可愛らしい。


 お会計をすませ、二人でこれからどうしようかととりあえず商店街をプラプラする。

 アイスでも買って土手にでも行こうかという話になり、コンビニに入った。


「あれ、尚武君ですわ。尚武くーん」


 カップラーメン売り場で何やら悩んでいる尚武君が振り向いた。私を見て、花ちゃんを見て、また私を見て首を傾げる。


「お買い物ですの? 」

「ああ、うん。ちょっと腹減って」

「私達、土手でアイスでも食べようって話てましたの。尚武君も土手でご一緒しませんか? 」

「別にいいけど」


 私達がアイスを選んでいる間に、尚武君はカップラーメンとおにぎり、お茶を買ったようだ。私達がお会計している間にカップラーメンにお湯を注ぎ、おにぎりを蓋の上に乗せて片手に持ち、もう片方にはお茶を持つ。

 両手が塞がってドアが開けられないだろうからと、私が小走りにドアに向かってドアを開けておいた。


「サンキュ」

「どういたしまして」


 五分くらい歩くと土手についた。


「のびちゃったかな? 」

「量が増えていいよ。アイスは大丈夫か? 」

「かろうじて大丈夫そうですわ」


 土手を下りる階段に陣取った私達は、私と花ちゃんは横並びに、尚武君は二つ下辺りの階段の縁に横を向いて座った。

 土手の下の広場ではサッカーをしている小学生達がいたり、土手の上ではランニングしている人達や犬の散歩をしている人達が通っていく。川に抜ける風は少し強めだけれど、体感気温を下げてくれるから気持ちが良かった。


「それ、お昼ご飯ですの? 」

「いや、昼飯は家で食った」

「凄い食欲だね」

「あー、一日五・六食は食うかな」


 あっという間にカップラーメンは汁までなくなり、おにぎりも数口で尚武君の胃袋におさまってしまった。ゴクゴクと半分ほどお茶を飲み干した尚武君は、いまだに空腹を感じているのか、いつもはキリリと太い眉毛をわずかに下げて「……食い足りね」と、つぶやいた。


「私のアイス食べます? 食べ途中ですけれど」


 少し溶けかけたカップのバニラアイスを花ちゃんが差し出そうとすると、尚武君は「大丈夫」と断った。


「あら、電話ですわ。ちょっとでてきますね」


 花ちゃんのスマホが鳴り、花ちゃんはスマホを片手に土手下まで下りて電話に出た。何を話しているか聞こえないけれど、楽しそうに話しているから友達からの電話なんだろう。


 尚武君と二人きりになると、急にシーンと静かになってしまう。尚武君との沈黙は嫌ではない。ただ、みんなでいる時はさりげなく尚武君を観察できるけど、二人っきりだとさすがにそれはできない。それが少し残念だ。

 そして今は、何故か尚武君にジッと見られているような気がして落ち着かない。まさか、アイスが口についているとかじゃ?!


「あの、もしかしてアイスとか口についてる? 」

「いや……なんか……なんだろう? 」


 尚武君は大きな手を顎に当てて、何やら考え込んでいる。


「どうしたの? 何かあった? 私何かした? 」


 知らない間に何かしてしまったんじゃないかって不安になる。そんか不安が表情に出てしまったのか、尚武君を見上げる私に尚武君は珍しく慌てたように視線を泳がせつつも、落ち着けと両手を前に出す。いや、あなたが一番落ち着いてないと思う。何でかはわからないけど。


「何かよくわかんないけど、あんたが違って見えて……」


 違って見える?

 そりゃ、たいして長さが変わった訳じゃないけど、今までセルフもしくは千円カットだった髪型が、お洒落女子の花ちゃん御用達の美容院ヘアになったんだから、違くて当たり前だ。


「髪型変えたよ。今、美容院の帰りだし。似合って……ない? 」


 尚武君は細い目を見開いて(それでも三白眼の目はさほど大きくはならなかったけど)、私の髪型と顔の間で視線が上下した。


「……なるほど。そういや髪の毛がクルクルしてる」

「クルクルって」


 似合うとか、可愛いとか、尚武君の口から出るとは期待してなかったというか、気付かれるとすら思ってなかったから、違和感を感じてくれたというだけでなんだか嬉しくなってしまう。


「これはね、美容師さんがしてくれたから、ちゃんとなってるだけで、自分じゃできなさそうだよ」

「そうなのか? パーマじゃ? 」

「違うよ。うち、パーマ禁止だよ。カラーもね。やっぱ私立だからかなぁ」

「うちも駄目だな」


 尚武君がパーマやカラーをしている姿を想像してしまう。


 うん、ないな。


 髪質が硬いからかツンツン立った髪型、真っ黒で量も多そう。これが尚武君だ。茶髪でユルフワパーマのチャラい尚武君とか、ないないなさすぎる。学校で禁止されてて良かった。


「似合って……ない? 」

「かわい……似合ってるんじゃないか? 」


 可愛いって言った? 可愛いって言われた?


 今まで誰に言われても「だから何」って感じだったのに、尚武君に言われる(「かわい……」だけだけど)と嬉し過ぎる!!


「あり……ありがと」


 絶対に赤くなっている顔を見られたくなくて、うつむいて小声でお礼を言う。


 耳も赤いかな? 髪の毛でギリギリ隠れてるよね?


 まさか首まで赤く染まっていて、そんな赤いうなじを見た尚武君が狼狽えていただなんて、うつむいていた私は気がつかなかった。




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